安倍晋三首相が着けていた通称「アベノマスク」を、“小さい”と思った人は多いかもしれません。そこから見えてくるのは、安倍首相というスポークスパーソンの発信力の強さに加え、身に着けている「物」ですら強力なメッセージを放つという事実です。トップの服装について広報視点で考えてみました。

自宅に届いた通称「アベノマスク」。実物は“普通”のサイズに思えるが、どう感じるかは顔の大きさ次第か……(写真/酒井康治)
自宅に届いた通称「アベノマスク」。実物は“普通”のサイズに思えるが、どう感じるかは顔の大きさ次第か……(写真/酒井康治)

「安倍首相」というスポークスパーソン

 「思っていたより小さくなかった」「洗ったらやっぱり縮むのかな」――。

 これは政府が配布している布マスク(俗にいう「アベノマスク」)を受け取った私の周囲の人がSNSに投稿した感想です。検索してみると、確かにインターネット上では政府支給のマスクが縮みやすいと指摘している人が、ちらほら見受けられます。ここでは実際にマスクが縮むのか、ということを検証するつもりはありません。しかしなぜ「小さい」「縮む」と思い込んでいる人が一定程度存在するのかについては、広報として興味があります。

 あくまで私見ですが、これは政策の最高責任者、すなわち安倍晋三首相が連日国会答弁や記者のぶら下がり取材などの際に見せている少し小さめの、あのマスクに原因があるのではないかと思います。ネットニュースで調べた範囲では、総理の「私のしているこのマスクは国民に配る物と同じです」という発言は見つけられませんでした。しかしあの総理の姿を見て、「安倍政権が布マスクの配布を始めた」「安倍総理が布マスクをしている」「少し小さめだな」といった連想から、「きっと総理のしているあのマスクと同じような物が届くのだろう」という印象が生まれたのではないかと思います。

 安倍首相は当然ながら政府の顔、スポークスパーソンという役目を担います。そのスポークスパーソンが身に着けていた物自体がメッセージになって、大きな印象を作り上げたという興味深い事例だと思います。そこで今回は、スポークスパーソンの服装について考えてみたいと思います。

 こう書くと、「トップの服装は大事である」「広報はトップの参謀としてファッションにも気を配るべきだ」といった結論を語ると思われるでしょう。しかし、私は「スポークスパーソンの服装は一定の条件をクリアしていれば気にしすぎなくてよい」と思っています。では“一定の条件”とはなんでしょう。

 その前に安倍首相のような特殊な例を考えてみます。例えば「ZOZOスーツ」のように誰もが簡単にオーダーメードの体にピッタリのサイズの服を作れる、という発表会で、壇上のスポークスパーソンが中学1年生の制服のようなだぶだぶのスーツを着ていたら、これは説得力がないというものです。こうした服装そのものがニュースの主役になるようなケースは、かなり気を使う必要がありますが、そうでない場合、「服装が気になって話が頭に入ってこない」ということになっていなければ、OKだろうと思っています。

 OKでない例としては、ぱりっとしたスーツ姿なのに、ワイシャツの下からアニメキャラクターのTシャツの模様が透けて見えている、ネクタイの模様がでっかい阪神タイガースのマーク、スーツに派手なセサミストリートの靴下なうえ、目の前で何度も脚を組み替えてくる、などなどでしょうか。これは広報としてちょっとアドバイスしたほうがいいでしょう。記者も気になって、取材相手のコメントが頭に入ってこないかもしれません。

 こうした極端な事例でなければ、折り目の付いたスーツにネクタイ、アイロンのかかった清潔なワイシャツを着て、きちんと手入れされた靴を履いていれば、それ以上は気にしなくてもよいのではないかと思います。時々耳にするのは、ネクタイの色や着こなしで人の印象は大きく変わるため、米国の大統領などはスタイリストのアドバイスを受けるという話です。こういった情報は広報関係者ならどこかで聞いたことがあるかと思いますし、実際取材の前になると社長の前にしゃしゃり出てきて、ろくに取材内容のインプットもせず、これぞ広報の出番とばかりにスタイリスト気取りでネクタイをいじり回す人もいます。でも、それはちょっとポイントがずれていると思います。

 私の経験上、取材にせよ記者会見にせよ、100%の準備で臨めたことは一度としてありません。限られた幹部の時間を最大限、取材内容の準備に費やすこと、幹部を100%取材内容に集中させることが優先で、服装の細かい部分で注意を散漫にさせたくないというのが正直なところです。

ファッションにこだわりのある人の場合

 とはいえ、スポークスパーソン自身がファッションにこだわるタイプの人で、その人が自発的におしゃれをしてきてくれるなら、それを留め立てするものではありません。私の勤務先の前社長で、現在は自身で立ち上げたSUNDRED(東京・渋谷)において、新産業共創スタジオなる取り組みをしてご活躍の留目真伸さんはとてもおしゃれ。男性ファッション誌の取材依頼などが、何度も来るような方でした。その留目さんがよく言っていたのは、「ファッションはその人が属するコミュニティーを反映する」というものでした。

 「⾃分と同じような服を着ている人を好んで助けようとする」――。これは米国の社会心理学者であるロバート・B・チャルディーニ氏の名著『影響力の武器』に書いてあった言葉ですが、自分がコミュニケーションを取りたい人から親しまれる上で、ファッションは武器になり得るというわけです。事実、留目さんはビジネス誌の若い記者やスタートアップの経営者などから人気があり、それには若々しいファッションも一役買っていたのではないかと思います。

 しかしこれはかなりの高等テクニックで、本人がファッションにさしたる興味もないのに、服装についてあれやこれや周りが助言するのは避けたほうが無難です。そんなことに頭を使わせる前に、経営者、スポークスパーソンとしてやってもらうべきことがたくさんあります。この考えの妥当性は、特徴的な服装で知られるFacebookのマーク・ザッカーバーグCEO(最高経営責任者)が裏付けてくれます。ザッカーバーグ氏といえばワンパターンのグレーのTシャツ姿がトレードマークですが、彼はこう述べます。

 「できるだけ決断の数を少なくしたい。朝食に何を食べるかとか、どんな服を着るかとかいう小さい決断は、エネルギーを消費する」

 聴衆を引き付ける画期的な製品発表の際に着ていた服装を繰り返しすることで、またしてもセンセーショナルな発表があるのではないか、という期待感を自然とあおる効果もあります。これはアップル前CEOの故スティーブ・ジョブズ氏の、黒い丸首シャツとジーンズ姿が有名ですね。

 結局はスポークスパーソンの個性を広報がよく理解し、その人なりのやり方を一緒に考えていくことが重要なのだと思います。