2020年2月、講談師・六代目神田伯山が誕生した。ここ数年、「最もチケットが取れない講談師」として話題をさらい、衰退の道をたどっていた講談が再び脚光を浴びるようになった。ラジオやYouTubeを活用して新たなファンを増やす伯山に、ヒットの理由を聞いた。
※日経トレンディ2020年10月号の記事を再構成
講談師
2020年2月11日、講談師・六代目神田伯山が誕生した。07年に三代目神田松鯉に入門、それから12年4カ月で「真打」に昇進し、44年ぶりに講談界の大名跡「伯山」を襲名したのだ。ここ数年、独演会のチケットは即完売するなど、「最もチケットが取れない講談師」として話題をさらった。
講談は、右手に張扇、左手に扇子を持ち、時折、目の前の釈台をたたきながら歴史上の物語を脚色して読む伝統話芸だ。かつて落語をしのぐほどの人気があったが、新しい大衆娯楽の台頭で、長年衰退の道をたどっていた。伯山は息を吹き返そうと、講談の入り口を広げる活動に徹してきた。17年からはラジオ番組「問わず語りの松之丞」(TBSラジオ)を持つと、18年に人気が急騰。広く知られる存在になった。「すべては講談のために」。学生時代から変わらぬ思いが、講談業界全体を動かしている。
――伯山を襲名してから、新型コロナの影響で昇進襲名披露興行の一部が中止になりましたが、率直な感想は。
神田伯山(以下、伯山) 不幸中の幸いだったと、我ながら思います。2月の新宿・末広亭を皮切りに浅草演芸ホール、池袋演芸場まで何とかできたんですが、そこらへんからコロナのニュースが連日流れ、地方での興行、東京の寄席も4~5月いっぱいまでほとんど中止になりました。考えようによっては、コロナ前の最後の最後に、大きな花火を打ち上げることができたかなと思います。
(立川)談志師匠がよく言っていた「囃(はや)されたら踊れ」じゃないですが、この2、3年は忙しくて、踊らなければいけない時期でした。特に19年は寄席などで年間700席やってましたから。もともと真打に上がるタイミングで一息つこうと思っていましたので、今回の休みになった時間を活用し、講談に向き合ういい転換期だと思っています。
――講談ができない間、テレビやラジオでの活躍が目立ちました。
伯山 講談のために何ができるかを考え、名刺を配るような感覚で、広告と思って、時間を割いていました。基本、テレビは苦手で向いていないのですが、2つのレギュラー番組のスタッフさんが頑張ってくれています。ラジオ番組は別で、僕が面白いと思っていることを忠実に再現できる場です。何度も録音して細かくチェックして楽しんでいるので、仕事の域を超えてもはや趣味ですね(笑)。ストレス発散の場でもあるし、自分と世間との懸け橋となる場所だと思って臨んでいます。
――懸け橋といえば、伯山襲名と同時にYouTubeチャンネル「神田伯山ティービィー」を開設。20年7月には、第57回ギャラクシー賞のテレビ部門・フロンティア賞を受賞されましたね。
伯山 色々な人のおかげです。今まではテレビやラジオからライブに来てくれる人が多かったですが、今はテレビやラジオからYouTubeを挟んで聞きに来てくれるようになりました。こういった状況ですから、様々な理由で寄席に足を運べない人が多いでしょう。そういう人にもアプローチできるので、家に居ながら楽しんでいただき、いつか来てもらうための“将来への種まき”とも考えています。
――ご自身がヒットしていると感じ始めたのはいつごろですか?
伯山 大きい意味では、18年にフジテレビの「ENGEIグランドスラム」に出演したことですかね。テレビでおなじみの一流の漫才やコントの中に入って、講談ができたのは非常に重要なポイントでした。おかげさまで、SNSなどで講談の評判が良くて、ホッとしました。
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