※日経トレンディ 2019年4月号の記事を再構成
連載開始後13年がたち、単行本は53巻まで発行されている『キングダム』。累計3800万冊以上の、押しも押されもせぬ大ヒット漫画だが、作者の原泰久氏の道のりは平坦ではなかった。大人が仕事の指南書としてハマる、異色のロングセラーが生まれた軌跡と、自身が脚本に参加した映画『キングダム』への思いを聞いた。
漫画家
――『キングダム』は、リーダーシップや経営が学べる指南書として、ビジネスパーソンに読まれています。
原 泰久氏(以下、原氏) 「ビジネスに役立つ」という声をいただくのですが、もちろんビジネス用途を狙っているわけではないんですよ。でも、僕のサラリーマン経験が影響しているかもしれません。
僕は学生時代から漫画を描いていて、サラリーマンなんて嫌だ、漫画家になりたい、クリエイティブな仕事に携わりたいと思っていました。当然、簡単になれるわけがなく、いわば「しかたなく」SEとして就職し、「早く抜け出して、漫画家デビューしよう」と、不届きなことを考えていたんです。
ところが、いざ働いてみると、予想外に仕事が面白い。学生の目から見ると、会社では皆同じように見えていたのですが、実際の現場は、チームごとにそれぞれ役割があり、有機的に動いている。『キングダム』でいえば「伍」ですね。それがいくつもあり、その中で戦ったり、リーダーたちが上長とけんかしたり、一人一人がアグレッシブに動いている。ドラマチックだと思いました。
当時は、特許技術を有する特殊なチームのSEだったのです。先輩プログラマーが退職し、途中から僕一人でプログラミングを担当することになり、かなり追い込まれました。ミスもいっぱいして、僕がやらかしたバグのせいで会社に大きな損失が出たこともあります。あのときはもう、切腹覚悟で会議に出ました。
すると、どう考えても僕が悪いのに、上司が逆ギレともいえるくらい怒りながら、僕を守ってくれた。本当にうれしかったし、すごくかっこいい人だなと思いました。
3年という短い時間でしたが、少人数のチームだったので、多くの経験をさせてもらいました。うまい酒も苦い酒も飲みました。先輩に叱られたり、ちゃかされたり、かわいがられたりしながらいろんなことを学んでいく信は、僕のサラリーマン時代の経験そのものなんです。あの経験がなければ飛信隊の泥臭い部分は描けず、形式上かっこいい部分だけで終わったと思います。
――ロングヒット作になった転機とは何でしょうか。
原氏 ロングヒットといわれても、自分自身ではピンとこないんです。というのも、最初は人気があまりなかった(笑)。でも、僕は自分の漫画が心底面白いと思って描いているんですよ。「なぜ人気がないんだろう」と歯ぎしりする思いでしたが、とうとうアンケートで最下位を記録し、連載打ち切りの候補に入ってしまったんです。3作品中2作品が打ち切りになるという状況でも、最後の1つに残れるという根拠のない自信はありました。
そこで以前、アシスタントをしていた井上雄彦先生に相談したんです。井上先生からは、話は面白い、信の黒目が小さいだけだと言っていただきました。そこでハッと気が付いたんです。それまで、絵よりストーリーに重きを置いていたと。自分の漫画に対する姿勢を顧みました。そこで改めて自分の絵と向き合ったんです。
単に黒目だけを大きくすると、バランスがおかしくなる。黒目を大きくすることで、必然的に全体的なタッチにも手を入れる必要が出てきます。その結果、躍動感のある絵になったと思います。
僕だったら、後輩に質問されたら10くらい言ってしまいそうなところを、井上先生は黒目が小さいというたったひと言で、根本的な変化を与えてくれた。アシスタント時代も、井上先生は多くを語らず、漫画と真摯に向き合う姿勢を教えてくださいました。「この人の背中を見ていれば大丈夫だ」と思ったことを覚えています。漫画家としての指針になる井上先生に出会えたことは、大きな財産です。
信の黒目を大きく描いたのは、巻数でいうと4巻くらい。ちょうど、逃亡していた信たちが逆襲を始める頃で、ストーリーが盛り上がるタイミングだったということも功を奏したと思います。反乱を起こした政の弟、成蟜を倒した第48回で、初めて読者アンケート1位になりました。
そこからは人気が出始めたのですが、上昇カーブは緩やかで、なかなかドーンとはきませんでした。節目は15年、テレビ朝日の「アメトーーク!」で、「キングダム芸人」が取り上げられたことですね。あの放送の直後は、書店から単行本がなくなるほど、一気に火が付きました。
新しい読者さんから、「1巻から読んでるけど、最初から面白い!」って言っていただいて。あれ? 最初は人気なかったんだけどな(笑)と思いながらも、ずっとブレずに「これが一番面白い」と信じてやってきたことが報われたような気持ちになりました。
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