業績が低迷していた兵庫県西脇市の織物商社、島田製織。打開策として2010年に始めた播州織による婦人服と服飾雑貨の自社ブランド「hatsutoki(ハツトキ)」が、今ではビームスや日本橋三越本店など大手流通でも販売されるまでに。背景には思い切ったブランディングや人材活用があった。

「hatsutoki」のシーズンカタログ2017 Spring Summerの中面。伝統産業の「播州織」の良さを現代にどうアピールするかに知恵を絞った。アートディレクションはGRAPH、写真はhiroko matsubara
「hatsutoki」のシーズンカタログ2017 Spring Summerの中面。伝統産業の「播州織」の良さを現代にどうアピールするかに知恵を絞った。アートディレクションはGRAPH、写真はhiroko matsubara

 ユニークな発想とちょっとした工夫で新商品やサービスを開発し、成功している中堅中小のイノベーター企業を追う本連載。今回は1929年に創業した兵庫県西脇市の島田製織の事例を採り上げる。

 社員24人の中小企業で、生地のみをOEM(相手先ブランドによる生産)供給し、アパレルの最終製品は作ったことも販売したこともなかった。そんな中小企業が、播州織の特徴を生かした自社ブランド「hatsutoki(ハツトキ)」を立ち上げ、百貨店の催事などに出店しながら販路を開き、素材やデザインなど製品の良さで注目を集めた。

 17年度の売り上げは5000万円ほどで規模はまだ小さいが、今ではセレクトショップのビームスや日本橋三越本店などでも扱ってもらえるようになるなど、アパレル業界の中でも一目置かれる存在だ。しかも地元の西脇市も地方創生の一環として播州織を支援し始めるなど、地域を巻き込んだブランドへと発展している。いかにして自社ブランドを立ち上げ、販路を広げることができたのか。その背景を取材すると、多くの中小企業にも参考になる方法があった。

“よそ者”だから気付いた産地の可能性

 島田製織が手掛けてきたのは、兵庫県の播州と呼ばれる地域の伝統産業である播州織。しかし平成に入ったころから、円高と新興国への技術流出などにより需要が激減。島田製織の売り上げも伸び悩んでいた。そこでクライアントからの受注を待つのではなく、自分たちで生地を開発して最終製品まで仕上げ、自社ブランドでも販売していこうと考えた。

 ただ、生地はデザインできても、最終製品は開発した経験がないため、10年にhatsutokiを立ち上げたときは取引先の商社に支援を受けながら進めていた。だが販路は広がらず、試行錯誤の状態だった。それが12年になると、現在、hatsutokiのデザイナーを務める村田裕樹氏が、自ら島田製織に入社を希望してきた。村田氏は大学卒業後、文化服装学院で1年間、服飾を学んでいた。卒業後は織物の産地で服づくりがしたいと希望していたところ、島田製織がhatsutokiブランドで製品を作っていることを知った。

 村田氏は服の素材に興味があり、学生時代は西脇市をはじめ、さまざまな繊維の産地をめぐっていた。産地に行くと、東京には出回っていない優れた素材がたくさんあることも分かった。それらは工場で実験的に作る生地で、いくつもの技術や素材を多角的に取り入れていた例もあった。「デザイナーが頭で考えて思いつくようなものではなく、現場でしか生まれないものだった。産地の可能性を実感できた」と村田氏は言う。

 ところが、どんなに優れた生地でも、流通のルールや基準を満たされないと東京には出回らない。「東京ではなく産地を拠点に活動し、工場の人たちと一緒に生地のデザインから携われば、数多く存在するブランドとの差異化が図れるのではないかと思った」(村田氏)。

 インターネットで島田製織を知ると村田氏は嶋田幸直社長に直接、入社を交渉。hatsutokiにかかわりたいと話した。村田氏は服飾を学んだとはいえ、デザイナーとしては学校を卒業したばかりの無名の存在。しかし島田製織は社内に最終製品を手掛けることができるデザイナーが必要だった他、産地の織物にかける村田氏の熱い意気込みが嶋田社長に伝わり、入社が決まった。

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