※日経トレンディの記事を再構成

キリンビールの反転攻勢が続いている。「キリン一番搾り」のリニューアル成功や「本麒麟」の大ヒットにより、ビール類の販売は2年連続で前年超えになる見通し。その立役者が、2017年にマーケティング部長に抜擢された山形光晴氏だ。

キリンビール 常務執行役員
マーケティング本部マーケティング部長 兼 マーケティング本部マーケティング部商品開発研究所長

山形光晴氏

1976年生まれ。99年、慶應義塾大学経済学部を卒業、同年4月にプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)社入社。入社後は、一貫してマーケティングを担い、日本、シンガポールでヘアケア商品などのブランドマネージャーを務めた。2013年8月に、日本における化粧品事業のマネジメントを担うビューティケア事業部長となり、14年10月にはブランドオペレーション担当のアソシエイト・マーケティングディレクターとして新規ブランドの立ち上げを行った。15年8月、キリン入社。17年3月、キリンビール マーケティング本部マーケティング部長就任。19年3月より現職

『売れる商品が、事前に反対されなかったことはない
これしか答えはない、と腹をくくれるまで突き詰める』

 「これ、新しい」と感じる商品作りをする会社に、かなりの確率でプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)出身のマーケターがいることをご存じだろうか。日用品の世界的企業、P&G流のマーケティングをたたき込まれた猛者が、日本企業のものづくりを変えようとしている。その最前線に立つのが、17年からキリンビールに在籍する山形光晴氏だ。重厚な伝統を背負う老舗ビール会社で、山形氏が今、大なたを振るい次々とヒット商品を生み出している。

 18年3月にデビューした第3のビールの新ブランド、「本麒麟」。出荷調整が必要なほどの垂直発進を果たし、19年1月、早くも味を向上させるリニューアルをかけた。さらに売れ行きは加速。19年2月、同社の過去10年間の新商品で最も早く、4億本出荷という大台に乗せた。

「本質的な価値」を知るための調査

 「当然のことに聞こえるかもしれませんが、お客様が何を求めるかをゼロから考え抜いた結果です」と、山形氏は言う。

 同社の第3のビールは、05年に誕生した「のどごし〈生〉」という強いブランドがある。のどごし〈生〉の誕生以来、キリンは第3のビール市場でシェア首位を保っていたが、ライバルとの闘いは激しかった。07年にはサントリーが「金麦」、08年にはアサヒビールが「クリアアサヒ」を出した。17年には「クリアアサヒ」ブランドから出た糖質ゼロをうたう「贅沢ゼロ」の好調により、アサヒビールにシェア首位を奪われるということも起きた。

 競争が激化するなかで、手をこまねいていたわけではない。これまでに同社は12回も第3のビールの新商品を立ち上げてきた。例えば17年には、のどごしシリーズから「キリン のどごし スペシャルタイム」を発売したが、翌年には終売となったように、どれも定着しなかった。

 「これまでにどんなことをして、何が良くて何が失敗だったのか。すべての商品データをつぶさに洗い出しました。しかしこうした『定量調査』はただの出発点にすぎません。そこからさらに徹底的な『定性調査』、つまりお客様に直接会って、第3のビールに求めるものや試作品についてどう思うかなどをインタビューする調査をしました。従来の10倍は言い過ぎかもしれないが、かなり時間をかけてやったのは確かです」

 これだけ調査をする理由は、「本質的な価値は何か」を突き止めるためだ。どの仕事をするときも、ここに立ち返る。「考え方の癖のようになっているかもしれません」。

 その結果分かったことは、低価格ビールでも、本格的な味で飲みたいというニーズがあるということ。すっきり飲めることを目指しがちだった第3のビールに、「本物のビールのようにおいしい」という新機軸をもたらした。

 「これまでにない画期的な技術を開発したわけではないんです。キリンには、おいしいものが作れる技術力がもともと明らかにある。それを最大限生かす商品開発をしました」

P&G時代につかんだ「競合と競争しないマーケティング」

 山形氏が、キリンビールで最初に手掛けたのは、17年の「一番搾り」のリニューアル。縮小するビール市場で30年の歴史があるロングセラー商品をどう伸ばすのか。彼が選んだ戦い方は、非常にシンプルだった。「ビールっておいしい」という体験を素直に伝えたのだ。

 この成功の法則は、山形氏がP&Gでシャンプーブランドの「パンテーン」でとった戦略を振り返るとよく分かる。

 「消費財とビールは一見遠いように思えますが、似た業界構造なんです。つまり新規参入が少なく、競合が限られている。そのなかでやってしまいがちなのは、競合他社との比較を打ち出すことに躍起になってしまうこと。『A社の商品よりも優れている』ということを言わんとするあまり、お客さんが本当に欲していることから離れてしまうことがあるんです」

 例えばパンテーンの場合、商品のコンセプトは「輝く髪」。他社商品よりもいかに輝くのか、前回がシルクのように輝くとうたったから、今度はダイヤモンドだろうか……といった状態で、どんどん発想が狭くなっていた。

 そこで考えたのは、「お客様はシャンプーに何を求めているのか」ということ。おのずと出てきた答えは、ダメージを補修して以前のいい状態をキープしたいという実利的なニーズだった。そこで、ダメージケアの発想を打ち出し、洗い流さないトリートメントなどの開発に力を入れた結果、数パーセントだったシェアは10倍にもなった。

 ビール業界でも同じ発想で考えたリニューアルの結果、一番搾りは歴代シリーズ最高売り上げを達成した。

 「競合商品がコクと旨味をうたっているなら、キレを追加したらどうか……などと、競合他社を見て売り方を考えていると、それは本当にお客様が求めている価値とは離れてしまう。そんなにお客様は、他社との味の微細な差を求めているんだろうか。キリンビールはビールの本流をつくってきた会社です。その会社が自信を持って、ビールっておいしいんだと打ち出し、お客様がそう感じる体験をもっと増やすことが先決だと考えたんです」

 商品群を縦軸と横軸に分けてプロットする、四象限マトリクスのマーケティング手法も否定した。

 「市場を4つに分割してブランドポジションを分析し、この分野に競合商品がなく空いているといいというのは、社内の書類を書くには都合がいい論理。しかしそれではお客様のニーズは理解できません。同じカテゴリーの商品でも、売れるものとそうじゃないものがあり、その違いが何かを見つけることが大事なんです」

社内の反対意見を説得しようと思わない

 こうした山形氏の斬新な考え方は、長いものづくりの歴史を持つキリンビール社内で、戸惑いを呼んだことだろう。例えば本麒麟は、真っ赤なパッケージに、同社の象徴である聖獣をあしらった。社内でも、これまでとあまりにも違う案には反対の声が出たという。それをどう説得したのかを尋ねると、山形氏は笑った。

 「説得しません。売る前に、心を一つにまとめるのは不可能です。僕の知る限り、売れるものは事前に反対意見が出なかったことがありません。300%の努力で、これしか答えはないと確信できるまで突き詰めて、腹をくくる。それができた人の意見だけを聞きます」

 山形氏が腹をくくるとき、「お客様の24時間を想像し、商品を手に取って買う絵が浮かぶ」という。浮かばないときはスーパーの飲料売り場に何時間でも立ち、観察する。「売り場の前は寒いので厚着したいが、夏場は怪しまれます(笑)」。

 令和時代にはどんなヒット商品を作るのかと尋ねたら「分かっていても絶対に言いたくない」と笑いながら、こう言った。「パーソナルなものが求められるというトレンドは、間違いなくある。ものづくりを変えるチャンスが来ます」。

ヒットをつくる人の素顔
Q:仕事の情報源は?

A:自宅にいるときは、テレビで民放の番組をつけっぱなしにしている。今どんなことがはやっているかが入ってくる

Q:座右の銘は?

A:エリック・リースの『リーン・スタートアップ』。大企業でも持ちたい考え方がある

(写真/タナカヨシトモ)

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