2020年4月10日に劇場公開される、“世界一貧しい大統領”の名で知られるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領のドキュメンタリー映画を監督したフジテレビの田部井一真氏。実はムヒカの存在が日本で知られたのも、約5年前の『Mr.サンデー』(フジテレビ)の田部井氏の取材がきっかけだという。
現役テレビ制作者が「伝える技術」を語る本連載。聞き手はNHK『ブレイブ 勇敢なる者』シリーズなどを企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏。今回のゲストは、ドキュメンタリー映画『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』(4月10日公開)を監督したフジテレビの田部井一真氏。テレビ番組をきっかけにムヒカ来日を実現し、映画化にまで至った約5年間を語り尽くす(全4回)。
ムヒカ大統領を日本に伝えた番組から5年を経て映画化
佐々木 健一(以下、佐々木) 普段、テレビ番組を制作している田部井さんが今回“世界一貧しい大統領”の呼び名で知られるウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領のドキュメンタリー映画を作られた。そもそも、ムヒカの存在が日本で知られたきっかけも、約5年前の『Mr.サンデー』(フジテレビ)の田部井さんの取材なんですよね?
田部井 一真(以下、田部井) 結果的に、すべてはあれから始まったと言えるかもしれないんですけど……。映画化できるとまでは全く考えていませんでした。
佐々木 その経緯を知る人は、ほとんどいないんじゃないかと思います。しかも、日本とすごく縁がある人物だったなんて、この映画を見るまで全く知らなかったです。
田部井 ありがとうございます。
佐々木 日本では絵本(『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』汐文社)など関連書籍もたくさん出版されて、来日したときも大きな話題になりましたけど、その来日にも田部井さんと『Mr.サンデー』のプロデューサー(当時)で今回の映画のプロデューサーでもある濱潤さん(フジテレビ)が関わっていた。そんなこと、誰も知らないんじゃないかと……。
田部井 そうかもしれないです。初めてです、こうやって公にお話しするのは。
佐々木 いや、それはもっと世間に知られたほうがいいですよ。「世界的に有名な人物に便乗した企画」なんて誤解されたら、とんでもない! 試写会で拝見して、この作品の価値がちゃんと世間に伝わったほうがいいと率直に感じました。
田部井 ああ(笑)。それはうれしいです。
佐々木 でも、ややこしいことに、田部井さんの作品とほぼ同時期にムヒカを撮った別なドキュメンタリーが日本で劇場公開されるんですよね?
田部井 はい。先日、妻の実家に帰ったとき、「一真君、映画が公開されるんだね。よかったね~」とスマホを見せられたんですが、もう一つの作品の画像でした(笑)。なかなかこんな偶然はないみたいで……。
佐々木 もう一作が、あの名作『アンダーグラウンド』の巨匠エミール・クストリッツァ監督がムヒカを撮ったドキュメンタリー。タイトルも似ているんです。
田部井 そうなんですよ(笑)。
佐々木 クストリッツァ監督の作品が『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』(3月27日公開)。その2週間後の4月10日に公開されるのが、田部井さんの作品『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』。これ、お客さん、混乱しますよ。「あれ? どっちの映画を見に行ったんだっけ!?」と(笑)。
すべては弾丸“アポなし直撃取材”から始まった
佐々木 試写会でいただいた田部井さんの映画のパンフレット。これを読むと、映画化に至るまでの経緯がよく分かります。「パンフレットを先に読んでから映画を見たほうがいいかも?」と感じたくらいです。
田部井 プロデューサーの濱さんが書いた記事が一番、面白いですね。
佐々木 そうそう、プロダクションノート。それによると、濱さんがディレクターの田部井さんに最初に「ウルグアイへ行ってくれ」と言ったのは、ムヒカが大統領を辞めるわずか10日前だったとか。
田部井 そうなんです。2015年の2月ごろですね。
佐々木 大統領を退任する前に「地球の裏側へ行って」と(笑)。
田部井 確かにそうなんですが、僕は入社してから『めざましテレビ』とか『Mr.サンデー』で、10日以内で海外へ行ってオンエアする仕事をずっとやってきたので、弾丸ロケをする基礎体力はついていたんです。だから、制作期間の短さを言い訳にせず、できる範囲で何ができるかを考えて実践する気構えはありました。
佐々木 濱さんも書いていましたけど、「体力的なことを考えたら、田部井にお願いするしかない」と。
田部井 僕が一番、使いやすかったんだと思います(笑)。「ウルグアイに面白い大統領がいる。ヒッチハイクしたら、乗せてくれたのはムヒカ大統領が乗っている車だった」とか、いかにも情報番組で取り上げたくなる美談があって。それで、僕がウルグアイまで行くことになったのが最初のきっかけです。
佐々木 でも、その頃、ムヒカはまだ日本では注目されていなかった?
田部井 はい。当時は、ネット検索してもムヒカの情報は日本語ではほとんど出てこなかったですね。そこまで話題になっていませんでした。2012年にリオで開かれた「リオ+20(国連持続可能な開発会議)」でのスピーチを知っている人もいましたが、それもごく一部だったので事前リサーチには結構、苦労しましたね。
佐々木 映画の冒頭にも、ウルグアイの現地でムヒカ大統領にアポなし突撃取材をするシーンが登場します。あれは本当にガチで?
田部井 アポなしです。完全にガチ(笑)。日本だったら、安倍総理にいきなり会うなんて無理だと思うんですけど……。
佐々木 いや、絶対に無理ですよ(笑)。大統領との距離が近すぎてビックリしました。「SPは一体、何してるんだ?」と思ってしまうぐらいの距離感だったので。
田部井 ムヒカが特に力を注いでいた政策の中でできた貧困層向け住宅がお披露目されるときだったので、必ずそこへ視察に訪れるだろうと思って行ったんですけど、ほかにも街の食堂とか、大統領府の前に広場があるんですけど、そこにもよく来るというので、そこでひたすら張るとか、現地でそんなロケをしました。
初対面で深まる謎…なぜか日本に詳しいムヒカ
佐々木 実際にムヒカ大統領と会って、どう感じましたか?
田部井 それが、握手が痛すぎて……。
佐々木 握手が痛い?
田部井 めちゃくちゃ痛かったです。いくつか質問事項を用意していったんですけど、ガシッと強く握手をされて、それで質問が全部、飛んじゃったんです(笑)。
佐々木 ムヒカって、そんなに握力が強いんですか!?
田部井 儀礼的なもので強く握手するというのがあるんでしょうけど、それにしても強すぎて(笑)。だから、「初めまして。私は日本人です」と言っただけで、僕からの声かけは終わっちゃいました……。でも、そのとき、ムヒカのほうから日本や日本人についての洞察がスラスラと語られて、正直ビックリしたんです。
佐々木 そうそう、リップサービスで日本人について語った感じじゃない。ムヒカは、田部井さんたち日本のクルーがいるのを見て、わざわざ車に乗る足を止めて、日本人について結構深い話を始めるんですよね。
田部井 そうなんです。帰国してもう一度、あのときのムヒカの言葉を振り返ると、「日本に感謝している」と語っているんです。ほかにも、映画ではカットしたんですけど、「日本人は名誉心が強い」という話もしていた。
佐々木 ほう。
田部井 「サッカー場で子どもたちがサッカーをしていたんだけど、ウルグアイの子に交ざって日本人の子がいて、その子がケガをした。それでコートから出されて泣いていた。これは、日本人らしい名誉心から来るものだ」と。
佐々木 よく外国の人は「試合に負けて涙を流す日本の高校球児が理解できない」って言いますよね。
田部井 そうですよね。でも、ムヒカは日本人の気持ちを理解している。でも、どうして日本人の心情が分かるのか、それが謎でした。ウルグアイは日本から最も離れている国の一つで、わざわざ36時間かけて会いに行った大統領が、日本人以上に日本人に対する洞察を持っている。それが僕には不思議で、その背景に何があるのか、すごく気になったんです。
佐々木 そうした田部井さんの疑問や引っ掛かりが、この作品の問題提起や大いなる謎になるんですよね。「一体、日本とムヒカの間にどんな関係があるのか?」と。
田部井 そうなんです。そこをもっと知りたいと思ったんです。
佐々木 ムヒカが言う「日本にはとても感謝している」という言葉も謎ですよね。
田部井 「感謝している」ってなぜ? 何に対して?
佐々木 「そんなに日本人、アナタに何かしましたっけ?」と(笑)。
田部井 ですよね。あのときは、誰もムヒカと日本の深い関係を知らなかった。
佐々木 多くの人がムヒカの“言葉”に注目する。「まるで哲学者のようだ」と。でも、実はその言葉を生む思想のベースには、彼が出会ってきた日本人の影響が確実にある。そうした視点でムヒカに迫った作品は、今までなかったんじゃないですか?
田部井 ムヒカは世界的には語り尽くされた人で、エミール・クストリッツァ監督も撮っていますし、Netflixでも『12年の長い夜』というムヒカの12年に及ぶ投獄生活を描いた劇映画もある。ウルグアイ国内でも数多くのドキュメンタリーが作られていて、スペインやメキシコでも同様の作品が作られているんです。
佐々木 そんなに!
田部井 それほど語り尽くされている人物なので、「自分にどんな作品が作れるのか」と考えたとき、日本とムヒカの関係に迫るしかないと思ったんです。そこを深めていくしかない、と。
佐々木 ムヒカという男の物語の中で“日本”という重要なキーワードだけが“空白”になっていたんですね。
田部井 そうです。それで、ムヒカと日本の知られざる関係を解き明かしていくドキュメンタリー作品になったんです。
※第2回に続く。
(構成:佐々木 健一、人物写真/中村 宏)