Yahoo!ニュースに掲載された「2人のおじさん」のストーリーが読者の共感を呼び、「バズり」ました。この話を分解すると大きく2つのニュースになるのですが、それをつなげただけではこれほど読者に響くことはなかったでしょう。いったいなぜ、共感を生み出せたのか、広報的視点で分析してみます。

話題となった「2人のおじさん」は元ラガーマン。それがこの物語の始まりです ※写真はイメージ (写真:Melinda Nagy/Shutterstock.com)
話題となった「2人のおじさん」は元ラガーマン。それがこの物語の始まりです ※写真はイメージ (写真:Melinda Nagy/Shutterstock.com)
[画像のクリックで拡大表示]

 「とにかく共感だよ、共感。なんかバズらせるアイデアないのかな?」

 今日も今日とて、多くの会社のマーケティング会議でこのような会話がかわされているのではないかと思います。現代はSNSという感情の共鳴装置のある社会です。かつてないほど人々は「共感」を欲していますし、下手を打つとネガティブな共感、つまり「炎上」を呼んでしまいます。

 というわけで、今日の広報・マーケティング担当にとって共感は最も気にしておきたいキーワードではないかと思います。ただ、実際どうやれば共感してもらえるのか、優秀なマーケターが集まって知恵を出し合ってもなかなかヒットは生まれないものです。

 ところが、先日とあるおじさん2人の行動が、図らずも大きな共感を呼んだ“事件”が私のごく身近で起こりました。今回この事件がどう記事になったかをひもときながら、共感というものの実体に少しだけ迫ってみたいと思います。

再会果たしたラガーマンと36年前の事故

 事の中心人物の1人は、高校時代に私の隣の席だった山田(徹)です。山田は高校のラグビー部のフォワードで、超高校級の並外れた体格とパワーで全国的にも知られた存在でした(あ、ちなみに私はラグビー経験は一切ありません)。

 その山田と、もう1人吉田(茂樹)という男の間に高校時代に起こったある出来事がYahoo!のトップで公開され、これに100件以上のコメントが付き、要するにバズったのです。

 今から36年前、山田はラグビー高校日本代表選考合宿にいました。練習中、山田の規格外のパワーからスクラムが崩れ、事故が起きてしまいます。その時山田と向かい合わせでスクラムを組んでいた選手が頸椎(けいつい)を損傷、そのまま首から下がマヒしてしまったのです。その選手が吉田でした。

 その事故から36年後、SNSがきっかけで2人は再会します。再会までの36年の間、吉田は松葉づえ生活を余儀なくされながらもカメラマンとして人生を再スタートさせ「松葉づえのカメラマン(シギー吉田)」として必死に社会参加していました。一方の山田は名門・明治大学ラグビー部のレギュラーにまでなりながらも事故がトラウマとなり、ついにはラグビーからドロップアウト、その後は事故の記憶を封印するようにラグビーとは距離を置いた人生を歩んでいました。

 再会後2人は、事故後にそれぞれがたどった経験を基に「レジリエンス(回復する力)」をテーマに小さな会社をつくることになり、同じように心や体に傷を負った人を支援しようと歩み始めます。36年の時を超え、2人の時計は再び回り始めた、というところで話は終わっています。

 すみません、私のつたない筆力では全然感動が伝わってこないかもしれませんが、吉田の会社のWebサーバーがパンクしてしまったことから反響の大きさを想像していただければと思います。その感動のストーリーを分析するのは少々気が引けるのですが、本稿は日経クロストレンドの広報コラムなので、本人たちの許可を得て少し考察してみます。

ありのまま伝える「本物」に共感が生まれる

 この「物語」をニュースにしてみると、実は以下のように2つのニュースに分かれます。

 1つは「高校ラグビーの練習中に事故があり、吉田さん(17)が頸椎を損傷しました。合宿を運営していた団体によると、スクラムが崩れたことが原因とのことです」という36年前のストレートな事故のニュースです。

 もう1つはさらにそっけないものです。

 「山田さんと吉田さん、レジリエンスの会社を創業」

 ああそうですか。で、そもそも山田と吉田って誰? って感じです。もう少しニュースを読み進めると、吉田は体に障害があること、その障害は高校時代のラグビーの練習中に起きた事故によるものだった、ということまではニュースの背景として書かれているかもしれません。ただ、ファクトに情報を絞って提供するだけでは共感を呼ぶニュースにはならないでしょう。

 われわれ企業広報の活動は、ニュースメディアに「何が発表内容なのか」というファクトに情報を絞って提供します。その考えに立つと、いきなり長々と「物語」を語り出すのはウザい感じの広報になってしまいます。ただ、それでは上記のような事実を並べた2つのニュースのようになり、本当はそこにあるはずの何かを伝えきれないのも事実です。

 “山田・吉田物語”の場合、この36年前と今の2つのニュースをつなげているところ、ニュースにはなっていない部分が共感という面では肝心なのだと思います。実は、今回の記事は21年3月21日にYahoo!ニュースに掲載された毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画で、一般的な速報ニュースではなく「ニュースとニュースの間にいる、ありのままの人間」を取材して書かれた記事でした。さすがに圧倒的な取材力を持つ新聞の特集記事、みごとに共感を呼びました。

 一方の取材される側である2人は、過去の辛い出来事でも美化することなく、ありのままの自分たちを取材してもらうことで、そこにある「本物」を記者に感じ取ってもらえたのでしょう。たとえそれが絵的に厳しめの50代のオジサン2人であったとしても、本物の物語に共感が生まれるのではないかと思いました。

 われわれプロの広報やマーケターは、プロモーション目的でつい共感を人工的につくり出そうとしてしまいがちです。得てしてそういうアイデアを生かせることが、優れた広報・マーケティング施策であるかのように評価しがちです。たとえば子供と動物の交流やドローンで撮影した絶景のような、いかにも共感してもらえそうなちょっと気の利いた動画をあちこちで目にします。

 しかし冒頭にも書いた通り、実際はそう簡単に共感は量産できません。実は消費者はわれわれよりもはるかに賢く、そこにある「本物」を見分けているのだと思います。

 今回の一件で、共感などいくらでも作り出せるという、そんなプロのおごりのようなものに気づかされた気がしました。決して「盛らず」「語りすぎず」ファクトを中心にしながらも、どうやってそこにある本物のストーリーを伝えるか、これこそが広報としての腕の見せどころになるのでしょう。

(本文敬称略)