現役広報パーソンがその仕事の裏側を明かしながら、豊富な経験から得た知見を紹介するこのコラム。今回はソニーを経て、現在、広報コンサルタントとして活躍する筆者が、この仕事をするに至った経緯を基に、広報パーソンに必要な資質について考えます。
たくさんのしょっぱい経験を乗り越えて
広報の仕事を続けていると、社内外からかなり厳しい言葉を浴びせされることがあります。例えばこんな……。
【社内からの厳しいコメント】
・「広報は秘密の事もマスコミにリークしそうだから、詳しく話したくない」
・「広報は忙しいと言っているけど、何をやっているのか分からない」
・「取材アテンドで座っているだけなら、いなくていいんじゃない?」
・「広報がプレスリリースを書く意味ある?」
・「広報って、社内の情報を右から左にマスコミに流しているだけの仕事だよね」
・「マスコミでもないくせに、マスコミの意見が本当に分かるのかよ」
・「マスコミと会社、どっちの味方なんだよ」
【社外からの厳しいコメント】
・「広報なのにすぐ答えられないとか、ありえないんだけど」
・「忙しいんだけどさー、話はそれだけ?」
・「君じゃ話にならないから、上司に代わってくれる?」
こうしたパンチの効いたコメントは、今でも忘れられません。それでも「せっかく傷付いたのだから元を取りたい!」という気持ちを原動力に、何度も“しょっぱいハードル”を飛び越え、その飛び方を研究してきました。すると広報の仕事が、一種のゲームのように思えてきたのです。
人に言わせると私は“多少厚かましい”らしく、しょっぱいハードルもあえて密に相手とコミュニケーションを取ることで解決の糸口を見つけ出してきました。今振り返ると、この“多少厚かましい”が、広報にとって大切な資質に思えてなりません。実際、自分の人生を広報という仕事に懸けることになったのは、この資質がきっかけでした。
私がまともにできる仕事など、“ここ”にはない
私はソニーに入社してすぐ、オーディオテープの商品企画部門に配属されました。当時を思い出すと、自分でもゾッとするほど生意気で、入社早々「コピーをするために入社したわけじゃありません」とか、「お茶くみはイヤです」などと言って先輩や上司を困らせていました。
ソニーには総合職や一般職のくくりがなく、仕事のできない生意気な新人の私も、入社3カ月くらいで総合職的な仕事をさせてもらえることになりました。しかし、いざ真剣に仕事に取り組もうとしても頭の中が空っぽすぎて、何をしたらいいのかさっぱり分からない。さらに周りが優秀だということにも気づかされ、すっかりへこんでしまいました。
「学生時代に勉強してこなかった私が、まともにできる仕事など“ここ”には何もない」
そうした焦りから急に思い立ち、入社3年目、就業後に夜間大学の経済学部で3年間、マーケティングの勉強を始めました。そして卒業後、マーケティングの仕事に近いという理由で社内報の仕事を担当することになりました。これが広報との出合いです。
社内報くらい書けるだろう、と軽い気持ちで異動したのですが、取材して書くというのは思いの外難しく、毎日編集長に叱られっぱなしでした。つらい修行時代でしたが、今は記事を書く人の気持ちを察する上で、非常にいい経験だったと心底思っています。
そして2年半ほどたった頃、隣の課のTTさん(後の私の広報の師匠)に、突然声をかけられました。TTさんの経歴は異色で、大学を出て某スポーツ新聞の写真部で活躍した後、ソニーに転職してきた方でした。
「エンドウさぁ、対外広報(マスコミ対応)に向いてるんじゃない? 興味ある?」
私は心の中で、(なんですか、いきなり。あまり話したこともないのに対外広報が向いてるとか、なに言っちゃってるんだろう……)と思っていました。
「おまえはさぁ、多少厚かましくて、人とよく話をするだろう。だから(対外広報に)向いてると思うんだよ」とTTさん。
「よく分からないですけど、向いてるんですかねぇ。興味はありますけど……」。そんな会話をしたのを覚えています。このやり取りから少したち、対外広報へ異動に。2002年春、私の本格的な広報人生が始まりました。
厚かましさの“あんばい”をコントロールする
今回の連載に当たってTTさんを訪ね、なぜ私を対外広報に誘ったのか改めて伺いました。
「広報は厚かましいと共感を得られない。かといって、奥ゆかしすぎると天使の前髪をつかみ損ねる。広報はエンドウのような“多少厚かましい”くらいがいいんだよ」
これを聞いたときは内心ムッとして、素直に喜べませんでした。しかし冷静に考えると、“多少厚かましい”という自覚はあります。ただしマスコミには感覚の鋭い人が多いため、“多少”といっても厚かましさの“あんばい”が結構難しい。置かれている環境によって記者の受け止め方は大きく違ってくるので、私もかなり失敗しました。社内コミュニケーションでもあんばいを間違えて、怒らせたり、こじらせたり……たくさんやらかしました。
よくよく考えると、この厚かましさの“あんばい”をうまくコントロールすることが広報にとって大切なスキルで、業務に不可欠な「コミュニケーションの鍵」といえるかもしれません。
私は生まれながらのコミュニケーションの達人ではありません。どちらかというと不器用なほうで、上司や先輩、マスコミの方々に多くのアドバイスをいただきながら、考え方の基礎を築き上げました。そして20年近い広報人生の中では、冒頭のような経験を含め、膨大なトライアンドエラーを繰り返してきました。この連載では、私の失敗談(たまに成功談も……)をできるだけ多く披露することで、広報コミュニケーションのスキルアップや、広報部門の活用法について学んでいただければと思います。

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あの時代にこんなスゴ腕の広報がいたら、きっと日本の歴史は変わっていたに違いない……。
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