日経クロストレンドは、会員限定の無料交流イベント「日経クロストレンド・ミートアップ」を開催している。第3回となる2019年6月21日には「プロマーケターが問う 『AIはマーケターの仕事をどこまでできるか』」をテーマに、識者が意見を交わした。

 日経クロストレンドは2019年6月21日、東京・大手町の「大手町フィナンシャルシティ グランキューブ3F グローバルビジネスハブ東京」で読者向け無料イベント「日経クロストレンド・ミートアップ」の第3回を開催した。テーマは「AIはマーケターの仕事をどこまでできるか」。

 ミートアップでは、日本を代表するプロマーケターである富永朋信氏(イトーヨーカ堂 執行役員 営業本部副本部長兼販売促進室長)と、シリコンバレーを拠点に日本企業のAI(人工知能)活用を支援する石角友愛氏(パロアルトインサイトCEO/AIビジネスデザイナー)の2名が登壇。業界を問わず「AIに仕事が奪われる」と言われる今、人間のマーケターに求められるスキルや本当にやるべき仕事について、現状の事例を交えつつ意見を交わした。

イトーヨーカ堂 執行役員 営業本部副本部長兼販売促進室長の富永朋信氏
イトーヨーカ堂 執行役員 営業本部副本部長兼販売促進室長の富永朋信氏
パロアルトインサイトCEO/AIビジネスデザイナーの石角友愛氏
パロアルトインサイトCEO/AIビジネスデザイナーの石角友愛氏
イベントでは、約130名の聴講者が熱心に耳を傾けた
イベントでは、約130名の聴講者が熱心に耳を傾けた

マーケターの仕事とは一体何なのか

 最初に富永氏は、聴講者を前にマーケターの仕事を改めて解説した。一口に「AIに仕事を奪われる」といっても、マーケターの業務内容は多岐に渡るからだ。氏が考える一般的な分類は以下の通りだ。

<A>マーケティングコミュニケーション開発
<B>商品開発
<C>(上記を通じた)ブランド構築やブランドマネジメント
<D>流通の最適化・トレードマーケティング
<E>EC売り上げの最適化
<F>(上記のベースとなる)調査・分析を通じたインサイト・知識の獲得

 各項目の中でも、例えば、「<A>マーケティングコミュニケーション開発」であれば、調査やアイデア化、企画など、内容は細分化される。各項目の詳細については、富永氏が本イベントに先立ってまとめた記事に詳しく書かれているので併せて参考にしてほしい。(「『マーケターがやるべきこと』をプロマーケター富永朋信が再定義」)

富永氏は、最初にマーケターの仕事を再確認するところから始めた
富永氏は、最初にマーケターの仕事を再確認するところから始めた

 この中で、富永氏が「異質だ」と前置きして言及したのは、「<E>ECにおける売り上げの最適化」だ。具体的には以下の業務が該当する。

(1)購買プロセスにおける課題・改善点抽出
(2)継続的なテストによる継続的な改善
(3)KPI進捗に応じたアジャイルなプロモーション実施

 「販売の最大化は本来営業部門が追求する領域だが、デジタル化が進み、データを収集・分析できるようになったことで、マーケティングに求められる役割が変わった事例」だと富永氏は話す。

マーケターの仕事の中でも「<E>EC売り上げの最適化」は、デジタル化によって新しく加わった業務内容だ
マーケターの仕事の中でも「<E>EC売り上げの最適化」は、デジタル化によって新しく加わった業務内容だ

AIは水や電気と同じインフラに

 マーケターの仕事について再確認したところで、富永氏は石角氏にバトンタッチ。石角氏は、シリコンバレーでの米国企業のAI導入事例を紹介した。

 最初に石角氏は、米企業のマーケティング部門で主に導入されているAIサービスのマトリックスを提示した。縦軸に「導入の複雑さ」、横軸に「導入の利点」を設定し、導入が簡単で利点も高い「Must Do」や、導入は複雑でも利点が高い「Need to Do」など、4つの領域に分けてAIサービスを当てはめている。例えば、Must Do領域は「顔認証」や「チャットボット」、Need to Do領域は「音声AI」や「センチメント分析」などが該当する。

石角氏が提示したマトリックス。縦軸が導入の複雑さで、横軸が導入効果。チャットボットから自動発注まで、さまざまなサービスが並ぶ
石角氏が提示したマトリックス。縦軸が導入の複雑さで、横軸が導入効果。チャットボットから自動発注まで、さまざまなサービスが並ぶ
最初は、Must Do領域が取り入れやすいと石角氏
最初は、Must Do領域が取り入れやすいと石角氏

 内容は千差万別だが、米国企業は84%が何らかのAIサービスを導入しているという。チャットボットなどは日本でも導入されているが、米国ではAIへの認識そのものが異なるそうだ。「日本だとチャットボットは、『お客様センターの業務を代替してくれる自動化ツール』程度の認識だが、米国は『マーケティング部門にとってのカスタマーエンゲージメントツール』と捉えている。ファンをいかに増やしてコミュニケーションを取り、顧客が求める商品をどんぴしゃで提案するチャンネルとして活用されている」と石角氏。氏は、米国企業にとってのAIを「インフラ」と表現する。「日本のように『AIを導入しよう』と意気込むのではなく、水や電気と同じインフラとして当たり前のように定着し、活用が進んでいる」と話す。

 石角氏は「AIサービスをまだ導入していない日本企業は、導入が比較的楽でも利点が大きい『Must Do領域』から手をつければよい」とアドバイスする。次に重要なのが、導入が複雑でも利点は大きい「Need to Do領域」だ。「導入が大変ということは他社も後回しにする可能性が高い。競争優位性が増すため、長期的に見るとROIは高い」(石角氏)。

 Need to Do領域のなかで、「20世紀のマーケターとしては心穏やかじゃない」と富永氏が冗談を交えつつ触れたのは「新商品開発」のAIサービスだ。石角氏は、事例として洋服の開発を挙げた。「米国では、洋服のトレンドをAIが予測している企業もある。袖の長さやプリーツの有無などあらゆるデータを掛け合わせて、売れる洋服を分析している」と石角氏。

 もっとも、完成した服は人間である石角氏が見ると「本当に流行するの?」と思ってしまうようなデザインで、正直ダサいと思うそうだ。しかし、その企業では、来年流行する洋服のデザインを探る業務が、AIを扱うデータサイエンティストの役割になっているのだ。

石角氏は、マトリックスに書かれていたAIサービスの事例を、顧客に商品を提供するまでの各ステップに振り分けた。例えばチャットボットは、Provide領域における立派なAIツールと米国では捉えられている
石角氏は、マトリックスに書かれていたAIサービスの事例を、顧客に商品を提供するまでの各ステップに振り分けた。例えばチャットボットは、Provide領域における立派なAIツールと米国では捉えられている

 デジタルコンテンツ制作にもAIは深く関わりつつあるようだ。動画配信サービスのネットフリックスは、視聴者の「閲覧履歴」や「動画のどの部分で早送りをしたか」などの膨⼤なデータからAIが売れるドラマの特徴を分析して、「ハウス・オブ・カード」という⼤ヒット作品を作り上げたという。

マーケターとAIは一緒に仕事ができるのか

 これらの事例を見ると「AIに仕事が奪われる」という課題はマーケターも例外ではないように思うが、石角氏は「あくまでAIは人間を強化するツール」だと話す。「人間と対立して仕事を奪うわけではなく、人間のタスクが効率的になったり、人間がより人間らしく過ごせるようになる存在」だという。

 人間にしかない強みもある。現状のAIはあくまでデータを掛け合わせて結果を抽出しているだけで、ゼロからイチを生み出しているわけではない。最初は何かしらのデータを入れて学習をさせる必要がある。「競合他社や関連製品の情報など、どのようなデータを取り入れて次に生かすのかが、マーケターのひらめきやセンスの部分」と石角氏は話す。

 商品の売り方や意味付けをするポジショニングも人間のほうが得意だという。例に挙げたのがファブリーズの売り方だ。当初は、「ペットを飼っている家の臭い消し」というポジショニングで送り出したが、まったく売れなかったため「掃除が終わった後の自分へのご褒美」に切り替えたところ大ヒットしたという。「意味付けをする上では、フィールドに出て実際に顧客の声を聞くなど、AIには難しい人海戦術的なデータ収集も避けては通れない」と石角氏は話す。

 データやAIに依存し過ぎるのは危険だ、と話すのは富永氏だ。「以前勤めていたドミノ・ピザで、マーケティングミックスモデリングの会社に分析を依頼した際には、それらしいマーケティングレポートが返ってきたが、その通りに実行したところ売り上げがガツンと落ちた」という。「当時は競合相手のデータや、宅配ピザに欠かせない天気のデータも分析には入っていなかったので当然の結果だったが、無条件に信じるのは危険。あくまでツールなので『データに出ているから』とうのみにするのではなく、人間がクリティカルな目で判断してトライアンドエラーで活用し続けることが重要」と富永氏は話す。

 最後に石角氏は、先ほど挙げたネットフリックスの非AI的なマーケティング事例を紹介した。ネットフリックスでは、ABテストや準実験などを基に専用ツールを作ってさまざまな分析を行っているが、「集めた結果を基にデータ・ドリブンな意思決定をするのは人間の役割」という思想でマーケティング活動をしている。AIのほうが得意だったり、人間と協業する領域はあるが、最後のジャッジは人間のマーケターにしかできない仕事なのだ。

ピラミッド型のダイアグラムは、ネットフリックスがまとめた検証過程や意思決定における考え方(上半分の図)を石角氏が再構成した図だ。データ収集作業は自動化をしても、最終的にデータ・ドリブンの判断を下すのは人間であるという思想を表している
ピラミッド型のダイアグラムは、ネットフリックスがまとめた検証過程や意思決定における考え方(上半分の図)を石角氏が再構成した図だ。データ収集作業は自動化をしても、最終的にデータ・ドリブンの判断を下すのは人間であるという思想を表している

 AIを導入する企業は増えていても、インプットや最後の意思決定は人間によるところが大きいというのが、富永氏と石角氏の見解だ。また、テクニカルな部分が分からなくても、今の事業にどう生かせるのか好奇心を持って向き合うことが大切だとも話す。AIの活用は企業にとって欠かせないテーマで、マーケターの仕事は今後も変わっていくかもしれないが、人間が担う役割と強みを意識して業務に取り組めば、今回のテーマでもある「AIに仕事が奪われる」という不安も杞憂に終わるだろう。

(写真/花井智子)

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