ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドなどの東欧諸国でIT産業が発展していることは、日本のメディアでも見かけるようになった。2019年夏に定住旅行(ローカルの家庭に滞在し、その文化や暮らしを伝える)で滞在している、ロシア連邦国内のタタールスタン共和国でもIT産業の進展が著しい。

人口120万人、ロシア第3の都市カザン
人口120万人、ロシア第3の都市カザン

大統領の愛称は「ルスタム・コンピューター」

 日本の東北6県に相当する面積約6万8000平方キロメートルに、人口388万人が暮らすタタールスタン共和国。そのうちロシア人は39%、タタール人は53%を占め、言語もタタール語とロシア語が使われている。タタール民族はロシア最大規模の少数民族で、ロシアだけではなく、世界中にタタールコミュニティーが存在する。ちなみに東京・代々木上原駅近くにある日本最大のイスラム教寺院「東京ジャーミイ」も、タタール人によって建てられた。

 首都カザンを訪れて誰もが感じるのは、恐らく「リッチでモダン」という第一印象だろう。人口は約120万人。市内にはボルガ川をはじめ、カーマ川、カザンカ川と水が大変豊富な美しい都市だ。

 サッカーワールドカップ(W杯)2018ロシア大会で日本代表がキャンプを張ったカザンでは、W杯開催中に5G(第5世代移動通信システム)が試験運用された。また日本貿易振興機構(ジェトロ)欧州ロシアCIS課によると、19年6月6日にロシアの携帯電話事業者大手モバイル・テレシステムズ(MTS)がスウェーデンの通信機器大手エリクソンと、カザン郊外の特区「イノポリス(Innopolis)」で、スマートシティー分野の5Gソリューション開発について合意したばかりだ。

水泳専用施設。カザンではユニバーシアード大会、世界水泳選手権、ヨーロッパ柔道選手権大会、サッカーW杯など国際的なスポーツ大会が毎年行われており、ロシアのスポーツの中心地としても知られている。市内には巨大なスポーツ施設が建設されており、プール、バスケットボール、スタジアム、ホッケーなどの立派な専用施設がある
水泳専用施設。カザンではユニバーシアード大会、世界水泳選手権、ヨーロッパ柔道選手権大会、サッカーW杯など国際的なスポーツ大会が毎年行われており、ロシアのスポーツの中心地としても知られている。市内には巨大なスポーツ施設が建設されており、プール、バスケットボール、スタジアム、ホッケーなどの立派な専用施設がある

 タタールスタン共和国のルスタム・ミンニハノフ大統領は、国民から「ルスタム・コンピューター」という愛称で親しまれている。それほど彼はIT産業の発展に力を入れている。そんなルスタム大統領と、12年当時ロシア大統領を務めていたメドベージェフ(現ロシア首相)氏の構想によって作られたのがイノポリスだ。15年6月にソ連以降初めて創設されたロシア新興都市の1つで、ITに特化したイノベーションを生み出す科学特区である。

IT産業に力を入れるタタールスタン共和国ルスタム・ミンニハノフ大統領
IT産業に力を入れるタタールスタン共和国ルスタム・ミンニハノフ大統領

 近代的な建物、ゴミ1つ落ちていない道路、管理された芝生――。イノポリスの街全体や建物はシンガポール人の建築士、リュー・タイ・キブロン(LIU THAI KER)氏の設計によるもの。市内には1006世帯が暮らし、すべてのマンションには即日入居できるように、家具や電化製品などがそろっている。ちなみに家賃は3DKで月額1万ルーブル(約1万7000円)と、カザンと比較して半額以下だ。

建築家リュー・タイ・キブロン氏が設計したオフィスデザイン
建築家リュー・タイ・キブロン氏が設計したオフィスデザイン

 市内にはIT系の大学、学校、幼稚園があり、授業はすべて英語で行われている(大学の哲学と一部歴史講義を除く)。ヘルスセンターやスポーツセンターも完備されており、スビヤガの丘ではゴルフやスキーが楽しめる。18年8月には「ロシアのグーグル」といわれるインターネット大手のヤンデックスが、欧州初の無人タクシーを試験導入したことでも話題になった。イノポリスを取材した際も、ドライバーのいない無人タクシーが当たり前のように走っていた。

ドライバーなしでイノポリス内を走るトヨタ車
ドライバーなしでイノポリス内を走るトヨタ車

 過去にドイツの化学製品会社で働いていたイノポリス最高経営責任者(CEO)のレナット・ハリモフ氏は、今後の展望についてこう語る。

 「ITは英語とコンピューターがあれば、どこでもビジネスができる世界。そういった面では、世界中に競争相手がいる。タタールスタンのITの発展は目覚ましく、素晴らしい才能を持った人が多くいる。我々のミッションは、最高レベルの革新的な環境やエコシステムを提供し、若い人を含めここにとどまってもらうこと。24年までには人口を5万人に増やし、イベントなどを積極的に行って異業種間でのイノベーションが生まれやすい環境を整えていきたい。先の話だが、CIS(独立国家共同体)とも手を取り合っていけたらと思う」

イノポリスCEOレナット・ハリモフ氏
イノポリスCEOレナット・ハリモフ氏

インキュベーション施設「ITパーク」も活発に動く

 ITの発展に寄与しているのはイノポリスだけではない。カザンの中心にも「ITパーク」と呼ばれるハイテクパークが存在する。イノポリスほどの規模ではないが、Windows 10の世界初のイベントが行われたりと、イノポリスのパートナーとして活発に活動しているインキュベーション施設だ。

ITパーク内にあるスタートアップがプレゼンを行うスペース
ITパーク内にあるスタートアップがプレゼンを行うスペース

 09年にオープンしたITパークは、タタールスタン国内にカザンとナーベレジヌイェ・チェルヌイの2カ所ある。19年7月現在、112の大手IT企業と30のスタートアップ企業の、合計142の企業が入居している。ITパークCEOのアントン・グラチェフ氏は、現在の取り組みや将来の展望についてこう説明する。

30社以上のインキュベーションカンパニーの人々が働くセクション
30社以上のインキュベーションカンパニーの人々が働くセクション

 「ITパークはもともとアラブカ経済特区で働いていた人のアイデアから始まった。政府が投資していたこともあり、一時期外国企業を追い出してタタールの企業だけをサポートする時期もあった。今では起業して間もない会社が常に25~40社入居している。無事ローンチできるのは全体の20%だが、決して低い数字ではないだろう。我々のビジネスは主にカザンを対象にしているが、中国やチェコ、フィンランド、トルコ、米国などのパートナー企業探しも支援する。週末にはイランなどの中東イスラム教国に対して、スタートアップビジネスをサポートするためのワークショップも開いている。現在は中国に支社を開設して、ハードウエア企業と一緒にパートナーシップを組むことに取り組んでいる。ロシアはITエンジニアが不足しているので、優秀なエンジニアをたくさん供給するのも我々の役目だ」

 19年8月には、世界67カ国が参加する「国際技能競技大会(WorldSkills Competition)」が開催されるカザン。タタールスタンが誇る農業、石油、人材、スポーツなどのリソースを活用した、IT産業に対する革新的な取り組みは今後も加速していくだろう。

(次回につづく)

ITパークCEOのアントン・グラチェフ氏(写真中央、写真右は筆者)
ITパークCEOのアントン・グラチェフ氏(写真中央、写真右は筆者)

(写真/ERIKO)

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