日経クロストレンドが開催している有料会員限定のセミナー「日経クロストレンド・ミートアップ」。2020年5月27日にオンラインで開催された第13回は「コロナ時代、マーケターはどう動くべきか」をテーマに、エステー執行役(現かげこうじ事務所代表)の鹿毛康司氏が、有事に強いマーケターについて語った。

エステー執行役(現かげこうじ事務所代表)の鹿毛康司氏が登壇し、「コロナ時代、マーケターはどう動くべきか」をテーマにオンラインセミナーを開催
エステー執行役(現かげこうじ事務所代表)の鹿毛康司氏が登壇し、「コロナ時代、マーケターはどう動くべきか」をテーマにオンラインセミナーを開催

 今回の新型コロナウイルスの感染拡大や2011年に起きた東日本大震災など、有事の際に企業は炎上リスクを回避するために、テレビCMを差し替えたり放送を自粛したりする。とはいえ、どんな状況下でもマーケターは新たな企画を考え、プロモーションなどを作り続けなければならない。

 有事の場合、アンケートや意識調査、マーケティング分析など、平時の手法をする時間もなく、またそれだけでは答えが出ないことが多い。そこで「有事の際のマーケティング」をどう展開すればよいのか、エステーで数多くの広告を手掛けてきた鹿毛康司氏が、コロナ時代のマーケターの動き方について考えを述べた。

有事で人の心は変化する。そのときこそ「いかに人の心に寄り添えるか」が鍵となる
有事で人の心は変化する。そのときこそ「いかに人の心に寄り添えるか」が鍵となる

 鹿毛氏は「有事で変化した、人の心に寄り添うことが大切だ」と言う。マーケティングの基本は、年代や所得、性別、職業、エリア、生活スタイル、こだわり、思いなどさまざまな切り口で消費者をセグメントし、さらに行動や意識、感情などを調査・分析することだ。しかし、これによって導き出せる論理性で人は動いていないことが多い。その人自身が気づいていない“何か”によって、行動や意識、感情が生み出されているケースもある。そこで重要になるのが「心」なのだ。

 「本人に『あなたの意識や行動はどんな心が影響していますか。深層心理を教えてください』と、直接聞くことで心を分析していると主張する人もいるが、これでは分析できない。深層心理は本人も気がついていないドロドロとしたもので、聞いても答えてもらえない」(鹿毛氏)

 では、どうすれば深層心理を知ることができるのか。深層心理を分析しようにも、フレームワークも存在せず体系化されていないため、有効な手法がないのが現状だ。ただし「ヒントになる手法はある」と鹿毛氏は言う。

 例えば「人の行動を観察する」こと。消費行動を観察したり、SNSへの投稿を深く読み解いたりすることで、どんな心理があるのか見えてくるという。対象者とインタビュアーが、1対1で対話するデプスインタビューや、脳波を測るなどテクノロジーを利用する方法もある。

自分の中の大衆と会話する

 しかし、どの手法も調査対象者が自分の口で説明してくれるわけではない。そこで鹿毛氏が提唱するのが、自分の中に「人間力と消費者力を導き出す能力をつくること」だ。つまり、マーケター自身が、人として自分の生活や消費行動を丁寧に観察・思考し続けて、自分というN=1(※Nは調査対象の母集団の数を表す)と対話するのだ。自分の中にいる「心=大衆」と会話することだ。

 「さまざまなイベントが延期や中止になっているが、参加する予定だった人たちにどう対応するかが大切。これらはフレームワークにのっとって考えるだけでは、適切な答えは出てこない。重要なのは『自分の中の大衆と会話すること』。すなわち『自分という人間を使って奥底にある人の心を探すこと』だ」(鹿毛氏)。例えば、子供を見ると誰もが思わず笑みをこぼしてしまうように、自分の中には必ず大衆がいる。これこそが「自分の中の大衆」。その大衆と会話して考え続けると、本人も気がついていない人の心を読めるようになるのだ。

自分の中の大衆と会話して考え続けるのが大事。通常、自分の意識レベルや行動レベルは調査の1サンプル(n=1)でしかない。しかし自分の心とひたすら向き合い、そこから導き出した答えは、誰もがそう考えるような強い影響力を持つ。つまり自分という一人の人間が、調査の母集団そのもの「N=1」に匹敵する存在となり得る。自分の中の大衆と会話することは、n=1ではなくN=1に迫るということだ
自分の中の大衆と会話して考え続けるのが大事。通常、自分の意識レベルや行動レベルは調査の1サンプル(n=1)でしかない。しかし自分の心とひたすら向き合い、そこから導き出した答えは、誰もがそう考えるような強い影響力を持つ。つまり自分という一人の人間が、調査の母集団そのもの「N=1」に匹敵する存在となり得る。自分の中の大衆と会話することは、n=1ではなくN=1に迫るということだ

 多くの人は自分と他者を切り離して、客観的に判断したいと思うだろう。アンケートや意識調査、マーケティング分析などで得た情報を活用しながら、自分の中の大衆を、自分を見つめ直す材料として活用する。このようなトレーニングを続けていけば、センスの有無に関係なく、人の心が分かるようになるという。

震災復興の暗い空気を変えた、エステーのCM

 これらをマーケティングに落とし込むには、どうすればよいのだろうか。自分の中の大衆と会話した結果、成功したと思えたのが「11年の東日本大震災のときに放映したエステーのCMだった」と鹿毛氏は振り返る(関連記事:「新型コロナ下でどんな広告を作るべきか エステー鹿毛氏の回答」)。

 「震災当時、3日間ほど朝から晩までツイートを眺めていたところ、『頑張れ』と励ましてほしいのではなく、本音では皆、日常に戻って笑いたいのではないかという思いが湧いてきた。商品名を出すテレビCMなんてとんでもないと言われたが、エステーの企業スローガンは『空気を変える』なので、『消臭力』と堂々と言おうと決めた。そのCMが、ミゲル君が歌っているあのCMだ」(鹿毛氏)。

消臭力CM 「唄う男の子~ミゲル~」編

 いつもは「CM好感度ランキング」を意識し、視聴者に覚えてもらえるトップクラスのCM作りを目指しているが、このときは好感度のことは考えていなかったという。それでも人々の心に寄り添ったものを作った結果、CM好感度ランキングはトップクラスだった。

 新型コロナウイルス感染拡大を受け、「空気を変えること」を主軸に新たなCMを20年3月に公開。Twitterなどでは「思わず涙が出た」「心の中の空気が変わった」などの投稿が相次ぎ、よい感触を得ているそうだ。

コロナ禍に放映したエステーのCMに対する視聴者のツイート
コロナ禍に放映したエステーのCMに対する視聴者のツイート

 また鹿毛氏は、東北地方にある塾の夏期講習のCM制作も担当している。ここでも自分の中の大衆と会話し、学校に行きたくても行けない子供たちやその親の深層心理を考えたという。

 「今、コロナ対策として○○をしています、保護者の皆さんの相談に乗りますと言っても伝わらない。子供たちは『家にいるのに飽きた』『友達に会いたい』『一体これからどうなるのだろう』と、不安やイライラを口にする。しかし本人たちも気がついていない本当のところの心は、大人や社会への失望ではないかと考えた。一方で親御さんたちも『子供が早く学校に行けたらいいな』『うちの子は勉強してないけど大丈夫かな』と不安を口にする。その心には、自分が無力ゆえの失望があるのではないか」(鹿毛氏)

鹿毛氏が考える、コロナ渦における子供と大人のインサイト
鹿毛氏が考える、コロナ渦における子供と大人のインサイト

 そこで鹿毛氏は、こういうときに自分だったら何と言ってほしいか、自分の中のN=1を考えた。それが「大丈夫だよ」という言葉だ。そんなふうに言うことで、子供や親の心の中にあるマイナスな心を救えないかと考えた。あらかじめ作っていた夏期講習のCMを急きょ変え、「大丈夫だよ」とメッセージを送る動画を作成した。さらには、それに沿ってホームページやネット広告、チラシも作り替えた。

 「体系化されていない心の導きが正しいのかどうかは分からない。このことが正解かどうかはやってみて結果を見るしかない。夏が終わったら、このCMの効果を発表しようと思う。成果が出ていれば、それは心をちゃんと導き出せていると判断できる」(鹿毛氏)。

エステー執行役(現かげこうじ事務所代表)の鹿毛康司氏(右)と、セミナーのモデレーターを務めた日経クロストレンド編集委員の酒井康治(左)
エステー執行役(現かげこうじ事務所代表)の鹿毛康司氏(右)と、セミナーのモデレーターを務めた日経クロストレンド編集委員の酒井康治(左)

 普段のマーケティング活動から自分の中の大衆と会話しておけば、有事のときでも慌てる必要がなく、適切な対応ができるに違いない。これを機に自分を見つめ直し、マーケターとして有事に動じることのない動き方について考えてみてはどうだろう。

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