2018年に発売されたキリンビールの「本麒麟」は、その年のヒット商品になっただけでなく、19年にはさらに売り上げを伸ばし、ロングセラーの兆しを見せている。日経クロストレンド EXPO 2019のキーノートにキリンビール常務執行役員 山形光晴氏が登壇。ヒットの秘密を語った。

キリンビール常務執行役員 マーケティング本部マーケティング部長 兼 マーケティング本部マーケティング部商品開発研究所長 山形光晴氏
キリンビール常務執行役員 マーケティング本部マーケティング部長 兼 マーケティング本部マーケティング部商品開発研究所長 山形光晴氏

 山形光晴氏は、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)で約16年間マーケティングを担当したあと、キリンビールに移籍した。

 全くジャンルが違う会社に移ったきっかけを「30代後半になり、人間として成長できる場所はどこか。どういう場所で働くべきか。そう考えたときに、キリンビールのことが頭に浮かんだ」(山形氏)と語る。

 入社した15年当時、業界全体でビール系飲料の出荷数減少が続いており、特にキリンビールは減少幅が大きかった。しかし「入社したときにその点は気にならなかった。社内に危機感があり、そこに身を置いて真剣に取り組むことこそ、マーケティングでやりがいがあるのではないか」(山形氏)と話した。

社内の都合や部署の事情に左右されない製品作り

 取り組んだのは“絞りの効いたマーケティング”だ。投資するブランドを絞り込み、ブランド価値向上につながりにくい販促策は削減した。マーケティング効果を最大化するため、顧客ニーズを徹底分析し、新商品の発売や広告投入を厳格化した。デジタルマーケティングを活用し、広告と連動した店頭造りも行った。

 これによってマーケティング部門が大きく変わったという。

 「お客様のことを一番に考えることができるようになった。それまで社内の物事を決めるときに、社内の都合や部署の事情に左右されていた。それがなくなり、上の意見に左右されず、お客様の声を重視して商品開発に集中できる環境が整った」(山形氏)

 会社全体でブランドを育てる体制も生まれたという。

 「営業とマーケティングのコミュニケーションの質が向上した。店頭を含めて、お客様との接点があるのは営業だ。広告宣伝と、店頭販促が合致するようになった」(山形氏)

 こうした取り組みが好循環を生み出し、本麒麟を生み出す下地になった。大事にしたのはブレない戦略と成功体験による従業員のモチベーション向上だ。

 まずキリンビールの看板商品である「一番搾り」のリニューアルを手がけることになったが、ここで自分が手掛ける前から決まっていたリニューアル戦略を、味以外全て見直した。

 「引き継ぎで話を聞いたが、社内の都合や事情でできているのが透けて見えて、このままでは売れないと感じた。担当者は自信がなさそうで、腹をくくっていないように見えた。看板商品を建て直せば、会社も元気になるだろう。そのために何が正しいのか。社内の都合や事情で製品を作るのでは、工場で働いている何千という人たちも含め、ここで働く人たちに対する裏切りではないのか」(山形氏)

 再検討したフルリニューアルは成功を収め、これまでにない売り上げを記録した。最初は営業の現場から、キャチコピーとして味に関する言葉を求められたが、コク、キレ、さわやか、スッキリといった味の表現ではなく、おいしさをアピールした。

 「お客さんは何を求めているのか。ビールを選ぶ価値はおいしさに尽きるのではないか。コクやキレといった言葉は大事だが、それを作るのが仕事になってはいけない。ビール本来のおいしさを伝え、良さを再認識してもらい、飲みたいと思ってもらいたかった。それによってビール市場を活性化させたいというのが狙いだった」(山形氏)

モデレーターを務めた日経トレンディ編集長 佐藤央明氏(左)と語る山形氏(右)
モデレーターを務めた日経トレンディ編集長 佐藤央明氏(左)と語る山形氏(右)

顧客が本当に求めているものを知る

 本麒麟は18年3月に発売されると、3カ月で1億本に届く垂直立ち上げに成功し、第3のビールで大ヒットとなった。

 ヒットの理由を山形氏はシンプルに“おいしさ”だと語る。

 「それまで同様の商品を10品以上発売していたが、『のどごし<生>』以外は売れなかった。その要因を分析し、我々がビールと新ジャンルは別のものという考え方で製品を作っているのではないか、お客さんは新ジャンルの中から選んでいるわけではなく、ビールも含めたものの中から、ただおいしいものを選んでいるのではないかと考えた」(山形氏)

 国内市場は大手ビール会社4社でほぼ寡占している状態で、競合他社がある製品を出すと、その対抗商品を出すといった状態が続いていた。それは顧客が本当に求めているものではないのではと考えた。顧客を理解するためにスーパーの売り場に立って観察したという。

 「売り場に立って何時間も観察した。どういう人がどういう気持ちで製品を手に取り、買っているのかを知りたかった」(山形氏)

 山形氏は迷ったら店頭や駅で人を観察したり、テレビを見たりして、感覚的にどうしたら売れるかを考えるという。顧客からどういう学びがあるのだろうか。

 「例えば、お客様はスーパーでビールを真っ先に買わない。何か食品を買ってからビールを買う。そこで肉と一緒に買うのか、野菜と一緒に買うのかなどを観察した」(山形氏)

 買う人の気持ちを想像しながら観察すると、例えば主婦が嫌々買う場面も見かける。そういう人は新製品は買わずに、飲み慣れたものしか買わないという。そうした顧客の買い方を調べ、開発に生かした。

山形氏が登壇したセミナー「本麒麟が大ヒット! キリンを変えた聖域なき直球マーケティング」は大盛況だった
山形氏が登壇したセミナー「本麒麟が大ヒット! キリンを変えた聖域なき直球マーケティング」は大盛況だった

ヒットメーカーになりたいわけではない

 本麒麟は大ヒットした。2年目となる19年上半期は勢いが加速し、販売実績は前年比約8割増と大きく伸びている。だが、「ただのヒット商品」を作りたいわけではなかったという。

 「ヒットメーカーになりたいわけではなく、経営やビジネスの感覚でやっている。経営を考えると、2年目以降も販売が伸び続ける製品を作ろう、となる。ヒットを狙うと、そのときのトレンドを追ってしまいがちだ。しかし10年持つものを作ろうと思うとトレンドは追わなくなる。どこかの商品の物まねなどはせずに、長期的なプランや視点で作っている」(山形氏)

 2年目になると、すでに製品を知っている人が増え、買う理由が変わってくる。顧客にとって何が必要かを常に考え、ドイツ産ホップを使用するなどおいしさを突き詰めたリニューアルをして、CMも製品を認知してもらうためのものから大きく変えた。

 「1年目のCMで伝わるものだけでいいのかと考えた。業界自体を盛り上げたいと思い、製品だけでなく、それを楽しむシチュエーションやお酒の役割も含めてアピールすることにした」(山形氏)

 山形氏は広告会議にはほとんど顔を出さず、主要な部分だけ押さえて、あとは本職の人に任せている。山形氏にとって、マーケティングとは経営なのだという。

 「マーケティングは経営そのものだと思っている。経営とは、お客様に向けては価値を作ることであり、社員に向けては幸せを作ること。マーケティングとは、そうした経営のエンジンになるものだ」(山形氏)

 2年目も大きく伸びる製品は、ロングセラーになることが多い。経営の視点を持ったマーケティングで、本麒麟は定番ブランドになっていきそうだ。

(写真/稲垣純也)