企業には世の中に伝えたいことがたくさんあります。その際「広報はタダだから」という認識で、何でもかんでも発表したがる“偉い人”たちが少なくありません。広報パーソンとしては「ムッ」としないでもありませんが、感情論は抜きにして、そうした考えがいかに無意味であるか、説明しましょう。

「こんな内容でリリースは出せませんよ……」「いいじゃない、広報はタダなんだから」 ※画像はイメージ(写真:Golubovy / Shutterstock.com)
「こんな内容でリリースは出せませんよ……」「いいじゃない、広報はタダなんだから」 ※画像はイメージ(写真:Golubovy / Shutterstock.com)

これは究極の「広報あるあるネタ」だ

 「私は怒っています。どうしたらいいでしょう」

 先日とある企業の広報の方から、相談といいますかボヤキを聞かされました。話を聞くと、あまりニュースバリューのないネタを「広報しろ」と会社幹部から指示されたそうです。それに対して言い返したことろ、「どうせ広報なんてお金かからないんだから、どんどんやればいいじゃない」と言われ、さらに「そこのネタの弱いところを売り込むのが広報の仕事でしょうが」とまで言われてしまったとのことです。

 いやもうこれ、「広報あるある」の“究極ネタ”と言っていいでしょう。というのも、マーケティング経験の豊富な管理職や経営者であっても、「広報=タダでできる宣伝」という認識を持っている人が少なからずいるように思えるからです。事実、私もかつて勤めていた複数の会社で同じようなことを結構言われてきました。

 確かにマスコミ側から見てニュースバリューが一定レベルを越えている広報発表は、「タダで」広く「自社の宣伝効果のある内容」を露出することができます。しかし以前書いた通り、マスコミのビジネスは自身の媒体価値を高めることで成り立つのであって、メディアとしての中立性や信頼性を維持するため、単なる企業の宣伝にならないような報道を目指しています(関連記事「初めてのプレスリリース、『壮大なドラマ』を書いて大失敗」)。

 それで双方の思惑が一致した場合にのみ「タダで宣伝」になるわけです。ですからニュースバリューがなければ、ブラックホールに吸い込まれるようにプレスリリースのみが消えてゆき、一向に記事にはなりません。

 ここで“広報無料広告論者”たちの理屈としては、「いやいや、ダメでもともと。広告と違ってお金はかからないから、何でも数打つことにプラスはあってもマイナスはないでしょ」となるようです。しかし「タダだからどんどん発信しよう」というのは短絡的で、少し冷静に考える必要があります。

 タダで情報を発信できるツールと言えば、例えばメールマガジン(メルマガ)です。みなさんが日々受け取っているメルマガの中には、本当に開いて読むものと、配信停止の手続きが面倒なのでそのままごみ箱に直行するものがあると思います。この差は何なのか。つまるところ、読んでみたい中身かどうかのクオリティーの差だと思います。

 自社のプレスリリースをこのメルマガに置き換えて考えると、「タダだから広報しよう作戦」を提唱する上層部の方にも、それがいかに愚策であるかご理解いただけるのではないでしょうか。タダだからこそ、1つひとつのクオリティーをより厳しく精査する必要があるのです。

 最近海外の広報関係者から「Less is more」という言葉をよく聞きます。紙媒体が中心の時代は、自社情報が掲載された「記事本数」が成功のKPIでしたが、オンライン媒体にニュースの主体が移りつつある現在は「読まれた数」がKPIになってきています。爆発的に読まれた1本の記事は、10本、100本の凡庸な記事を超えるインパクトがあります。「Less is more」は、たとえ少ない発表本数でも十分練った広報をするほうが得策である、という考え方です。

 先日、私の勤めるNECパーソナルコンピュータでPC事業開始から40周年の発表をしました(関連記事「ヒットは必然だった NEC、PC-8001誕生40周年記者会見を開催」)。たった1本のネタに半年ほど準備期間を費やした発表だったのですが、幸いそれなりに手ごたえのある露出となりました。ある社員から「最近広報の露出多いですねぇ」と言ってもらえたのですが、実は掲載記事の数は通常とあまり変わっていません。おそらく1本1本の記事の印象が強かったので、そのような感想になったのだと思います。まさにLess is moreですね。

「弱いネタ」を売り込むことの過ち

 では次に「そこのネタの弱いところを売り込むのが広報の仕事でしょう」について考えてみます。

 ネタ的にはまだ固まっていないフワッフワの状態、ヨワヨワでありながら、ビジネス的に重要な事案なので無視もできず、「発表したい」という相談をむげに断れない状況に、我々広報は遭遇してしまうことがあります。例えば、

「デジタル・トランスフォーメーションを実現する当社戦略」
「両社でパートナーシップを強化する方針を固めた」

という、なんとなく聞こえはいいものの、中身が何も固まっていない案件です。そんな場合、私は「このプレゼンは社名を変えればそのまま他社でも使える」「何のコミットもない。ビジネスプランというよりポエムだ」など、あえて手厳しいことを言って、広報するのに必要な要素を加えるべく社内で議論してもらうようにしています。上記の場合なら、こう指摘します。

・はやりのバズワードに安易に頼らない。自社にしかできない、何を新たに始めるのかを明確にする。

・パートナーシップを強化した結果、これまでにできなかった何ができるのか。それによって市場や業績に具体的にどの程度のインパクトがあるのかを数字で示す。

 こうした要素が入ってくれば、立派な発表内容になる可能性があります。

 一見すると勇猛果敢な「ネタが弱かろうが、ダメでもともとで売り込む」という行為を、広報はなぜやってはいけないのでしょうか。この点については、マスコミ側の視点に立つと分かりやすいと思います。

 まず広報担当者がマシンガンのように細かいネタを乱射。ようやく銃声がやんだかと思うと、今度は電話やキャラバンで編集部に突撃し、「き、記事を書いてください!」と血走った目で肉弾戦を挑んでくる……。記者や編集者には、広報担当者がまるで海兵隊員のように見えているはずです。

 確かに広報は営業マンのような一面があります。こちらが遠慮している間に競合他社の広報がどんどんネタを売り込んでいると考えると、多少強引でも売り込んでいく強いメンタルが必要です。ただ、こんな肉弾戦を毎回挑んでいても、なかなか良い結果にはつながらないでしょう。

 最後に、同じ情報が「広告」として露出した場合と、「広報による記事」として露出した場合の違いについて言及しておきます。どちらも意味があって、広告は自分の好きな言い回しや表現方法で情報を伝えられる、出したいと思う媒体に基本的にお金があれば出せるという点で優れています。タダだからといって広報をプッシュしても、決して到達できない強みが広告にはあります。

 一方マスコミによる記事露出は、手厳しい記者や編集者の目を経て記事になっていることから、その企業の一方的な主張ではなく、世の中の事実として伝えられます。「我が社の最新掃除機は吸引力が前モデルの2倍」というよりも、「編集部の調査で、A社の最新掃除機の吸引力が前モデルの2倍であることが分かった」のほうが説得力ありますね。この「説得力」こそ、我々広報が時間を費やして用意すべきものなのです。