工場直送のビールを家庭用サーバーで楽しめるキリンビールの「ホームタップ」。開始直後から申し込みが殺到したが、2017年秋から1年超にわたり会員募集を停止した。その裏には、サーバーの仕様の抜本的な見直しがあった。再開への苦闘から、サブスクリプション事業を成功させる要因を探った。

 1万5000人待ちの月額制ビール(関連記事)として話題を呼んだキリンビールの「ホームタップ」が帰ってくる。ホームタップは月額の会費を払うことで、家庭用ビールサーバーを借りられ、サーバー専用の「一番搾りプレミアム」が毎月届くサービスだ。ビールは工場から直送されるため、詰めたての味を家庭で楽しめる。この新しい価値は、ビール愛好家から支持を集めた。

 ところが好調ぶりとは裏腹に、キリンは2017年秋からホームタップの会員募集を停止した。1年以上も同サービスの再開に向けた情報提供がなかったため、消費者からはサービスの継続を案ずる声も上がっていた。こうした中、キリンがついに再開に向けて動き始めた。19年1月中旬から抽選という条件付きではあるものの、再び会員の募集を始めた。当選者を新規会員として迎え入れ、19年4月にサービスを再開する。サービス停止後、キリンが1年もの期間を費やしたのがビールサーバーの改善だった。

 「サブスクリプション型の事業は継続利用してもらうために、値段以上の部分でどれだけ価値を感じてもらえるかが肝になる」。キリンビールのマーケティング本部マーケティング部商品開発研究所商品開発グループの落合直樹主査は、キリンのサブスク事業で最重視しているポイントをこう説明する。今後ホームタップの会員規模を拡大していくうえで、誰もが使えるビールサーバーでなければ、そうした価値は提供し続けられないと考えた。

 18年に急速に拡大したサブスク市場。音楽や映画といったコンテンツ産業から始まったサブスクの波は、モノへと押し寄せた。家具、ネイル、玩具、自動車。あらゆるモノのサブスク化が進み始めている。19年にはトヨタ自動車も参入を予定するなど、大小問わずあらゆる企業がサブスクに対して高い関心を寄せる。継続的に会費を支払う会員が増えれば、安定収益が見込め、景気に左右されることなく事業展開できるサブスクのメリットは、企業から見れば非常に魅力的だろう。

直近1年間と今後のサブスクに関する企業動向
直近1年間と今後のサブスクに関する企業動向

 しかし、早くも事業から足を洗う企業が現れ始めた。18年11月、紳士服販売のAOKIホールディングスがスーツのサブスク「suitsbox」からわずか半年で撤退を決めた(関連記事)。利用者層を見誤ったことで、既存事業と顧客の奪い合いを起こしてしまったことが撤退要因の1つだ。

サブスクで提供すべき3つの価値

 シェアリングエコノミーの台頭によって、「所有」から「使用」へと消費トレンドが移り変わっていると言われる。だがサービス設計や、提供すべき価値を見誤っては、顧客に選ばれるサブスク事業は作れない。所有を超える価値提供が成功の鍵を握る。

 日経クロストレンドが考える、サブスクで提供すべき価値は3つ。「新しい消費体験」「圧倒的な利便性」「コスト優位性」だ。前回のサブスク特集で登場したブランドバッグ借り放題の「ラクサス」は、月額6800円(税別、以下同)で3万点を超える高級バッグを借り放題というコスト優位性が受けて、会員の継続率95%という驚異的な数値をたたき出している(関連記事)。

 コスト優位性は価格だけで決定されるわけではない。「従来の購買より、トータルコストが得でないといけない。トータルコストは金銭的な価値だけでなく、モノを置くスペースや手間もコストとして考えるべきだ」と、消費財や嗜好品ブランド業界へのコンサルティング経験が長いEY JAPAN(東京・千代田) パートナーの小林暢子氏は指摘する。契約の手間や、購入後の管理などが不要になることも含めて価値になる。

 本特集では、これら3つのポイントでサービスを開発する先進企業から、顧客に選ばれるサブスクの作り方を学ぶ。まずは、工場直送のビールを自宅で楽しめる「新しい消費体験」を提供する、キリンの取り組みをさらに深掘りして紹介していこう。

サーバー改善に費やした1年間

 ホームタップのコンセプトは「ニュー・ビア・エクスペリエンス」。価格だけ比較すれば、同じ量でも缶ビールと比較して倍以上の価格になる。既製品とは異なる新しい体験の提供ができて、初めてその対価を消費者から支払ってもらえる。その価値とは工場直送のビールを「誰でも簡単に」自宅で味わえること。まさしく、新しい消費体験を意識して開発されたサービスだ。ところがサービス開始後、会員の意見から貸し出すサーバーに重大な課題点が見つかった。

 サーバーは当然誰でも使える設計を目指して開発した。そのはずが、実際の利用者からは、炭酸ガスが抜けてうまく注げないという意見が複数寄せられた。家族の中でも、使い慣れた旦那しか注げない。会員の中にはそんな家庭もあったという。その理由は単純だった。ビールを注ぐノズルのキャップをきちんと閉めないと、ガスが抜けて注ぎにくくなる構造だった。きちんと使えば、何の問題もなく利用できる。ところがキリンはこれを重大な欠陥と捉えた。

 「社内ではタンク・トゥ・グラスと呼んでいるが、商品の配送からグラスに注がれるところまで責任を持って満足いただける体験を提供しなければならない」(落合氏)。最後のグラスに注ぐタイミングで体験を損なっていては、トータルの体験価値にも大きな影響を及ぼす恐れがある。「今改善しておかなければ、事業規模が拡大したとき、さらに大きな問題になる。だからこそコストを惜しまず改善すべきだと判断した」(落合氏)。

 ではどこに問題があって、注げないのか。その原因を究明すべく、キリンは多くの利用者の自宅を訪問。ホームタップの使い方を調査して回った。すると、先述したキャップの閉め損ないなど、ほんのわずかなミスで炭酸ガスが抜けてしまい、注ぎにくくなることが分かった。開発者であるキリンの担当者は機器の扱いに慣れているから、そうした短所には気付きにくい。顧客の元を訪れて、初めて改善すべきポイントが分かった。ホームタップは直販だからこそ、従来メーカーは持ちにくかった顧客と直接の接点を持てる。これが改善点の早期発見につながった。

 そこで、ビールサーバーの仕様の抜本的な見直しを行った。ノズルのキャップを刷新した他、炭酸ガスが漏れにくいよう改善を施した。「見た目は同じだが、中身は従来とは大きく異なる」と落合氏は言う。誰でも使えるビールサーバーの再設計に1年を費やした。

キリンは18年に1年をかけて、ホームタップのビールサーバーの仕様を刷新。キャップの形状変更はその一例だ
キリンは18年に1年をかけて、ホームタップのビールサーバーの仕様を刷新。キャップの形状変更はその一例だ
左が改善後のキャップ、右が従来型のキャップ
左が改善後のキャップ、右が従来型のキャップ

600円の値上げに踏み切ったワケ

 もっとも、社内からサービス継続を案ずる声が上がらなかったわけではない。ここで開発陣の心の支えとなったのも顧客の声だった。「本来であればビールがうまく注げないという欠点は解約に直結するはず。ところが満足度調査では8割超が満足していると答えてくれる」(マーケティング本部マーケティング部商品開発研究所の松井香菜氏)。

 受付停止前の会員数は約1800人。現時点でも8割超の1500人が契約を継続している。ビールの味やサービスそのものは非常に満足度が高い。だからこそ、サーバーを見直して、タンク・トゥ・グラスの体験を磨くことで、さらに継続性の高いサービスになると考えた。

 ただし、再開に当たっては価格を600円値上げして、月額7500円で提供する。配送コストの上昇やサーバー改善費用などを吸収するためだ。「顧客からはお叱りの声もいただいているが、継続的にサービスを提供し続けられるかどうかが重要になる」(落合氏)と考え、サービスを安定供給するために値上げに踏み切った。それでも、会員受付の停止前に登録してくれた、1万5000人のメール会員に優先的に再開の案内をしたところ、既に2000人を超える応募が集まっているという。ホームタップに対する期待の高さがうかがえる。

 「それぐらいの人数であれば、年内の早い段階で会員になっていただける」(落合氏)。既存会員と合わせれば、全部で3500人になり、単純計算で3億円超の事業となる。連結売上高が2兆円を超えるキリンの企業規模を鑑みれば、たかが3億と思われるかもしれない。しかし、サービスの継続率を高めていくことで、翌年度以降も安定的に収益が得られる基盤となる。だからこそ、サブスクは継続率が重要な指標になる。それ故、1年以上も新規受付を停止して、時間を惜しまずサーバーを改良した。

 継続率を高めるうえで今後の課題は、届けるビールをきちんと消費してもらうこと。「消費が追いつかないと、単に高単価なビールが毎月送られてくるだけのサービスという印象に陥りやすい」(落合氏)。そうなると、コストパフォーマンスが悪いと判断されて、解約につながってしまう。

 利用者の中には長期休暇に合わせて追加のビールを注文して、ビールサーバーごと実家に持ち帰る人もいる。サーバーから自分で注ぐ体験が人と人のコミュニケーションを活性化につながる。あるいは毎週水曜日を「ホームタップの日」と定めて、週半ばの自分への褒美代わりに飲む人もいる。そうした、さまざまな利用シーンを伝えることで、利用者の生活にホームタップを“インストール”することで、継続率の向上を狙う。