近年、フィンテック領域を中心として、時限的あるいは地域的に規制を緩和する制度が注目を集めている。「規制のサンドボックス制度」と呼ばれ、2015年以降、英国やシンガポールで先行。日本でも18年から企業レベルでの規制緩和措置が試験的に実施されている。中国では制度化されてはいないものの、実質的に同じような政策が長年取り入れられてきた。
『WIRED日本版』の2019年9月発売号が「ナラティヴと実装」をテーマに特集を組み、規制とスタートアップの関係を議論している。同特集で、ベンチャーキャピタリストであり、また『規制のハッキング:スタートアップのための作戦帳』(未訳)の著者であるエヴァン・バーフィールドは、米国のスタートアップ業界を念頭に、規制を無視して「破る」のではなく、当局とも協調しながら乗り越える、つまり「ハッキング」することの重要性を説く。中でも強調されるのは新たなサービスの提供者が公益のための「ナラティブ(物語)」を語ることの重要性で、イーロン・マスクの「テスラは社会の石油への依存度を下げるために存在する」という発言を紹介している。
中国にはサンドボックス制度の概念や「ナラティブ」が、期せずして全く別の系譜で存在している。中国には経済特区の設置に代表されるようなパイロットプロジェクトが過去40年の「改革開放」の時代に一貫して大きな役割を果たしてきた。パイロットプロジェクトは、中国語では「試点」と呼ばれる。1978年以降の市場経済化の流れの中で、改革のスタート地点である計画経済には外国企業も土地売買も存在していなかったため、外資企業の認可や土地使用権の売買に代表されるような市場経済の制度を段階的に導入してきた。このために「法律はまだ明文化されていないが、改革の方向性に合致しているので問題とならない」というグレーゾーンが断続的に発生する状況が続いた。
政府もそれを前提に「地方での実験」「リスクの評価と制度の再設計」、そして「全国への普及」というアプローチを採用してきた。78年の市場化改革の模索の段階では、私営企業の立場自体が法律的に明確でなく、この状況では「この地域では地元政府が自営業者を取り締まらない」ということ自体が、地域的かつ実験的な規制緩和を意味していた。そのグレーゾーンでの民営企業の活動を正当化する「グランド・ナラティブ(大きな物語)」は、鄧小平の言葉である「発展こそが根本的道理(発展才是硬道理)」だった。イノベーション都市・深セン市にはいまでも鄧小平の銅像が立ち、スローガンが残っている。極論すれば、この都市はスティーブ・ジョブスのスローガン、「ハングリーであれ、愚か者であれ」を必要としなかったのである(無論、実際にはジョブスの言葉は深セン市にあふれているけれども)。
中国政治の研究者であるセバスチャン・ハイルマンはその著書『レッド・スワン いかに非主流的な政策立案が中国の台頭をもたらしたか』(未訳)で、中央政府と地方政府の試行錯誤とパイロットプロジェクトの役割を強調している(彼は中国政府の政策立案パターンを「ゲリラ式政策立案」と呼んでいる)。鄧小平の著名な発言である「川底の石を触りながら川を渡る」(川の手前が計画経済、向こう側が市場経済を意味する)もこうした試行錯誤の様子を伝える言葉である。経済特区の設置といった上からの政策にとどまらず、集団農業の解体も、民営企業の自動車産業への参入も、常にその行為の時点では法的にはグレーゾーンであっても、経済合理性のある限りにおいて、つまり「発展」に寄与する限り、寛容に対処されてきた。総じてこれらの過去の逸話は、中国が先進国へと追いつく、すなわち「キャッチアップ」のために活用されてきた発展のアプローチだったと言える。
このコンテンツ・機能は有料会員限定です。
- ①2000以上の先進事例を探せるデータベース
- ②未来の出来事を把握し消費を予測「未来消費カレンダー」
- ③日経トレンディ、日経デザイン最新号もデジタルで読める
- ④スキルアップに役立つ最新動画セミナー