2016年の流行語のひとつである「ドヤ家電」。ダイソンの掃除機など、思わず友人に自慢したくなる家電を指す言葉だ。この連載では、「ドヤ家電」の命名者である小口覺氏が、長年培った家電ライターとしてのスキルを生かして、独自のマーケティング理論を展開する。その名も“意識低い系マーケティング”。マーケティング戦略アドバイザーの永井孝尚氏とともに、過去のヒット商品を具体例に“意識低い系マーケティング”がいかに重要かを2回に分けて考察してみた。
小口覺(以下、小口): ネットでよく見られる「意識高い系」というフレーズがありますよね。そんな意識高い系の人々に支持されたものの、あまり売れなかった製品やサービスは多く、逆に難しいことは考えていないような意識低い系の人々の支持からヒットが生まれている――この意識低い系マーケィング仮説を、マーケティング戦略アドバイザーの永井孝尚さんと一緒に考えてみたいと思います。
意識高い・低い系とは?
小口: 意識低い系マーケティングは、僕が勝手に作った言葉で、誰も知らないと思うので少し説明させてください。2010年ごろでしょうか、「意識高い系」という言葉がネットで流行しました。自分の経歴や人脈、考え方などを必要以上にアピールすることを指して使われていた言葉です。就職活動中の学生などでその存在が目立ち、SNSで可視化されたことで一気に広まりました。
永井孝尚氏(以下、永井): 揶揄(やゆ)して使われていたわけで、決して褒め言葉ではないですね。
小口: そうなんです。「意識が高い」それ自体は良いことですが、自分を実力以上に見せるから「意識高い“系”」と言われ、周囲に「痛い」と思われる。ネットは他人の自意識に敏感です。手前味噌ですが、ドヤ家電の元となった「スタバでMacBook開いてドヤ顔」なんてフレーズも意味としては「意識高い系」に近いかもしれません。ただ、ネットの世界では揶揄的なフレーズも広まるにつれてマイルド化され、自虐的に使われるようになるんですけどね。
それはともかく、意識高い系は人だけでなく企業や製品、ブランドにおいても見受けられます。これはSNSの存在が大きいです。そうした企業や製品、ブランドのSNSでは「うちは良いモノを作っている」という自意識、自己アピールがあらわになっている。内容の伴わない個人のセルフブランディングが痛く見えるのと同様に、企業のブランディングも単に上から目線で痛々しく、効果が出ません。むしろ逆効果になっている。
また、SNSがマーケティングに使われるようになった結果、意識高い系の人々の声を取り入れすぎて失敗するケースもあります。ネットでは持ち上げられるものの、実際に製品が出ると鳴かず飛ばず。そこで、思いついたのが、意識高い系のワナに惑わされないという意味の意識低い系マーケティングというわけです。
関連リンク
・「永井孝尚オフィシャル・サイト」takahisanagai.com
バルミューダのトースターは意識低い系?
永井: 小口さんは、家電メーカーのバルミューダを意識低い系マーケティングの例として挙げられていました。
小口: かつてのバルミューダの製品は、デザイン性の高さがいちばんの売りで、意識高い系の消費者が支持していました。しかし、デザイン家電というのは評価の割に売れないのが普通です。バルミューダもそこで行き詰まっていたと思われるのですが、2万円の高級トースターが大ヒットして売り上げが何倍にもなった。デザイン勝負という意識高い世界にプラスして、おいしいものを食べたいという意識低い世界を取り込んだことが成功の理由だと思います。
永井: 自分のこだわりよりも、お客さんに寄り添ったということでしょうね。
意識高い系のワナ[1]~ニーズの取り間違い
永井: 先ほどの、SNSを使ったマーケティングで失敗する理由を分析してみると、まず意識高い系の人たちは情報発信力が高いため、実態よりも大きく見える。「こんなに多くの人が望んでいる」と判断しても、実際にはそれほど数はおらず、他の人はまったく興味がない。
小口: 少数の人たちの意見を過大評価してしまうんですね。発信力の高い人に評価されるので、ブランド化できると思ってしまい、強気の値付けをしたり……。あとは、SNSのフォロワー数が多い人には、インフルエンサーとして商品を宣伝してくれることを期待するのでしょうが。
永井: それもあるでしょうね。しかし、インフルエンサーの影響力は万能ではありません。情報の伝播力はあるものの、購買には結びつかないことも多い。
小口: とるに足らない情報を広く伝えるのには効果がありますけど、お金を出すとなると普通はインフルエンサーの声だけでは決めづらいですよね(笑)。
永井: 商品の評価は、提供した価値がお客さんの期待値を超えた部分を表しています。例えば意識高い系にありがちな「センスがいい」「カッコイイ」という要素が期待値を大きく超えている。この差が感動になり支持されると思って発売するのですが、実は大多数の人はその要素にあまり興味がなく、使いやすさや心地よさといった意識の低い要素を製品に期待していたりする。そちらの価値が提供できていないと、評価されませんし、売れません。
小口: 意識低い系というとバカにしているように聞こえるかもしれませんが、実際には普通の人のことです。普通の人の中にも高い意識はありますが、それはメーカー(開発側)が押しつけてくる意識高い系の要素とは別のものであることが多いです。
永井: 自意識としてのブランドが空回りしている。お客さんの期待を超えた価値(顧客満足)をいくつも積み重ねてこそ本当のブランドになります。よく「ブランドは鍾乳洞である」と申し上げるのですが、鍾乳石は何万年もかけて水に含まれる石灰が積み重なっていきますよね。石灰の成分が顧客満足です。
小口: 地味に積み重ねるべきもので、ぽっと出の会社がブランディングでなんとかなるものではないということですね。
意識高いままではキャズムを越えられない
永井: 意識高い系の人たちは、製品ライフサイクルでいうところの、イノベーターではないでしょうか。新しければ何でも欲しい人たちです。アーリーアダプターは実利主義者で、役に立つと思えば買う人たちです。アーリーマジョリティーはリスク回避のために買う人々。それぞれの間にはクラック(裂け目)があり、アーリーアダプターとアーリーマジョリティーの間に一番大きなクラックであるキャズム(谷)があります。意識高い系に向けた製品では、最初のクラックすらも越えられないのかもしれません。
小口: その原因は何なのでしょう。
永井: 売れる製品を開発するには、隠れたニーズを探る必要がありますが、それは多くの場合、ネットでは分かりません。普通の人(意識低い系)に役立つニーズを考えないといけないのですが、それはネットの表面上のやりとりではなく、実際にアイデアをお客さんのところに持っていって使ってもらうというようなところからブレークスルーが起こるのです。
永井: デザインやカッコイイ以外にも意識高い系のワナはあります。例えば、自分たちは高品質だと思っているけど、実は単に過剰品質で相手にとっては意味がないケースです。日産自動車がかつてマーチの生産をタイ工場に移管した際、日本の鉄鋼会社は張力の高い鋼板を売り込みました。しかし、これは高級車には必要ですが、マーチのようなコンパクトカーではメリットが小さいんです。逆に日産が重視したのはインドや南アフリカなどにマーチの生産を移しても鋼板を調達できること。結局、他の鉄鋼メーカーの鋼板に替えられてしまった。
小口: 品質や性能を重視するあまり、日本企業が陥りがちなワナですね。
意識高い系のワナ[2]~時期尚早
永井: 過剰品質については個人的な経験としてもあります。インターネットが普及する前の90年ごろですが、私は日本IBMで企業向けグループウエアの企画と開発をしていました。当時は大型コンピューターやUNIXの時代ですが、ユーザーデータを、ファイルではなくデータベースで管理する仕組みにしました。
今では当たり前の仕組みですが、データベースで管理することで、障害時の復旧が可能になり、ユーザーのデータを保護できます。ところがなかなか売れなかった。そこで購入したお客さんに話を聞くと、購入した理由は「クライアント側のソフトが配布自由だったから」でした。当時、ほとんどの他社製品はクライアント側ソフト導入数分のお金を払う必要があったのですが、私たちの製品では、クライアント側ソフトは配布自由でした。その代わりにサーバーにログインしているユーザー数で課金していたのですよね。だからお客さんにとって、大規模導入のときでも全体のコストが安かったんです。結局、データベース機能は売りになっていなかった。当時はまだローカルのパソコンにデータを保存するのが主流で、サーバーのデータがなくなっても「ローカルから戻せばいい」と言われました。当時はデータ保護は過剰品質だと思われたのです。
小口: 今は当たり前ですが、時代が追いついていなかった。早く生まれすぎて残念な結果に終わった製品は多いですね。
永井: マーケティングでは、時間軸をどう見るかが大事です。早すぎても遅すぎてもいけません。
小口: 出たときは斬新すぎて興味がなかったけど、今は必需品という製品もあります。
永井: 私にとっては、ロボット掃除機がそうでした。最初出たときは、床の上を片付けなければ使えないし、便利だと思えなかった。しかし、IT企業の社長に知り合いがいて、小さいオフィスをルンバに掃除させているのを見て、気がつくと自分も買っていた。だんだん機能も上がってきましたし……。
小口: 僕は、初代のルンバを買いました。意識高い系だったんでしょうね(笑)。
意識が高いほど先が見えない?
小口: 意識高い系というか専門知識を持っているほど、時期尚早どころか世の中の流れを完全に読み間違えるケースもあると思っています。95年ごろだと思いますけど、僕はインターネットが流行すると思っていました。素人目線で。ところが、PC業界をずっと見てきた専門家の中には、インターネットなんて流行しないと主張する人もいた。
逆に、専門家がこれは世を変える、流行ると宣伝した技術やサービスが当たらないことも数え切れないほどあります。メディアも、「コレが来る!」とか特集をさんざんぶち上げて、結果的に外していたりします。「セカンドライフ」とか(笑)。これも一種、意識高い系の病かもしれません。
永井: 私は当時日本IBMの研究所にいましたが、若いマネージャーほど「インターネットは世の中を大きく変える」と理解していましたが、ある程度上の年代だと、中には「こんなのはおもちゃだ」という人もいましたね。
小口: 世の中を変えるような斬新な製品は、意識高い系の人ほど最初は「おもちゃ」に見えるものなのかもしれません。パソコン(パーソナルコンピューター)がまさにそうでした。
永井: 斬新な製品やサービスを見たとき、それが時期尚早なのか、まったく見当違いなのかを読めるのが優れたマーケターではないでしょうか。まだインターネットが浸透する前、IBMのルイス・ガースナーCEOには有名なエピソードがあります。エンジニアにホームページを見せられて、「購入するボタンはどこにあるんだ?」と言ったそうです。後のオンライン取引をすでに見越していたわけです。その後ガースナーは「e-ビジネス」を提唱し、IBMは90年代後半に復活することができたのです。
小口: さすがの洞察力ですね。
スティーブ・ジョブズは意識低い系マーケター
小口: そういう意味では、スティーブ・ジョブズが率いていた時代のアップルも流れに乗るタイミングが絶妙でした。アップルはイノベーティブじゃないとけなす人も多いですが……。
永井: そういう人は、イノベーションを「発明」のことと勘違いしています。発明はインベンション。イノベーションとは、モノを組み合わせて新しい価値を作ることです。それを正しいタイミングで行うことが重要で、その意味でアップルは非常にうまくやりました。世の中にある新しい技術を組み合わせて、ベストなタイミングで世の中に出した。そういう意味で、ジョブズはインベンターではなくマーケターでしょう。
小口: 組み合わせとしてのイノベーションの例を挙げると、デジタル音楽プレーヤーと音楽業界を結びつけたことですね。
永井: iPodを出す前から、デジタル音楽プレーヤーの市場はすでにありました。プレーヤーとしては米ダイアモンド・マルチメディア・システムズ社(※2000年にソニックブルーに社名変更)のRioが売れていたし、ファイル共有サービスにはNapster(ナップスター)があった。イノベーター層が違法ダウンロードの音楽を楽しんでいたわけです。アップルは音楽業界と結びついて合法的に楽曲をダウンロードできるiTunes Storeを作りました。
小口: さらにiPodもホイールボタンの採用など、より分かりやすさにこだわって作られた。機械に詳しい人にではなく、誰にでも使いやすくしろというジョブズの指示。これこそ意識低い系マーケティングだと思うんです。そもそも起業家という人種は意識が高いに決まっていて、ジョブズはその極みです。若いころは菜食主義にハマったり、精神的な師を求めてインドに行ったりしている。ところが、自分の作った会社から追われ、97年に復帰し、iMacやiPodをヒットさせたころからは、マーケターとして意識低い系の要素が強まってきました。
永井: アップルは最初に意識高い系の消費者を攻めて、次に意識低い系を攻めるという構図がちゃんと描けている。この辺りの戦略性が感じられます。それを実現したのはティム・クック(現CEO)です。
(第2回「意識低い系の人々がきゃりーをブレークさせた?」に続く)
当記事は日経トレンディネットに連載していたものを再掲載しました。初出は2017年5月18日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています