ある年代以上なら誰もが知っている口中清涼剤「仁丹」。身近に食べている人を見かけることは少なくなったが、今も根強いファンがいるようだ。Twitterの公式アカウントや「食養生カレー」や「薬膳おせち」といった商品が話題になることも多い。仁丹の歴史と広告戦略について、森下仁丹社長の森下雄司さんを小口覺氏が直撃。そこには、BtoBでも高く評価される技術力があった。前後編に分けてお届けする。
小口覺(以下、小口) 「大阪の会社だいたい面白い説」を唱えているのですが、御社もTwitterで「仁丹」の写真を使った難しいジグソーパズルを発表するなど、面白い会社だなと思って来ました。
森下雄司さん(以下、森下) そうでしたか。こういった取材では最初に聞くのですが、「仁丹」を召し上がったことありますか?
小口 実は昨日、ドラッグストアで買いまして。小学生の時以来だったのですが、香りと味が実に懐かしかったです。そして昔の家族を思い出しました。
森下 ご家族はどなたが食べていましたか?
小口 祖父が普通の「仁丹」(銀粒仁丹)、祖母が「梅仁丹」だったと記憶しています。私自身はその後1980年代にヒットした「白仁丹」を、中高校生の時にやたら食べていました。
森下 「白仁丹」は、CMにも力を入れていた商品です。
小口 当時、「スーしませう。」のコピーに、広告が上手な会社というイメージを持ちました。まずは、仁丹の歴史について教えてください。
森下 創業は1893年(明治26年)で再来年には130周年を迎えます。「仁丹」の発売は1905年(明治38年)。生薬を配合した台湾の懐中薬を参考に、創業者が10年以上の研究の末に作り上げました。当時は衛生状態が悪く、水あたりや食あたりで命を落とす人も多く、予防のための薬でした。
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