対戦格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズのすご腕プレーヤーとして、ゲームファンの間で有名なゴールデンボンバーの歌広場淳さん。ゲームやeスポーツ関連のイベントで活躍する一方、ずっと好きだったゲームが仕事になったことで、悩みも生まれたという。ゲーム、そしてeスポーツへの見方はどう変わったのか。集中連載の2回目。聞き手はゲーム分野を長く取材してきたライターの稲垣宗彦。
――さまざまなイベントや催しも行われ、eスポーツの注目度が高まっていく渦中にまさにいた歌広場さんですが、ご自身の内面には何か変化はありましたか。
歌広場: この1年間、「eスポーツ」という言葉を何百回発したか分からないくらい、いろいろなメディアでお話しさせていただきました。その中で今回、このインタビューを受けるに当たって、正直になろうと思ったことがあって。
実は僕、この1年でゲームがとてもつまらなく感じるようになってしまったんですよ。『ストリートファイターⅤ』が好きということは変わっていないんですが、どういうわけか以前ほど楽しくないんです。
――それは何がきっかけだったんでしょうか?
歌広場: 僕は幼い頃からゲームが好きですが、その間ずっと「ゲームなんて無駄なこと」と笑われてきたんです。しかし、“eスポーツ元年”がやって来て、結果的にゲーム業界に関わることが仕事になっていった。そのときに気づいたのが、僕はどうやらゲームが持つ「自由さ」が好きだったということです。
初めて味わった「ゲームが楽しくない」という感覚
――ゲームを仕事にして「自由さ」が失われていった?
歌広場: 仕事として触れる以上、プレーに対してストイックであることを求められるのがeスポーツです。僕はここ1年でそれに気づいたんですが、実はもう10年も前に気づいていた人がいて、それがプロゲーマーの梅原大吾選手です。
梅原選手が日本で初めて「プロゲーマー」になったとき、それまで誰も考えたことがなかった「プロゲーマーの仕事って何なんだ?」という問題にぶつかった。そして出した答えが「日本で一番強くならなければ」ということでした。食事や睡眠、入浴などを除いた全ての時間、1日16時間もゲームに費やした結果、梅原選手はレバーに触れると気持ちが悪くなるような状態になってしまったと聞きました。プロとしてゲームが義務になった瞬間、全然楽しくなくなってしまったというんです。それと同じようなことを僕は今、経験しています。
子供のころにあれほど「行くな」「やめろ」と言われ続けてもゲームセンターに通っていたときは、まさかゲームが仕事になるとは思っていませんでした。賞金がもらえるどころか、バンバンお金を注ぎ込んでいたわけです。でも、それは自分が選んだ行動だったし、ゲームセンターにいることで「自由なんだ」という気持ちが味わえた。僕にはそこが楽しかったんですね。
一方で、仕事として接するようになると「これは言わないでください」とか「こういうふうに遊んでください」といった要求を受けることも出てきます。仕事である以上、もちろん必要なことなんです。
そのうえ僕は、2019年前半までを「芸能人最強ゲーマーの歌広場淳」として過ごさなければいけませんでした。メディアに出演するときは、「歌広場はゲームで負けなし」という前提が求められます。勝つことがあれば、負けることもあるのがゲームですが、負けることが許されない状態がずーっと続きました。そして、ふと気づいたんです。「なんだこれ、つまんねーっ! ゲームしたくねぇ!」って(笑)。
もう嘆きですよね。この視点って、プロゲーマーが陥る悩みと共通だと思うんです。僕はプロゲーマーではないし、その実力も伴わないのに、18年から19年まではプロゲーマーのように過ごさねばならなかったわけです。
見返りを求めてゲームを好きになったのか?
――僕は高校時代からゲームライターをしていましたが、ある時、好きだったゲームが「仕事」になったことに耐えられなくなり、趣味だった釣りを再開しました(笑)。
歌広場: 同じじゃないですか(笑)。これまでは「一番好きなものは何?」と聞かれて「ゲーム!」と迷わず答えてきた。それは、単純に楽しかったり、心に何かが深く残ったり、あくまでも個人の体験として完結する「趣味」だったからなんですよね。ところが、仕事となった途端、「どうでしたか?」と感想を聞かれ、それを表現することが求められるようになります。
――ゲームとの付き合い方が変わってしまったわけですね。
歌広場: はい。ちょっと話はそれますが、最近見た『愛がなんだ』(角田光代原作、今泉力哉監督、19年公開)という映画がとても良かったんですよ。主人公は、どうしようもなく薄っぺらい男の子に無償の愛を捧げる女の子。彼女は男の子に振り向いてほしいわけではなく、尽くして尽くして尽くし抜くことで、片思いという永遠のものを手に入れる。だからその男の子と両思いになった瞬間、愛が始まる代わりに、永遠だったものは失われてしまうというお話です。僕はそんな二人の関係に、僕とeスポーツを重ね合わせて見ていました(笑)。
僕はゲームに見返りを求めたことはなく、とにかく好きで、楽しかった。それがeスポーツとして注目され、仕事につながったり、お金が動いたりするようになったとき、見返りが来ることが急に怖くなってしまったんです。
映画には、主人公の女の子と同じように好きな相手に振り向いてもらえない別の少年も出てきます。その少年が主人公に「もう僕は降ります」「こんなことをやっていても何にもならないし、疲れた」と告げるシーンがあるんです。これに対して、普段はおっとりした主人公が人が変わったように怒るんですよ。「お前は見返りがあるから誰かを好きになったのか!?」と。
このシーンを見ているとき、このセリフは、これから先、僕が誰かに言われることなのかもしれないと思いました。
ずっとただ好きだったゲームから思いもよらずに生まれた見返りに、僕はショックを受け、くたびれてしまった。この見返りがなくなったとき、僕にとってのゲームは終わるんじゃないか?と思っていたところがあります。
そんな僕に、この映画は「見返りや義務があろうがなかろうが、そのままゲームを好きでいればいいじゃん」と言ってくれているような気がしたんですよ(笑)。
(この連載で前回お話ししたように)子供の頃の僕にとって、「ゲームは無駄なもの」だけど「自分で選んだ遊びだ」という自負がありました(関連記事「金爆・歌広場淳、「eスポーツ元年」の到来を視聴者の反応で実感」)。その頃を改めて思い出すというか、自分とゲームの付き合いにおける原点を見直すことが僕には必要だったんでしょうね。
同時に、eスポーツやプロゲーマーという概念がないまま、純粋にゲームを楽しむ時期を持てていたことは、僕にとっては幸せなことだし、恵まれていたんだと思いました。
テレビでもeスポーツの取り上げ方が変わった
――この1年で歌広場さんの中のeスポーツやゲームに対する感覚が変化したことがよく分かりました。一方で、eスポーツを取り巻く外的環境の変化もよく見えたのではないでしょうか?
歌広場: はい。1つは、eスポーツを取り上げる側の視点が変わってきた気がしますね。例えばテレビ番組なら、ときど選手や梅原選手といったトップクラスのプロゲーマーをカリスマ的な存在として扱うほうが作りやすいんですよね。でも、彼らはアスリートだから、勝つことも負けることもある。特別な存在と闇雲にたたえるのではなく、「アスリートとして努力しているからこそ、その強さが保たれている」というように、より深い部分までスポットが当たるようになりました。
一般のスポーツを扱う番組なら自然とやっていることですが、ゲームを題材にした番組にもそれが適用されるようになってきた。eスポーツに対する理解とリスペクトがより進んだからだと思います。
加えて、テレビ局やラジオ局でいろいろな方に「僕もゲーム好きなんですよ」と話し掛けられるようになりました。メディアにもゲームが好きな人は思った以上に多い。つまり、ゲームを好きじゃない人が番組を作っているわけじゃないんだということです。これに気づいて、少し安心しました。
ゲーマーの中には、「eスポーツがはやり始めて、ゲームを好きでもない人たちがわらわらと寄ってきた」という感覚を抱いている人がいます。でも、メディアの中から見ると、番組制作側にも分かっている人たちはたくさんいる。これはぜひ言っておかないと、と思っています。
――ゲームを知らない人が番組を作っているように感じるのは、ゲームが分からない人にも伝わることを狙ったフォーマットに落とし込んでいるからなのでしょうか?
歌広場: そうですね。以前は実際に分からないまま作っている人もいたかもしれませんが、今はそうではないケースが多くなってきたと思います。“演出”である場合もあります。
「これは発明だな」と思ったのは「お願い!ランキング」というテレビ朝日の番組。『ストリートファイターⅤ』で対戦中のゲームシーンを流すときは、残りの体力をわざわざ数字で表示するんです。ゲーマーからすれば、残りの体力なんて、体力ゲージを見れば分かるじゃないですか(笑)? でも、あえてそこに数字を併記する。「100」が「5」になれば、誰にでも「やべぇな」って危機感が伝わる。これはゲームをする人というより、テレビ番組制作の作法を熟知した人の発想ですよ。
これを見たとき、「僕らはゲームを知らない人に伝える努力を怠っていたんだな」と思い知らされました。“僕ら”っていうのは、ゲームを遊び、その魅力を広めようとしている人たち、ゲームを知ったつもりになっている人たちです。
――ゲームをよく知る人が経験によって見えなくなっている部分を上手に掘り起こしているんですね。
歌広場淳さん(以下、歌広場): ゲームを知らない人だからこそ、「おっ!」と思わせる伝え方を考えてくれる。歩み寄ってくれている感じがありましたね。
――eスポーツ関係者に取材すると、皆さん、見せ方の工夫を語ります。ゲームが遊ぶものから見せるものになるとき、その見せ方は課題でしょうね。
歌広場: 大会主催者や配信者、番組制作者だけでなく、プレーヤーの側もそこは課題ですね。「レッドブル・アスリート」(オーストリアの飲料メーカー、レッドブルの支援を受けるスポーツ選手の総称)の1人であるガチくん選手(金森識裕選手)と話したときのことなんですが……。レッドブルの支援を受けるのはアスリートとして名誉なことだし、ゲーマーとして近年は目覚ましい活躍もしています。だから「今、楽しいでしょう?」と軽く聞いてみたら、「楽しいけど、つらいっすわぁ。面白いコメント言えないんすわぁ」って(笑)。
本来プレーヤーに重要なのはそこじゃないようにも思うんですけど、本気で悩んでいました。プレーヤーにもそういうタレント性が求められているということなんでしょうね。
※3回目に続く
(写真/酒井康治=日経クロストレンド編集)

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