西友やドミノ・ピザ ジャパン、イトーヨーカ堂などでマーケティング部門の要職を務めてきたプロマーケターの富永朋信氏が2019年7月、AI(人工知能)開発のプリファードネットワークス(PFN、東京・千代田)に入社したことが分かった。その意外な転身の理由は? 本人に直撃した。
西友やドミノ・ピザ ジャパン、イトーヨーカ堂とBtoC企業を渡り歩いてきた富永さんがBtoB、しかもAI企業のプリファードネットワークス(以下、PFN)に入社されるとは驚きでした。
BtoBだけというわけではないんですよ。実はPFNがこれからパーソナルロボットを展開していく予定なので、そのマーケティングを統括するのが私の最も分かりやすい仕事です。
PFNがパーソナルロボットですか?
PFNはトヨタ自動車が開発するHSRというロボットを使ったお片付けロボットシステムを開発していて、2018年のCEATECで展示していました。「すべての人にロボットを」と題したCEATEC基調講演でPFN社長の西川がコンセプトを語っています。実際のロボットによる片付けのデモも体験しましたが、かなり感動しますよ。
具体的には?
「これをそっちに持っていって」とかね。機械学習をやればできると分かっていても、「ああ、こんなこともできるのか」って思いますよ。一人暮らしで、乱雑に散らかした部屋が夕方帰って来てすっきり片付いていたら、ちょっと感動しませんか。あるいは共働きの夫婦が朝2人で家を出て、どちらかが帰って来たときにきれいになっていたら、やっぱりうれしいですよね。
そもそもPFNと接点があったんですか。
西友のときの同僚がPFNのCFO(最高財務責任者)で、その彼がロボットのマーケティングについて相談してきたのがきっかけです。ただ、実はまだその前身のプリファードインフラストラクチャーの時代に西川や副社長の岡野原と話す機会があって、「こんなに頭が切れるやつっているんだ」とびっくりしたことは覚えていました。エリック・シュミットとかビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズみたいな人が日本から出てくるとしたら、こんな人たちだろうなと。
PFNって特異な会社なんです。社員が今250人くらいいると思いますが、大半がエンジニアで、それもきら星みたいな天才ばかり。話をしていると、高速で会話が進むようなキレキレの人たちしかいない。普通、世の中の組織ってキレキレが2割でそれ以外が8割という気がするのですが、その8のほうがいないのではと思うくらいです。
何かを作り出すときは、まずシーズからアイデアが生まれ、そのアイデアを企画みたいにまとめていって、それを形にしていくのが定石。しかし、そういう作法とは全く違う形のものづくりができるのではと思っています。
さらに、一般的な商品開発では設計図が必要。クルマで言うと、エンジンがあってタイヤがあってボディーがあってみたいな決め事があって、だからエンジンはお前ねとか、かっちり決め込んだ工程がありますよね。それはラインという労働集約的なものがあって、人を全体の中の部分として使うような仕事の仕方になるわけです。
それがあれだけ賢い人たちがそろっていると、大なり小なりの全体図の中の部分をモジュール化して作るようなプロセスをすっ飛ばして、部分を統合することなく、何となくまとまってくるみたいなことが起こる感じがしています。そういう意味で、開発の常識の向こう側が見えるのではと。
例えば「深層学習で最高の棚割りを作ろうぜ」みたいなテーマだけがあったら、いろんなところから面白いアイデアや視点が沸いてくる中を自分が巡回し、「これは面白い」みたいな感じで取り入れていくだけですごいものができるんじゃないかという感じがするんですよね。
そう思ったきっかけは。
開発中のパーソナルロボットのエンジニアと何回か話をしているんですけど、その人たちの物の見方とか、飲み込みの速さとか、視座とか、あとはコラボラティブなスタイルですかね。さらにこれは会社のカルチャーも絡むと思いますが、自分の意見に固執しないで、いいものはいいと認められる姿勢とか。そういう姿勢を下支えする空気とか風土みたいなものがあるんだと思いますね。
リテールに未練はありませんか?
逆にPFNが富永さんに求めるものは何だと思いますか。
ロボットのマーケティングが大きいと思いますが、パーソナルロボットを展開するためのローンチプランやコミュニケーションプランを作るといったことはすごく表面的なこと。マーケティングのコアにあるような複雑なものを整理して言語化するとか、コンセプト化するといった、マーケティングのもっと奥にある本質的部分の生きる余地がすごくあると思います。
ただ自分も型破りな星の一部にならなきゃいけないので、フレームワーク偏重の仕事の仕方とか、マーケティングってこういうものみたいなことは、厳に慎まなくてはいけない。経験豊かなCMOが新たな職場に行くと、踏んできた場数とか経験など、百科事典的な役割を求められることがよくあるんです。こういうときにどうすればいいですかって。でも、さっき申し上げた、複雑なもののシンプル化や言語化、コンセプト化といったことが、自分の提供できる価値だと思っています。
だから、今までの成功体験は全然通じないんじゃないかと。人間ってOSとメモリーとアプリがあったら、アプリで勝負するでしょう。でも、ここではOSで勝負しなきゃいけないような感じですね。
リテール(小売り)から離れることに未練はありませんか。
それはありますね。リテールはやっぱり面白くて、特にAI的な話をすると、店舗ってデータポイントの宝庫。ビッグデータやそれをベースにした機械学習って、今まで使われていなかったデータポイントに着目し、そこでダイナミックなデータを収集して既存のダイナミックなデータと組み合わせてといったことをやるわけですよ。
リテールは何しろ自前の店があるから、いろいろなデータが計測できるわけですね。そのデータポイントから離れるのはちょっと寂しいですが、まあAIの会社へ行ってもリテールの仕事をすればいいわけで(笑)。
リテール業界に足掛け10年以上いたわけですが、その経験はPFNでどのように生かせそうでしょうか。
機械学習や深層学習がよく利く分野の1つがリテールだと思います。コンピューターは最適化や予測シミュレーションが得意。それをお菓子の棚だけでも商品が何百、何千とあるスーパーマーケットで人間がやるとしたら、「今日はこれが何個売れたから、明日は何個発注しよう」みたいなことを一つずつ計算しなきゃいけない。機械学習があったら、それを一気に処理できる。自分のリテールの経験と深層学習的な知見が掛け合わされると、相当面白いんじゃないですかね。
「そういう働き方もあり」という形を示したい
PFNをベースにしつつ、古巣のイトーヨーカ堂でも顧問を務めるそうですが。
それ以外に、セルムという人財・組織コンサルティングの企業でも顧問を務めます。そういう働き方ってちょっといいと思いません? 滅私奉公みたいな感じで1社に人生をささげるより、自分の中に立っているいろいろなアンテナをそのときの優先順位や興味の度合いによって配分できている感じがするじゃないですか。
より大事なこととして、いろいろなところで違う仕事をやっていると、新しい化学反応があると思うんですよ。ずっと同じ会社にいて同じ議論ばっかりしていると、どんどん視野が狭くなる。複数の企業で働くと、その逆の作用が大きいんじゃないかと。「あの時この案件で使った視点はこっちにも使える」みたいな感じで、ものすごくいいことだと思っています。
数々の大手BtoC企業でマーケティングの要職を務めてきた富永さんにとって大きなチャレンジのように思えますが、躊躇(ちゅうちょ)はありませんでしたか。
それは今までやってきたことを捨てるのはもったいないという現状維持バイアスが働いているのだと思いますが、それって合理的な判断の敵ですよね。プロスペクト理論で、損失を2倍重く評価しちゃうみたいな話があるじゃないですか。それをちゃんと踏まえてないと、理知的な判断はできないと思います。
型破りであることが大事だと思うんですよ。日本マクドナルドからナイアンティックに行った足立光さんも型破りじゃないですか。「そういう働き方もありだな」ということを自分で示すことができる。自分の場合もそうだと思いますが、そうじゃなかったらそういうふうに仕事する人、出てこないじゃないですか。だから、誰かがロールモデルをつくらないと。そういう人が増えたら楽しいじゃないですか。
いろいろな会社で仕事をするのは、マーケターにとってプラスに作用すると。
「百利あって一害ない」と思いますよ。しかもそれは、よく言われるような収入的なことでは全くないと声を大にして言いたい。それよりも、いろいろな種類の刺激をいろいろな方向から受けたり、いろいろな課題を深く没入して考えたりすること、この相乗作用が真の果実だと思います。
「マーケターの人生とお金 理想と現実」を語ります
日時 7月24日(水) 14:00~15:30
会場 赤坂インターシティコンファレンス(東京・赤坂)
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