武士の時代が終わり、日本が近代国家への道を歩み始める節目となった「大政奉還」。広報であれば、こんな世紀の大イベントにかかわってみたいものです。そこで筆者の鈴木正義氏は江戸幕府「最後の広報パーソン」となり、大胆にも大政奉還のプレスリリースをしたためました。そこには広報業務に関するエッセンスが詰まっています。

大政奉還が行われた二条城・二の丸御殿。ここの大広間で大政奉還が表明された (写真:ogurisu_Q/PIXTA)
大政奉還が行われた二条城・二の丸御殿。ここの大広間で大政奉還が表明された (写真:ogurisu_Q/PIXTA)

大政奉還の奏上をしたことを発表します

 早いもので2021年も、もう4月です。新たに広報に配属される人、あるいは広報志望の新入社員、なんて人もいるとうれしいですね。

 そんな広報ニューカマーのみなさんに、分かりやすく広報の大切さについてお話しします。といってもそれでは退屈かもしれませんので、幕末の“あの大事件”を題材に、プレスリリースとQ&Aを作ってみます。経営者の方にも、重大な事業方針の転換に当たって広報をどう役立てたらよいのかという参考になるかと思いますのでお付き合いください。

報道発表資料

慶応3年10月14日
江戸幕府

幕府、大政奉還を奏上

 江戸幕府(所在地:江戸、代表者:征夷大将軍徳川慶喜、以下幕府)は本日、朝廷に対し大政奉還の奏上をしたことを発表します。

 近年、米国、ロシアなど諸外国による開国要求の圧力が高まっています。安政5年に締結した5カ国との通商条約をめぐっては桜田門外の変をはじめとする混乱を招くこととなりました。
 幕府はこの混乱を招いた責任を痛感し、また現有の幕藩体制では今後の国内外の政治運営が困難であると考え、このたびより高い指導力をお持ちの朝廷に政治権限をお返しすべきとの結論に至りました。
 大政奉還により今後の国内政治は朝廷が中心となり、様々な制度改革を行うことになります。また、海外との交渉も朝廷が窓口になることで、より円滑な交渉が期待できます。
 こうした背景から本日、大政奉還を奏上いたしました。

 今後も幕府は公武合体の新体制のもと、これまで200年以上の幕府運営のナレッジを生かし朝廷を支援してまいります。

二条城での大政奉還のイラスト:ダウンロードはこちら

本件についての諸侯からのお問い合わせ:老中 roju@edobakufu.go.jp
マスコミからのお問い合わせ:幕府広報部  press@edobakufu.go.jp

 報道発表に当たって、まずは「ニュースの見出しに欲しいこと」、つまりプレスリリースの狙いを整理します。この場合は、倒幕を画策していた薩長に対し先手を打って、実質的に幕府体制を維持するため、好意的な世論を形成することにあります。従って「大政奉還」というポジティブなワードが見出しに出ることが、何が何でも必要となります。

 こうした考え方で、見出しと第1センテンスは幕府が大政奉還をしたというファクトをコンパクトにまとめます。その後のパラグラフでは大政奉還した理由、そしてどのような新体制になるのかについて、メリットを強調しながら説明します。

 最後のパラグラフでは、今後の政治体制に幕府がかかわってゆくことの妥当性を書いていますが、ここの表現が一番神経を使うところです。史実として、将軍慶喜はこの時点では辞職しておらず、大政奉還後も徳川家を中心とした国家体制を維持する考えでした。しかしリリースではその点にはあえて触れず、あくまで幕府が国政に関与することのメリットを強調しました。

 実際、大政奉還を宣言したことで、一旦は倒幕のトーンを下げることに成功していたようです。しかしご存じの通り、結局、慶応3(1867)年10月24日に慶喜は将軍を辞職、12月には王政復古の大号令が出て、幕府は倒されることになります。

 もしもここに広報がいて、たたみかけるようなマスコミ対応をしていれば、もしかすると世論をさらに動かすことができたかもしれません。

マスコミの質問にはどう答えるか?

 マスコミに敵を作らないことは広報として大切です。その最良の方法は、迅速かつ公平な対応です。この場合、インタビューなどの個別取材よりも緊急の記者会見がよいと思います。また、幕府の一方的な発信にならないように、協力的な公家の方の同席も事前にアレンジしておきたいところです。

 この会見のQ&A作りは相当重要です。特に「聞かれては困る質問ほど必ず聞かれる」と思って準備しておく必要があります。幾つか例を挙げてみます。

Q:将軍は辞職しないのか?

A:はい、辞職は考えていません。朝廷のご威光は絶大ですが、200年以上の政治運営の知識と経験を持つ徳川家の代表である将軍は朝廷を補佐する適任者と考えます。(同席のお公家様からも歓迎のコメントをいただく)

Q:政治運営ではなく、既得権益を手放したくないのでは?

A:いいえ。徳川家は朝廷にお仕えする諸侯の一つであり、あくまで裏方として諸侯のとりまとめをする役回りです。その上で運営にかかわるスタッフ、必要経費などを考慮し、現有の年貢、領地の維持が必要と判断しました。

Q:薩摩と長州が武力に訴えてきた場合、どう対抗するのか?

A:仮説に基づく質問にはお答えしません。大政奉還の奏上が受理されれば、幕府は正式に承認された立場として分け隔てなく諸侯のご意見に耳を傾けます。

 こんな感じでしょうか。2番目の回答はさすがに無理がありますね。最後の回答は、武力衝突という意地悪な質問に対し、議論の軸を切り替え、諸侯の意見を聞くというソフトイメージで回答します。

 しかしながら、実際の歴史では大政奉還された同じ日、倒幕派は公家である岩倉具視により討幕の密勅をもらい、これを根拠に薩長による倒幕運動は加速していきます。また、大政奉還で幕府が狙っていた朝廷によるオーソライズというイメージ戦略も、後に倒幕派が逆に朝廷オーソライズのシンボルとして「錦の御旗」を掲げ、幕府は完全に朝敵にされてしまいます。錦の御旗については「宮さん宮さん」という歌まで作られ、大衆にも広く流行したようです。

 こうしてみると倒幕派(新政府)のほうがコミュニケーションのスピードや手法でも幕府を上回っていたように思えます。明治維新という歴史の大転換期、大政奉還はコミュニケーション戦略の大ばくちだったわけですが、その巧拙がもしかすると歴史を動かしたと言えるかもしれません。現代の広報でも参考にしたいですね。

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