平成という時代が幕を閉じる。プロダクト、グラフィック、デジタルなどさまざまな分野のデザイナー10人の目を通し、この30年間をデザインの視点で振り返る特集。第3回はライゾマティクスの齋藤精一氏。平成はソーシャルコミュニケーションのインフラ実験の時代だったという。
ライゾマティクス 代表取締役社長
──齋藤さんは、建築とデジタル、メディアアートを横断する立場でお仕事をされていて、それ自体が、デジタル化、ボーダーレス化が進んだ平成という時代を象徴しているように思います。
齋藤精一氏(以下、齋藤) 僕が学んだコロンビア大学の建築学科というところは、在学していた2000年当時から、バーチャル空間を構築するとか、コンピューターでしか描けない曲線を基に創造するとか、コンピューターを駆使したものづくりに積極的に取り組んでいました。3Dプリンターなども当時からありました。教授陣も、映画とかゲームとか哲学とか、多様な分野のルーツと思考法を持った人が集まっていました。あの当時のコロンビア大学にいられたことは、僕にとって大きな財産です。このときの体験で、僕の中では日本で学んだ建築の概念がガラッと変わり、現在やっているような、表現と街づくりや都市開発がつながるきっかけになりました。
──齋藤さんにとって、平成の中でこれが転機になった、画期的だったという出来事やお仕事は何でしょうか。
齋藤 インターネットとパソコンの発達が一番の画期的な出来事であり、転機でもあります。これがなければ今の仕事もライゾマという会社も存在していなかったと思います。それを象徴するものとして心に残っているのが2011年の「The Museum of Me」というインテルのプロモーションのための作品です。
Facebookでログインすると自分のネット上にオリジナルのミュージアムができるというサービスです。
最初に自分の名前と顔写真が出てきて、その先へ進むと、Facebook上の友人、アップした写真、「いいね」を押した情報などのデータが、美術館のインターフェース上に表示されます。ユーザーは展示室を回るように、これらのデータを見ることができます。
この中で「Visualize Yourself」、つまり「自分を表現しよう」というメッセージが出てくるんですが、その後ろにいつもインテルがいることをさりげなくアピールしています。
僕もそれまで、アート作品とクライアント向けの広告作品とを分けて考えていましたが、このミュージアムは広告でもあり、作品でもあるという2つの性格を兼ね備えています。この頃から広告クライアントの姿勢が変わってきたと思います。製品の機能や性能といったものを訴求するだけでなく、ブランディングのために、企業の姿勢や哲学を表現するための手段として、アートと広告の中間の仕事が認められるようになりました。
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