企画書は、書き込まないといけないと思っていないだろうか。全世界で累計出荷1億個超の金字塔を打ち立てた「G-SHOCK」(カシオ計算機)は、たったワンフレーズから生まれた。1990年代に一世を風靡し、今なお過去最多のペースで売れ続けているモンスターウオッチ誕生の裏側に迫った。
※日経トレンディ 2019年4月号の記事を再構成
「落としても壊れない丈夫な時計」。81年春、当時28歳だった伊部菊雄氏は、毎月恒例の新商品提案書に、ただ1行、こう記して提出した。「今思えば、よく破り捨てられなかったなと。売れる、売れないは全く頭になかった。後先考えず、思い先行で書いた、恥ずかしい文章」(伊部氏)。
時計は落としたら壊れるのが当たり前だった。常識を覆す無謀な発想。それも、いかにして開発するかは全くの白紙。一笑に付されてもおかしくないのに、会社はすぐにゴーサインを出した。まさに青天の霹靂(へきれき)だった。
基礎実験をせずに、この企画を提案してしまった伊部氏は焦った。実際に「落としても壊れない時計」を形にしたらどうなるか。3階のトイレの窓を開け、試作品を落とす。壊れるたびに、緩衝ゴムを巻いて厚くしていく。出来上がったのは、手のひらからはみ出すほど巨大なボールだった。
「これは、とんでもないことになった」。誰にも言い出せぬまま、伊部氏は根拠もなく、「50%の確率でできる」と自らに言い聞かせて開発を進めた。そして考え出したのは、衝撃を5段階で吸収する構造。これにより、劇的なサイズダウンに成功した。しかし、横からの衝撃に強くなった一方、落とせば必ず1つ電子部品が壊れた。液晶画面が割れてそれを補強すると、チョークコイルが壊れる。チョークコイルを補強すると、水晶が割れる──。「エンドレスのもぐらたたき。最後のひとひねりが思い浮かばなかった」(伊部氏)。
すでに発売日は83年4月と決まっていた。その半年前の82年秋、伊部氏はついに「99%無理だ」と音を上げ、「寝なければ自分だけ朝が来ない」と考えるほど、精神的に追い詰められた。もう辞表を出すと決めた日曜日の昼、公園のベンチにぼうぜんと腰掛けると、目の前で女の子がまりつきをしていた。
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