革新的マーケターを選出する「マーケター・オブ・ザ・イヤー2019」の2人目は、PayPay(東京・千代田)の藤井博文マーケティング本部長。QRコード決済「PayPay」は100億円を投じた還元策を2018年12月に実施し、後発ながら他に類を見ない早さで利用者を獲得。登録者数は700万を超えた。100億円を利用者への還元に活用することの決断力、大きな影響を市場に与えたことが評価された。同企画は「景品表示法の限界」への挑戦から生まれた。

日経トレンディ「2019年ヒット商品ベスト30」3位に「PayPay」が選ばれた。キャッシュレス決済を普及させたPayPayは、どんな仕掛けで成功したのか。仕掛け人のインタビューを紹介する。(11月1日追記)

※選考条件や評価項目、その他の選出マーケターは、第1回の記事「革新的マーケター6人を選出!マーケター・オブ・ザ・イヤー2019」

PayPay コーポレート統括本部 マーケティング本部 本部長 藤井博文氏。1998年、東海デジタルホン入社。その後、社名変更ならびに会社合併によりジェイフォン、ボーダフォン、ソフトバンクモバイルと転じ、2009年5月よりソフトバンクマーケティング本部サービスマネジメント部長。プロダクトマーケティング本部統括部長、サービスコンテンツ本部統括部長を歴任。18年8月より現職
PayPay コーポレート統括本部 マーケティング本部 本部長 藤井博文氏。1998年、東海デジタルホン入社。その後、社名変更ならびに会社合併によりジェイフォン、ボーダフォン、ソフトバンクモバイルと転じ、2009年5月よりソフトバンクマーケティング本部サービスマネジメント部長。プロダクトマーケティング本部統括部長、サービスコンテンツ本部統括部長を歴任。18年8月より現職

 「ここ最近の愛読書は『エッセンス景品表示法(古川昌平著)』」。PayPayコーポレート統括本部の藤井博文マーケティング本部長にマーケティング業務のバイブルを尋ねると、その返答はあまりにも意外だった。だが、この本こそが、18年12月に話題をさらったPayPayの100億円還元キャンペーンの成功に欠かせない1冊だった。

 PayPayを利用して支払った金額の20%を全員に還元(上限5万円)。さらに40回に1回、抽選で全額(最大10万円まで)がキャッシュバックされるキャンペーン「100億円あげちゃうキャンペーン」は、読者にとっても記憶に新しいだろう。18年12月3日の開始と同時に、瞬く間に参加者が拡大。わずか10日間で、キャンペーン予算の100億円が底を尽きた。藤井氏は同企画の責任者だ。

QRコード決済「PayPay」は、100億円を投じた還元策で一気に市場シェアを獲得した
QRコード決済「PayPay」は、100億円を投じた還元策で一気に市場シェアを獲得した

 その効果は絶大だった。10日間のPayPay利用者数は、190万人を記録。登録者数はサービス開始から約半年で700万人を超え、累計のトランザクション数は5000万件を超えた。「ソフトバンクグループの歴史を振り返っても、類を見ない早さで認知と利用者を獲得できた」と藤井氏は言う。

キャンペーン成功に3つのこだわり

 PayPayはQRコード決済市場で後発に当たる。参入に当たり、藤井氏は巻き返しには「分かりやすさ」「利用者へのインパクト」、そして「面白さ」の3つを満たすマーケティング施策が必要になると考えた。「施策のゴールはブランド認知、利用登録、そして支払いへの利用までのカスタマージャーニーの初期段階を体験させること」(藤井氏)。QRコード決済市場はまだそれほど広がっておらず、3つのポイントを満たす施策で、最初のQRコード決済利用者をPayPayで獲得できると考えた。

 ただし、単にテレビCMを大量投下するだけでは、利用まではつながりにくい。必然的にアプリをダウンロードして、利用したくなるキャンペーン設計が求められた。「プロモーションとキャンペーンの予算配分はかなり議論した。だが、『分かりやすさ』を追求するには、直接利用につながるオファーが一番」と藤井氏は判断した。オファーとは、利用することで得られるキャッシュバックを指す。

 まず、いくらの還元なら、「利用者へのインパクト」を出せるのか。藤井氏が過去にグループで実施した事例を調査したところ、旅行予約サービス「Yahoo!トラベル」で実施した、20億円を投じたキャンペーンが最大規模だった。ここから、その5倍の100億円であれば、世の中に大きな影響をもたらす金額になるのではないかという結論に至った。数字でみてもキリが良い。

 キャンペーンの裏テーマとも言えるのが「景表法への挑戦」だった。100億円という枠組みの中で還元率を何%にするか。当初は、支払金額の20%よりも低い還元率を検討していた。しかし、低率の還元ではインパクトを生み出しにくい。そこで、「日本の法律で定められている限界はどこか。予算枠を思いっきり使い、突き詰めることを決めた」(藤井氏)。ここで、藤井氏のバイブル「エッセンス景品表示法」の登場だ。法に抵触しないキャンペーン設計をする上で、徹底的に読み込んだという。

還元率を20%に定めたワケ

 例えば、還元率を20%と定めたのも、それが理由。景表法では来店、購入といった特定条件を満たした人に漏れなく提供される景品を「総付景品」と呼ぶ。この総付景品は、「取引価額の10分の2」が最高額として定められている。つまり、20%は景表法上、上限いっぱいの還元率なのだ。

 また、くじなどの偶然性によって提供する景品は「一般懸賞」と呼ばれる。こちらは、取引価額5000円以上で、最高額10万円と定められている。また、懸賞にかかる売上総額の2%が総額となる。藤井氏が追い求めたキャンペーン最後のポイント「面白さ」。これを実現するために開発した、抽選で最大10万円まで全額が還元されるくじ企画は、一般懸賞の限界を満たしているわけだ。まさしく、景表法の限界を追い求めた結果だった。

100億円還元キャンペーンは3つのポイントを重視して設計した
100億円還元キャンペーンは3つのポイントを重視して設計した

 抽選で全額還元になるキャンペーンそのものは、珍しくはない。だが、PayPayは決済サービスであることが、このキャンペーンの魅力をさらに引き出せると考えられた。例えば、PayPayに先駆け、ファミリーレストラン事業のガストが20組に1組が無料になるキャンペーンを実施しているが、無料になるのは当然、ガストの料理だけだ。一方、PayPayはどうか。加盟店での買い物であれば、家電製品、アパレル、書籍などすべてが対象となる。キャンペーン開始を前に、大手家電量販店の加盟が決まったことも追い風となった。

 その結果が、わずか10日間でのキャンペーン終了だ。その早さは想定外だった。「少なくも、年はまたげるだろうと思っていた」と藤井氏は振り返る。もっとも、キャンペーン初日の利用動向から、翌日には10日前後で終了することは試算できた。データ上、秒単位で利用者が拡大していく様子は藤井氏にとって喜ばしい出来事だったが、一方で「せっかく作ったキャンペーンのテレビCMを、あと何日間放送できるのだろうか」という、うれしい悲鳴を心の中で上げていた。

 100億円還元策は一見、奇策に見えるかもしれない。だが、本格展開に先駆けてテストマーケティングを実施するなど、成否の可能性をきちんと検証した上に成り立っていることは、あまり知られていない。

 PayPayは18年10月のサービス開始後に、ヤフー本社のある東京・紀尾井町や、ソフトバンクのお膝元である東京・新橋などで、ヤフーやソフトバンクの社員を対象に同様の仕組みでテストを実施。反響は大きく、「(全額還元の)当選者が、中山(一郎社長)にメールを送ってくるなど、反応を可視化できた」(藤井氏)。グループ内での反響が、「本当にこれでいいのかと、自問する日が続いた」と言う藤井氏の不安を払拭した。同時に意思決定者である上層部にも、成功を確信させた。

第2弾キャンペーンは当初から計画

 PayPayは19年2月から5月にかけて、100億円還元キャンペーン第2弾を実施した。こちらも当初から計画に織り込み済み。「最初から二段構えを考えていた」と藤井氏は明かす。最初のキャンペーンはより多くの人に認知から初回利用という、初期段階の体験をしてもらうことが目的。2回目のキャンペーンは利用の定着が狙いだった。

PayPayは19年2月から5月にかけて、100億円還元キャンペーン第2弾を実施
PayPayは19年2月から5月にかけて、100億円還元キャンペーン第2弾を実施

 そのため、「インパクトを抑えても、繰り返し使ってもらうことを目指した」(藤井氏)。PayPayによる支払金額の20%還元であることは変わりないものの、最大で1000円という上限を設けた。つまり、5000円の買い物が対象となる。過去の利用データから、「支払金額5000円の設定でも、80~85%の取引はカバーできる」(藤井氏)ことが分かっていたからだ。もっとも、より高額な買い物への還元も検討材料には上がったものの、「カバー率は数ポイント上がるだけで、劇的な上昇は見込めない」と藤井氏は判断した。

 2回にわたって実施されたPayPayのキャンペーンは、単なる“100億円のばらまき”と見られることもある。だが、ロジカルに考え抜かれたキャンペーンだったのだ。大きな予算が与えられたとしても、その使い方次第でいかようにも効果は変わる。「100億円を配って失敗は許されない。その勇気を称えたい」と、マーケター・オブ・ザ・イヤー2019審査員のエステー執行役エグゼクティブ・クリエイティブディレクター鹿毛康司氏は言う。同じく、審査員を務めたイトーヨーカ堂執行役員の富永朋信営業本部副本部長も、「一夜にして、誰も知らなかったPayPayブランドの認知を広めた」と評価する。

 日本はセブン&アイ・ホールディングスの電子マネー「nanaco」や、東日本旅客鉄道(JR東日本)の電子マネー「Suica」といった独自の決済手段が既にキャッシュレスサービスとして根付いている。専門家の目から見ても、新興勢力のQRコード決済は普及しにくいとみられていた。風穴を開けるには「ものすごく奇抜な何か。影響を与える何かをしなければ難しい」(富永氏)。この難易度の高い課題に対して、100億円還元キャンペーンは突破口を開いた。「与えられた100億円という予算を、テレビCMに使うのは簡単だ。だが、宣伝費ではなく、利用者への還元キャンペーンに仕立て上げることで、影響力を最大化した」(鹿毛氏)ことが貢献した。

■審査員コメント

鹿毛康司氏
エステー 執行役 エグゼクティブ・クリエイティブディレクター
100億円を宣伝費ではなく利用者に還元するキャンペーンにすることで、数あるQRコード決済市場の中で代表格とも言えるサービスになった

富永朋信氏
イトーヨーカ堂 執行役員営業本部副本部長
既存の電子マネーが浸透した日本の電子決済市場において、新興勢力のQRコード決済が次のポジションを築ける可能性を切り開いた

(写真/山田愼二)