企業にはマスコミに対して、そもそも「答えられないような質問」というのがあります。そんなことなど先方も承知の上。ダメ元で何度も聞いてきますから、これは一種の“お約束”といったところでしょう。ところが、これに答えてしまう企業幹部もいます。誠実さは美徳ですが、逆にメディア側を混乱させ、悩ましい事態になることも。
理解しておきたい商談とメディア取材の違い
「この場合、『その質問には答えられません』と回答してください。記者も答えが返ってこないと分かって聞いています」――。
先日、我がアドビ社の中で「メディアトレーニング」を実施しました。冒頭の一節はその際、私からある幹部に対して伝えたアドバイスです。はて、答えてもらえないのになぜ記者は質問をしてくるのか。このことは後ほど触れるとして、その前にメディアトレーニングについて少し説明しておきたいと思います。
メディアトレーニング、「スポークスパーソントレーニング」と言ったりもしますが、その目的は主に2つです。1つはこちらの言いたいことを的確に伝えるためのコミュニケーションスキルの向上。もう1つはネガティブな質問への対処です。実はこの2つのうち、前者のコミュニケーションについては、自分は問題ない、問題は後者だと考えている人が大半です。と言いますのも、取材を受けるような会社幹部であれば、日ごろから顧客や部下など人前で話をすることに慣れているので、その対象がマスコミになったとしても応用が利くと考えているからです。
しかし、言うまでもなく取材と通常の商談とは“違い”があります。例えば一旦出したコメントに訂正が利かなかったり、コメントを引き出すためあえて意地悪な質問をぶつけてきたりする、などでしょうか。こうした特殊性を理解してもらうためにも、どんなに話術にたけた人でも一度はメディアトレーニングを座学でもいいので受けておくようお勧めします。
分かりきった質問の向こうに存在意義がある
そして取材の特殊性の極め付きが、冒頭に出てきた「答えてもらえないと分かっている質問をしてくる」ことです。例えば会社対会社の商談で「この商品について御社の原価を教えてください」と聞く人はまずいないでしょう。個人的な会話でも「あなたの預金残高を教えてください」と聞くことも常識的にあり得ません。なぜなら、答えてもらえないに決まっているからです。
ところが、記者は以下のように企業の代表が絶対に答えられないことも、“ダメ元(駄目でもともと)”で聞いてくる場合があります。
「この新商品の原価はどれくらいなんですか?」
「将来海外展開する予定はありますか?」
マスコミで記者をやっている常識人が、どうしてこんなむちゃな質問をしてくるのでしょうか。実はこれ「聞いたけれど、答えてくれなかった」という事実が大切なのです。
例えばアドビの幹部インタビュー、という見出しの記事が新聞に掲載されたとします。読者は「アドビはついこの間、企業買収の発表をしている。今後どうするのか」という関心を持っているかもしれません。しかし記事ではそのことには全く触れず、ゴルフの腕前の自慢話ばかりの内容でした。これでは当然、読者は「何だこの記者、ずれてるな」とがっかりしてしまうでしょう。そこで「記者は質問したがアドビは答えなかった」というくだりを書くために、あえて答えが得られないような質問をする必要があるのです。
またマスコミの質問は、取材対象に対し「世間ではあなたの会社のこういう動向が気になっているんです」と伝える役目も果たします。取材を受ける側としても、マスコミからの質問は一般市民の「知りたい」と思う声を代弁していると受け止めるべきです。
これが企業の代表ではなく政治家に対する質問になると、その意義はさらに鮮明になります。政治家を“極め付きの質問”で問い詰めることは、民意を代弁すべく権力に説明責任を求めるという、マスコミの存在意義がかかっている行為なのです。ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、民主主義を支える存在と言えます。
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