ある年代以上なら誰もが知っている口中清涼剤「仁丹」。身近に食べている人を見かけることは少なくなったが、今も根強いファンがいるようだ。Twitterの公式アカウントや「食養生カレー」や「薬膳おせち」といった商品が話題になることも多い。仁丹の歴史と広告戦略について、森下仁丹社長の森下雄司さんを小口覺氏が直撃。そこには、BtoBでも高く評価される技術力があった。前後編に分けてお届けする。

森下仁丹の口中清涼剤「仁丹」。1905年(明治38年)発売のロングセラー。スライドして少しずつ取り出せる独特の形状の紙ケースに懐かしさを覚える人も多いのでは
森下仁丹の口中清涼剤「仁丹」。1905年(明治38年)発売のロングセラー。スライドして少しずつ取り出せる独特の形状の紙ケースに懐かしさを覚える人も多いのでは

小口覺(以下、小口) 「大阪の会社だいたい面白い説」を唱えているのですが、御社もTwitterで「仁丹」の写真を使った難しいジグソーパズルを発表するなど、面白い会社だなと思って来ました。

森下雄司さん(以下、森下) そうでしたか。こういった取材では最初に聞くのですが、「仁丹」を召し上がったことありますか?

小口 実は昨日、ドラッグストアで買いまして。小学生の時以来だったのですが、香りと味が実に懐かしかったです。そして昔の家族を思い出しました。

甲南大学経営学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行し、支店での法人営業、本部業務などに従事し、2007年に森下仁丹入社。執行役員経営企画部長、ヘルスケア事業本部長、取締役執行役員カプセル事業本部長などを経て、19年代表取締役社長に就任
甲南大学経営学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行し、支店での法人営業、本部業務などに従事し、2007年に森下仁丹入社。執行役員経営企画部長、ヘルスケア事業本部長、取締役執行役員カプセル事業本部長などを経て、19年代表取締役社長に就任

森下 ご家族はどなたが食べていましたか?

小口 祖父が普通の「仁丹」(銀粒仁丹)、祖母が「梅仁丹」だったと記憶しています。私自身はその後1980年代にヒットした「白仁丹」を、中高校生の時にやたら食べていました。

森下 「白仁丹」は、CMにも力を入れていた商品です。

小口 当時、「スーしませう。」のコピーに、広告が上手な会社というイメージを持ちました。まずは、仁丹の歴史について教えてください。

森下 創業は1893年(明治26年)で再来年には130周年を迎えます。「仁丹」の発売は1905年(明治38年)。生薬を配合した台湾の懐中薬を参考に、創業者が10年以上の研究の末に作り上げました。当時は衛生状態が悪く、水あたりや食あたりで命を落とす人も多く、予防のための薬でした。

積極的な広告宣伝は福沢諭吉の広告論から

小口 現在でも医薬部外品として、「二日酔い、宿酔、胸つかえ、悪心嘔吐(おうと)……」といった効能・効果が記載されています。発売当初から広告宣伝で売り上げを伸ばしていった。

森下 創業者は福沢諭吉先生に傾倒していて、「同じような製品があった場合は、広く知らしめたものが勝つ。商品が良くても皆に知らしめなければ埋もれてしまう」という“広告論”を行動に移したのです。具体的には、新聞広告や看板などで製品の認知を広げていった。その結果、当時の製薬会社では群を抜いた売り上げを実現しました。

昭和の初期まで「仁丹」の製造に使用されていた手もみ製丸機。発売当時は銀色ではなく赤いコーティングが施されていた
昭和の初期まで「仁丹」の製造に使用されていた手もみ製丸機。発売当時は銀色ではなく赤いコーティングが施されていた

小口 浅草にあった「仁丹塔」も有名。文字通りの広告塔です。

森下 目立つということで、当時の子供たちには迷子になったときの待ち合わせ場所になっていたそうです。また、以前渋谷の宮益坂にあった東京営業所のビルは、「都市の美観と青少年の非行防止のために」と、壁面にハロゲンライトを使ったイルミネーションが施されていました。そのイメージから、本社が渋谷だと思われている方が多かったようです。

小口 広告がランドマークとして待ち合わせなどに利用されるのは面白い。パーソナライズされたネット広告とは対極の、公共にある広告。道頓堀の江崎グリコ、通天閣の日立製作所など、大阪には分かりやすいものが多い印象です。

森下 昔からインパクトを考えていたのでしょう。印象に残っているのはありがたいことです。公共にある広告ということでは、町名の看板も手がけました。今は自治体が住居表示を設置していますが、当時は民間の会社が宣伝の意味も込めてつけていたんです。もともとは、郵便配達員や地方から尋ねてきた人のために作られたそうで、今で言う企業による社会貢献的な考え方もあったと思います。大阪や東京にあったものは、空襲でほとんど焼けてしまいましたが、京都には今でも700個近くが残っています。

町名の看板を復刻したものが森下仁丹の本社社屋に掲げられている。京都には当時のものが今も700個近く残っている
町名の看板を復刻したものが森下仁丹の本社社屋に掲げられている。京都には当時のものが今も700個近く残っている

商標は軍人ではなく外交官

小口 仁丹と言えば、ひげの男性がトレードマークです。名前はあるんですか?

森下 「大礼服マーク」が正式名称です。昔は「軍人さん」とも呼ばれましたが、正確には外交官なんです。仁丹は発売から2年後には海外展開をスタートし、中国やインド、アフリカなどへと販売網を拡大していきました。中国や台湾で製品のアイデアを頂いたのでお返しをしたい思いが創業者にはあった。トレードマークは、仁丹を海外に展開していく、薬の外交官の役割を果たしてほしいとの思いで作ったそうです。

小口 時代に合わせて少しずつリニューアルされているとか。

森下 昔は命を落とす病気が多かったので、病気に負けないような険しい顔をしていましたが、時を経るにつれ優しい表情になっていきました。120周年(2013年)でさらに若返り、現在は7代目です。

大礼服マークの変遷。左から、発売当時(明治38年)、大正初期(大正5年)、大正中期(大正10年)、昭和初期(昭和2年)、終戦後(昭和25年)、昭和後期(昭和49年)、現在の商標(平成25年)。顔つきや勲章の数などが少しずつシンプルになっている
大礼服マークの変遷。左から、発売当時(明治38年)、大正初期(大正5年)、大正中期(大正10年)、昭和初期(昭和2年)、終戦後(昭和25年)、昭和後期(昭和49年)、現在の商標(平成25年)。顔つきや勲章の数などが少しずつシンプルになっている

小口 森下仁丹のいろいろな商品を拝見してみると、大礼服マークをモチーフに、コップを持っていたり(お茶や青汁など)、ターバンを巻いていたり(仁丹の食養生カレー)と小技が利いていますね。バリエーションが豊かです。

森下 さらに、ゆるキャラじゃないですけど、若者世代の認知を高めるために「仁丹王子」の着ぐるみも作りました。

小口 このカワイイのは別キャラなんですね。

森下 大礼服マークの弟分として誕生したキャラクターなんです。

非売品のノベルティグッズ。上は大礼服マークから誕生した「仁丹王子」。一番下はマスクケースで、開けると中にマスクをかけた大礼服マークが
非売品のノベルティグッズ。上は大礼服マークから誕生した「仁丹王子」。一番下はマスクケースで、開けると中にマスクをかけた大礼服マークが

口中清涼剤としてバリエーションを増やす

小口 最初は万能薬として売られていた仁丹が、ある時代からは口中清涼剤として使われるようになる。

森下 時代が進むにつれて衛生環境も変わってきましたし、今から50~60年前には独特の香りが口臭予防になるとして、エチケットのためのものという側面を打ち出すようになりました。広告も、食事やお酒、たばこの後に仁丹を食べましょうというプロモーションに変化しました。

小口 たばこのにおいをごまかすためという印象は強いです。

森下 実際にたばこ屋さんや駅売店での売り上げは大きかった。当時は商談をしながらたばこを吸うような時代でしたから、サラリーマンが社会人として持っておくべきものとして、手帳などと同様に仁丹が紹介されていました。ただ、ずっとこの味で親しんでいただけるのかという問題意識から、「梅仁丹」や「グリーン仁丹」が生まれました。

小口 食べやすくなって老若男女に愛される存在となる。「白仁丹」のヒットもそこに続くものですね。しかし、口中清涼剤としてはガムやタブレットがたくさん出てきたこともあり、仁丹の売り上げは下がっていきます。今、主に購入されている方は?

森下 昔から召し上がっている方、年配の方が中心です。ドラッグストアでも指名買いが多い。若い方たちが年を重ねて「私も五十歳になったから仁丹食べよう」となってくればいいんですけど、なかなか難しい。

小口 しかし、若い層にも人気のお笑い芸人が愛用しているなど、根強いファンがいることでも知られています。若い人にもファンがいるのでは?

森下 もちろん、新しく知っていただいたお客さんもいらっしゃいます。高校3年生になる私の息子も食べていて、気を使ってくれているわけじゃないと思いますけど、「コーヒーと一緒に食べるとおいしい」と言ってくれます。甘茶が配合されているので、甘みが感じられるんですよ。

小口 お酒と一緒に食べる人も多いようですね。効果・効能に二日酔いがあるので、合理的です。独特の味や香りが苦手な人も多いでしょうが、逆にクセになる可能性を秘めている。それこそ、たばこのように嗜好品として。

森下 我々の意図とは別に、お客さんが楽しみ方を見つけてくださり、それが広がったりすると、ありがたいなと思います。

商品への愛があってこその自虐

小口 そういった広がりは、SNSが担っていますね。Twitterの公式アカウントは、自虐ネタを含めて攻めています。「仁丹」の写真を載せて「まだ売ってるし」と自分で言ってしまうところとか。

Twitterの公式アカウント。フォロワーは3万8000人。少女漫画風のアイコンは、フォロワーさんが描いたものとか
Twitterの公式アカウント。フォロワーは3万8000人。少女漫画風のアイコンは、フォロワーさんが描いたものとか

森下 Twitterは「中の人」に任せてやってもらっています。商品への愛があってこその自虐ですし、「お寺のにおいがする」といったコメントも、仁丹を知ってくださっていると思うと、ありがたいです。

小口 コロナ禍で話題になったのは、解くのが非常に難しい仁丹の写真のジグソーパズルです。

森下 ステイホームが求められていた時に、 SNSで各企業さんがお家で過ごすアイデアを発信されていて、森下仁丹でも何ができるかと考えたときに出たアイデアです。

難しすぎるとTwitterでバズったジグソーパズル(上)と、その基となった写真の仁丹(下)。最初は紙に印刷してユーザーに切ってもらう仕組みだった。反響が大きいため、実際のパズルを作り、医療従事者へのチャリティーオークションなどで配布された
難しすぎるとTwitterでバズったジグソーパズル(上)と、その基となった写真の仁丹(下)。最初は紙に印刷してユーザーに切ってもらう仕組みだった。反響が大きいため、実際のパズルを作り、医療従事者へのチャリティーオークションなどで配布された

においと思い出が結びつく

小口 Twitterでは、仁丹にまつわる懐かしい思い出を書かれる方も多い。私も仁丹を食べて祖父を思い出しましたが、思い出との結びつきが強いアイテムです。

森下 私は49歳ですが、我々の年代が子供のころは遠足のお菓子は300円以内などと決められていて、その中で先生に「僕はバスに酔うので梅仁丹は薬でいいですよね」と確認するといった話がありました。同世代には懐かしい思い出として語られている。

小口 「バナナはおやつに入りますか」に近い。(笑)

森下 今みたいにSNSで横のつながりを持っている時代ではないので、兄弟や近所の人を通して広まった話だと思いますが。他にも、「においを嗅ぐと田舎のおばあちゃんの家を思い出す」など、それぞれの心の中に仁丹が残っている。

小口 においとともに意識下に残っている。

森下 そのぐらい皆さんに親しまれてきたことで、会社自体の印象にげたを履かせてもらっている。ただし、長年築き上げたものが失われるのは一瞬です。メーカーとして嘘をつかず、しっかりした品質の製品を作り続けることが重要だと考えています。

小口 ありがとうございました。後編では、仁丹の知名度ほどには知られていない、ヘルスケア事業やBtoB事業についてお伺いします。

【意識低いポイント】「それぞれの心の中に仁丹が残っている」
その味や香り、広告、商標、個人的な懐かしい思い出を含めて、広く人の心に残っている仁丹のイメージが、同社のプライスレスな資産となっている。それは、後編で紹介するヘルスケア事業にも有効に働いている。SNSの活用も、これらの資産の上に成り立っていると言えるだろう。

(写真提供/森下仁丹、写真/湯浅英夫)

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