大阪、京都、滋賀に路線を持つ京阪電車(京阪電気鉄道)。大手私鉄ながら個性的なマーケティングへの取り組みが多い。2016年からは「中之島駅ホーム酒場」、17年からは「京阪沿線 ぶらり学食スタンプラリー」を実施。なぜ京阪電車はおもしろ企画を連発できるのか、その理由を元鉄道ファンで現在は酒好きの小口氏が企画担当者に直撃した。
仕事中の妄想からヒット企画が生まれた
小口: ちょい飲みブームと言われる昨今、16年にスタートした「中之島駅ホーム酒場」は画期的でした。どんな経緯で企画されたのでしょう。
吉城寿栄さん(以下:吉城): もともとは中之島線が開業したものの、輸送人員が低迷していたことが背景です。知名度を高めることが会社としての課題の1つでした。1回目の開催では、4日間で7400人と予想を超える来場者がありました。
小口: 利用者数が伸びなかった原因は。
吉城: 中之島線は、なにわ筋線(梅田から中之島駅を経て、難波、新今宮に至る路線)と同時期に開業するはずでしたが、なにわ筋線の計画が進まなかった。鉄道は接続される路線があると乗客が増えるのですが、いわゆる“盲腸線”になってしまった。さらに、新設される美術館の着工が遅れたことなども響いています(大阪中之島美術館・2021年度の開館を予定)。
小口: タイムリーなことに、本日(取材の日)国土交通省が「なにわ筋線」の鉄道事業を許可することを発表しました。でも開業は早くて31年春とあるので、先は長い……。
吉城: 中之島駅ホーム酒場を実施した理由には、巨大なアヒルちゃん「ラバーダック」を浮かべられなくなったというのもあります。
小口: 有名なアート作品ですね、世界中で展示されている。
吉城: 「中之島ウエスト・エリアプロモーション連絡会」という地域活性化のための団体があり、冬のイベントとしてラバーダックを川に浮かべていました。
ラバーダックは、オランダのフロレンティン・ホフマンという芸術家が制作しているものですが、多くの人が集まって盛況でした。ところが、3年目(15年)にはラバーダックが来なくなってしまうことになり、これは大変だと。代わりに集客できるインパクトのあるイベントとして、社内に提案したのもきっかけです。
小口: でもラバーダックと酒場って開きがありますよね。
吉城: アイデア自体は4~5年間温めてきました。10年に「京阪電車開業100周年記念事業」の一環として、中之島駅に停車させた電車をミュージアムに仕立てるイベントがありました。京阪電車の歴史年表やヘッドマークのコレクション、ポスターやチラシを展覧し、来場者は13日間で1万8000人を超えました。これも私が担当していたのですが、先頭車両の入り口で日がな1日パンフレットを配りながら妄想していました。「ここで飲めるよな」と。
小口: ああ(笑)。
吉城: ここで飲み食いしたら楽しいだろうなと絵が思い浮かんだ。中之島駅の3番ホームは臨時列車用で、普段は使っていません。後ろが壁で電車を止めれば非常に閉鎖された空間になります。酔った人がホームから転落する危険もない。のれん街のような横丁ができるなと。これは実現しませんでしたが、ホームの入り口に「○○街」といったアーチを作ることもイメージしていました。
小口: 細長い飲み屋街と言えばガード下に近いですね。新橋や有楽町みたいな。
吉城: しかも、ラバーダックはお客様がどこから来ているか分からない。他社の駅や車を利用されているかもしれないですが、駅なら圧倒的に京阪に集客できます。冬の企画として考えたのですが、提案したのが10月だったので実際に開催されたのは6月になりました。
小口: そもそも中之島ってどういうエリアなんですか。
中西一浩さん(以下:中西): 川に挟まれた島で、行政機関や美術館、図書館、大学といった文化・教育施設があり、どちらかと言うとインテリジェンスの高い地域です。歴史をたどると船で京都の伏見などからお米やお酒が運ばれる、商業の拠点でした。江戸時代の藩主の館や蔵屋敷もここにありました。
小口: 港湾施設であり倉庫であり。
中西: 古い建物も残っており、歴史ある魅力的な街を活性化したいというのが1つの気持ちです。
吉城: ミナミのがやがやした感じとは全く違う、大阪らしくない地域です。芸術と文化の街で、そんな中之島が好きだという人も多い。でも(中之島駅ホーム酒場という芸術や文化とは)全然違うことをやるんですけどね(笑)。
小口: 周囲に繁華街がないからこそ、インパクトはあります。
吉城: なので社内から反対意見はありました。中之島の上質なイメージとは違うと。でも、それは中之島駅を知ってもらってからでもいいでしょうと。一歩駅から外に出れば魅力は伝わるわけですから。
小口: 貸し切りの電車でお酒が飲めるイベントは珍しくないですが、ホームや止まっている電車の中で飲むのは、また違いますか?
吉城: 動く電車の場合、定員と時間が拘束されます。ゆるゆると集まったり、遅れて参加したりができません。それって、飲みに行く精神としてはあまりそぐわないじゃないですか。「仕事が終わったから軽く行くか」「飲んでるから来なよ」といった世界観が欲しかったんです。
小口: イベントというより、リアルな酒場を目指した。
吉城: のれん街的なものが駅の中に現れてまた消えていく。そのほうが楽しいかなと。商売としても、定員がないのでどれだけの人に来ていただけるかなという楽しみがある。実は走っている電車のイベントで7400人を集めるのはすごく大変で、これは立ち飲みだからこそ可能でした。
心配と思う人間が現地に走れ

小口: 閉鎖された空間とはいえ駅のホーム、しかも通勤路線でお酒を提供するとなると、安全面でクリアすべき課題も多いと想像できます。
吉城: 一番苦労したのは消防法です。中之島駅は地下なので可燃性のものは設置できません。設置するテントなどは不燃性にすることにし、また電車が駅に入る際に起こる風でテントが飛ばないか、火事の場合の避難経路や誘導はどうするかなど、一つ一つ潰していきました。
防火を考慮してガスは使えない。かといって、駅構内の電源でホットプレートを使うとなるとブレーカーが飛んでしまう危険性もある。駅の機能に支障が出ると大問題ですから、京阪電車の電気部が1店舗あたりで使える電気の量を計算して割り当てました。
小口: 電気部というのは普段はどういう仕事を。
吉城: 電車を走行させるのに必要な電気設備のメンテナンスや工事を行っています。
小口: ガチなやつだ。
吉城: 思いのほか大変だったのは、電車のドアを長時間開けっぱなしにすることです。通常の運転時、駅などでドアを開けている時間は1分や2分じゃないですか。でも「中之島駅ホーム酒場」で使用する電車では、ドアを常に開けた状態にしておく。さらに長時間照明や空調はつけておかなければならないので、電気を使わずドアを開きっぱなしにするには、特殊な手順が必要でした。
小口: 全社的な協力が必要なのですね。安全を考えると反対もあった?
吉城: 「わざわざ危険を招くようなイベントをするのはおかしい」という意見は強かったです。ただ、会議が後ろ向きになっているときに、当時の役員が、「みんな心配やろ。心配と思う人間が安全を守るために現地に走れ」と言ってくださった。
小口: カッコイイですね。安全は心配することではなく自分たちで確保するものだと。
吉城: なので1回目は役員や駅長クラスの人がお客さんに負けないほどいて、G20並みの厳戒態勢でした(笑)。
小口: 一般の人間が想像する以上に難しい企画だったのですね。他の鉄道会社の反応は?
吉城: 驚かれていたのは確かですね。見に来られる同業他社の人は多かった。「どうやって企画を通したんですか」とか「うちもやろうかな」という感じで。
小口: 実際、京急の「京急川崎ステーションバル」など、この後から他の大手私鉄が似たようなイベントをするようになりました。今年は、まだ開催が発表されていませんが(19年7月時点)。
中西: 19年に限っては未定です。例年は6月下旬頃に実施していたのですが、G20があったので実施できませんでした。日程調整が一番難しいですね。社内の部署間調整をはじめ、夏は石山坂本線で「ビールde電車」が始まるので。スタッフが調達できない。冬は忘年会シーズンでお飲みになる機会が多いですし。
小口: では19年にあるとしたら秋ぐらいですかね。期待しています。
(写真/小口覺、写真提供/京阪ホールディングス)