人間の身体能力、認知能力を拡張する「人間拡張」テクノロジーを解説する新連載。そもそも人間拡張とは何か──ロボットを使った一種の二人羽織と言える遠隔共同作業システム「Fusion」、人の動きに合わせてドローンを操縦できる「フライング・ヘッド」といった先駆的な研究を例に解説する。
2018年、EYはテクノロジーとビジネスの将来像に関するリポートを発表した。タイトルは「What's after what's next? The upside of disruption - Megatrends shaping 2018 and beyond.」(「『来る未来』の先に何があるのか?:ディスラプションからの価値創造」)。テクノロジーとビジネスの最新動向を調査、分析して、リポートをまとめたのはEYのシンクタンクEYQである。EYQはイスラエルに拠点を置くが、メンバーは世界中に散らばっている。
新たなテクノロジーは既存の社会、既存のビジネスを揺さぶり、破壊する場合がある。しかし多くの場合、それほど大きなインパクトを持つ破壊的テクノロジーは、ただ破壊するだけでなく社会の構造、産業界の構造を根底から変え、新たな秩序も生みだす。破壊的テクノロジーは脅威であると同時に創造のチャンスでもあるのだ。
どんなテクノロジーが将来、人類文明に破壊と創造をもたらすだろうか。EYQは、その筆頭に「人間拡張」を挙げている。人間拡張とは、人間がもともと持っている身体機能、知的能力、知能を強化することである。
顕微鏡も、自動車も人間拡張テクノロジー
すべてのテクノロジーは何らかの意味で人間拡張テクノロジーである。食器、衣服、靴、文具、メガネ、自転車、自動車、顕微鏡、望遠鏡、パソコン、スマートフォンなど数え上げれば切りがないが、ありとあらゆる道具や機械は人間の能力を拡張している。言語(特に書き言葉)すら、思考の効率的な貯蔵、伝達を可能にする拡張テクノロジーであるという意見もある(エディンバラ大学哲学教授のアンディ・クラーク氏)。
しかし、次世代の人間拡張テクノロジーがこれまで異なるのは、AI(人工知能)、情報工学、ロボット工学を組み合わせ、これまで厳然と区分けされていた現実と人工的なデジタル空間(仮想現実)、体と機械を融合することで、人間の可能性を劇的に広げようとしている点だ。
バイオテクノロジーやナノテクノロジーを駆使して内部から改造し、人間の身体能力、知的能力を拡張させる試みもある。そのため最近の人間拡張テクノロジーは超人化テクノロジーとも呼ばれる。SF作品に登場するバットマン、アイアンマン、スパイダーマン、ガンダム、エヴァンゲリオンなどを実際に作りだすテクノロジーと言えば分かりやすいかもしれない。
EYQのリポートは今後、人間拡張テクノロジーを利用した製品、サービスが次々に生まれるとともに、既存のビジネスの多くが破壊されると予想する。
その中で、日本の産業界は、新たな製品、サービスを生みだせるのか、それとも破壊されるのか。
人間拡張の活用で日本に2つの利点
われわれは日本には2つの利点があると考えている。
まず、日本には人間拡張テクノロジーを求める土壌がある。
一国の経済成長を左右する2大要因は、生産年齢人口(15歳から64歳までの年齢に該当し、労働力の主体となる年齢層の人口)と生産性である。日本では少子高齢化が進んだ結果、生産年齢人口は1995年にピークを迎えた後、減り続けている。この減少傾向は今後も続くと予想されており、現在の生産年齢人口は約7484万人(2018年1月、総務省発表)だが、2040年には5978万人、2065年には4529万人となると推計されている(国立社会保障・人口問題研究所が2017年4月に発表した「日本の将来推計人口」による)。
外国人労働者の受け入れ拡大、女性や高齢者の活躍推進など、今、生産年齢人口の減少分を補うための施策が急ピッチで進められている。制度改革や意識改革も進んでいる。しかし本当に必要なのは、生産性の向上である。生産年齢人口が減るなら、1人が2人分、3人分の仕事をする、すなわち1人当たりの生産性を向上させる他ない。従って、人間の身体能力、知的能力を伸ばす人間拡張テクノロジーが日本で受け入れられる可能性は高い。
日本には、人間拡張テクノロジー分野における有力な研究者が複数人いる。これが日本の利点の2点目である。
例えば国際学会誌「Augmented Human Research」の編集主幹を務める東京大学先端科学技術研究センター教授(身体情報学分野)の稲見昌彦氏。稲見氏は「光学迷彩(透明マント)」の研究で世界的に知られる。同研究は2003年に米国のTIME誌による「最も優れた発明(Coolest Invention of the Year)」に選出された。
光学迷彩の実現に必要な主な道具は再帰性反射材、カメラ、プロジェクター、ハーフミラー(マジックミラー)である。再帰性反射材とは、入射した光を散乱させることなく、入射した方向にそのまま反射する素材である。カメラは、この素材でできたマントを身に着けた人物の背景をリアルタイムで撮影する。そのデータはコンピューターで補正され、立体映像としてプロジェクターで映しだされる。
プロジェクターが投影する映像はハーフミラーによってマントをまとった人物へ送られる。その映像はマントで反射され、ハーフミラーを通して、観察者に届く。観察者の目は、カメラが撮影した背景の風景と、マントをまとった人物の映像を重ねて捉えるので、あたかも人物が背景に溶け込んだように見える。
2018年8月には、遠隔共同作業システム「Fusion」を発表した(東京大学と慶応義塾大学の共同研究)。Fusionは一種の二人羽織である。普通の二人羽織では、袖に手を通さず肩に羽織を引っかけているだけの人に対して、もう1人がその羽織に袖を通して、前の人の背後から両腕を出す。こうして1人の体のように見えて実は2人の体から前後に重なっている状態を作りだすのである。
Fusionでは、ロボットアームやカメラからなるウエアラブルロボットが羽織に当たる。このハイテク羽織を1人が背負うのだが、操作するのは遠隔地にいるもう1人の人物である。
このシステムは、地理的に離れた場所にいる2人が、体を介して共同作業をしたり、あるいは技能の習得に役立てたりすることを想定して開発されている。何かの作業の仕方について自分から離れた場所にいる誰かに教えようとするとき、例えば電話を使った口頭説明だけではうまく伝えられないことがある。そのような場合でも、Fusionを使えば、口頭説明だけでなく、ロボットアームで適宜指さしたり、相手の手を取ったりして、身体的に情報を伝達できる。
稲見氏によれば、教師役を務めるのは1人である必要も、人間である必要もないという。例えば遠隔地にいる複数の外科医が1つのウエアラブルロボットを操って高度に精密な手術のサポートをしたり、ロボットが人間に何らかの技能を身動きを通じて教えたり、逆に人間がロボットに教えたりできるようになるかもしれない。
別の部屋にいる人物の視点を操作
ソニーコンピュータサイエンス研究所副所長で、東京大学大学院情報学環教授の暦本純一氏も著名な研究者である。暦本氏の研究室で開発されたものの中に「フライング・ヘッド」と呼ばれるシステムがある。
このシステムでは、ヘッドマウントディスプレーを装着した人の動きに合わせて、ドローンを操縦できるので、装着者が頭を右(左)に向ければドローンも右(左)を向き、装着者がしゃがめばドローンも高度を下げる。頭をぐるりと回せばドローンのカメラを通して自分の姿を見ることもできる。装着者はまるで自分がドローンに乗り移ったような感覚を得られる。
「ジャックイン・スペース」と呼ばれるシステムでは、大型スクリーンに囲まれた部屋にいる人物(ゴースト)が、別の部屋にいる複数の人物(ボディー)の視点を切り替えながら、その部屋を見わたせる。ボディーは頭部に360度カメラを装着して周囲の風景を撮影する。その映像はゴーストのいる部屋の大型スクリーンに映し出だれるが、あらかじめボディーの向きを打ち消すように映像が補正されているため、ゴーストは自分の思い通りにボディーのいる位置から周囲を見ることができる。
ゴーストが他のボディーに移るときは、部屋の随所に設置された米マイクロソフト(Microsoft)製「キネクト」によって作られる3次元CGから部屋全体を俯瞰(ふかん)する。これによってゴーストはあたかも元のボディーを抜けでて、部屋の天井当たりを漂う、文字通りゴースト(幽霊)のような視点で部屋を見わたし、次に乗り移るボディーを選ぶことができる。暦本氏は、このシステムの応用としてスポーツのトレーニングを想定している。コーチの視点で自分の動きを見たり、プロ選手の視点を体験したりすれば非常に教育効果が高いだろう。
「人機一体」とは
稲見氏も暦本氏も、研究室のスローガンとして「人機一体」を掲げている。騎手と馬の心が1つであるかのように巧みな連携をすることを「人馬一体」と言う。それと同じように人と機械とが1つにつながって一体的に動く状態が人機一体である。人機一体と呼べるほど人と機械とが密に連携できれば、機械の拡張がそのまま人間の拡張になる。
前出のEYQによるリポートは、人間拡張テクノロジーの普及によってわれわれは「人間であるとはどういうことなのか、再定義する必要に迫られる」と述べている。ここまでに紹介してきた稲見氏、暦本氏らの研究成果を見れば、そろそろ人間の再定義について考え始める必要があることを納得していただけると思う。
人間の定義が変われば、個人も、社会も、経済も変わる。既存のビジネスは通用しなくなり、新たなビジネスが求められるようになるだろう。しかし今の段階では新たなビジネスの具体像が見えているわけではない。本連載では、研究者、起業家、投資家などへのインタビューを通じて、人間拡張テクノロジーがどんな破壊と創造をもたらすのか探ってみたい。
(撮影/撮影:Ken Straiton(光学迷彩)、
写真提供/東京大学 稲見・檜山研究室 & KEIO MEDIA DESIGN(Fusion))