米アップルの故スティーブ・ジョブズ氏はiPhoneで「携帯電話を再定義」して、世の中に変革をもたらしました。筆者の鈴木正義氏によると広報も自社の新製品を再定義したがるそうです。今回、「ThinkPad X1 Fold」でそのチャンスが鈴木氏にめぐってきました。
長年にわたり広報という仕事に携わってきて、自分は幸運だったなと思うのは、iPhoneをはじめ歴史的な製品の発表を幾つか経験できたことです。iTunes Music StoreはそれまでレコードやCDという「物の所有」に対して支払われていたお金が、音楽を聴く「権利」に対して支払われる世界をつくりました。iPhoneやiPadのタッチ操作は、コンピューターデバイスと人との関わり方を変えたと言ってよいでしょう。
「アップル、iPhoneで携帯電話を再定義」。これは2007年にiPhone登場のときのプレスリリースの見出しで、実は偶然にもこのリリースの訳を担当したのは私でした。しかし、このリリースを受け取ったマスコミは素直にその通りのことを書いたかというと、そうではありませんでした。
「どうしても私にはiPhoneが日本でヒットするとは思えないんですよね」
これは発表されてから日本でiPhoneが発売されるまでの間に、とあるニュース番組のキャスターに面と向かって言われた一言です(ちなみにこの方は、これを言うためだけに、わざわざ私のところを訪ねてくださったのですが)。
「だって、インターネットは日本には『iモード』がある。音楽だって『着うた』で聴けるわけで、日本の携帯なら今でもできることばっかりじゃないですか」
「いや、そこはUX(ユーザーエクスペリエンス)がですね……」
「使い勝手がいいからといって、そんなに爆発的に売れるものですかねぇ?」
結果は皆さんご存じの通りで、このキャスターの見込みは外れました。広報としては「どう画期的なのか」をうまく相手の言葉にしてあげられなかったという点で、力不足を痛感しました。
ファクトを積み上げても伝わらない「再定義」
日本の報道ニュースは、動かぬファクトに基づいて記事を構成する傾向が強い。そのため伝える側である広報もついつい「何ができるか」というファクトやスペックに重きを置いた説明になり、「未来はどう変わるか」という、ともすると主観的な説明をしてこなかったと思います。
かのiPhone登場前夜の私のやり取りは、まさに「何ができるか」を積み上げても「再定義される」未来という情緒的価値が伝えられなかった好例(悪例?)と言えるでしょう。やはり「これはすごいものなんです」「再定義しちゃうんです」というのは、ハッキリ伝えておきたいものです。
ただ、大変よろしくないことに、特にIT系の新製品には直接そのワードこそ使っていないものの、革新的であることを必要以上に強調する「再定義系」の製品発表が実に多くあります。
最近は何にでも「DX(デジタルトランスフォーメーション)」を付けるうたい文句が目につきます。過去には「Web2.0」と、その派生形の「xx2.0」という言葉がはやりました。その後、この2.0にマウンティング(チンパンジーが群れの中で優劣を確認するための行為。転じて他人に対していんぎんに自分の優位を主張し、相手を否定する行為を意味する現代マーケティング用語。活用形として「マウントを取る」などがある)するために3.0、4.0と「上位モデル」が登場し、最近は5.0までバージョンアップされているようです。こうなると、正直マスコミからはうさん臭いものとして見られてしまいます。
実はこの原稿を書いている20年9月、筆者は大きな発表を控えていました。兼務しているレノボの「ThinkPad X1 Fold」という、画面が折り畳める機構を持った、世界初のパソコンです(この原稿が公開される頃には発表済みなので、読者の皆さんの耳にも届いていることを願います)。
悩み抜いたThinkPad X1 Foldのリリース
ここでもまた、「画面が折り畳めると何がうれしいのか」をどう伝えるかという点に苦労しています。
「画面を折り畳むことで、大きな画面サイズながらコンパクトに持ち運べます」
機能だけいうとその通りなのですが、いかにもスペック的なメッセージです。とはいえ情緒的な説明をリリースで書きつづりすぎると、少々キモいのではないか。でもどうにかして伝えたい。リリースを書いては消す日々か続きました。
結局ThinkPad X1 Foldについて最終的にどう書いたのかというと、「スマートフォン、タブレット、ノートPCの長所を兼ね備えたモバイルコンピューティングの新カテゴリーです」という文言を付けました。ほぼ再定義しちゃったわけです。
私も広報畑でいろいろ辛酸をなめてきていますので「新カテゴリーです」とプレスリリースに書いたからといって、さようですかと記事に書いてくれるわけではないことは百も承知です。結局良い商品かどうかを決めているのはユーザーであり、そのユーザーの声があってはじめてマスコミもお墨付きを与えるのだと思います。
それでもなぜコンピューティングの新カテゴリーと書くに至ったかというと、ある時点でこの製品を世間が振り返るとき、「これを目指していたのですよ」という、つくり手の気概を残しておくのもプレスリリースを出す意味の一つだと思ったからです。
もしかすると遠い未来、太陽系第3惑星を調査した超古代文明学者が西暦2020年ごろの地層からこのプレスリリースを発見し、「現在我々のパソコンの画面が折り畳めるようになっているのは、このようなつくり手の意思があったのだな」と言ってくれる日が来るかもしれませんので。
それくらいの気概を持って臨める新製品があるというのは、広報として本当に幸運なことだと思います。さて、そのThinkPad X1 Fold、発表後に面白い現象を巻き起こしました。その件については次回とさせていただきます。

『マスコミ対策の舞台裏 役員からの電話で起こされた朝』
2022年12月19日発行
連載「風雲! 広報の日常と非日常」が本になりました。これまで3年半以上に及ぶ、約150本のコラムの中から、「マスコミ対策」に焦点を絞って再編集。企業や個人までも手軽に情報発信できるSNSがもてはやされる今日ですが、“バズった”記事の出どころをたどると、マスコミの記事や番組であることが少なくありません。だからこそ、企業は「情報の源流」でもあるメディアへの対策を十分に練り、正しい情報を伝え、記事や番組として発信してもらう重要性がこれまで以上に高まっていると言えます。本書は連載でおなじみの現役広報パーソンである二人の著者(鈴木正義氏、遠藤眞代氏)が、20年以上にわたる記者や編集者との生々しい駆け引き、社内でのあつれき、成功談・失敗談から導き出された「記事や番組に採用されるためのテクニック」「メディアとの関係構築法」「危機感管理術」などを、当時の現場の様子や本音を交えながらリアルに書きつづっています。読み物としても楽しめる中身の濃い1冊に仕上がっています。
第1章 広報しか知らないマスコミの素顔
第2章 取材対応こそ危機管理の要
第3章 経営者が知っておくべきマスコミ対応の落とし穴
第4章 掲載を勝ち取るマスコミへのアプローチ
第5章 天国と地獄が交錯するプレス発表会
第6章 今だから言える企業広報の裏話
全83エピソード(350ページ)
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