平成という時代が幕を閉じる。プロダクト、グラフィック、デジタルなどさまざまな分野のデザイナー10人の目を通し、この30年間をデザインの視点で振り返る特集。第4回はクリエイティブラボ「PARTY」の伊藤直樹氏。平成を特徴付けたデジタル技術の影響は今後、5Gによりさらに強まると見る。

「平成は通信コストが低下し、ネットで多彩な表現が可能になった」(写真/丸毛 透)
「平成は通信コストが低下し、ネットで多彩な表現が可能になった」(写真/丸毛 透)
伊藤直樹(いとう・なおき)氏
PARTY Inc. CCO
1971年静岡県生まれ。早稲田大学卒業。ADKなどを経て2011年クリエイティブラボ「PARTY」を設立しチーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)に。世界的企業のクリエイティブデザインを手がけ、内外250以上のデザイン賞・広告賞を受賞し高い評価を得る

──映像関連ではフィルムからビデオテープ、さらにデジタル媒体へと、平成になって制作を取り巻く環境が大きく変わりました。伊藤さんは平成を迎えた頃は何をなさっていましたか。

伊藤直樹氏(以下、伊藤) 大学のシネマ研究会でMacと映像編集ソフト、ビデオカメラを使って、映像づくりに没頭していました。ちょうどデジタルがクリエイティブやデザインのツールになった頃に青春時代を迎えたので、夢中になっていました。

 1995年ごろからインターネットが一般化してメディアがデジタル化しました。それで映像とインターネットの両方をやりたいと思ったのですが、そんな業界が1つもなかった。そこで、大学を出ると、唯一可能性を感じた広告業界に入りました。

 当初は企画部に配属されたので、パワーポイントを使って企画書を作っていました。パワーポイントはプレゼン用ソフトですが、ツールとしてデジタルの幅が広がりました。グラフィックデザインから映像、音楽、さらに企画書までが全部、デジタル化された時代でした。

──当時のインターネットはどんな状況でしたか。

伊藤 インターネットでどういう表現ができるか、まだ暗中模索していた頃でした。マルチメディア、インタラクティブ性、ユビキタスなどが語られるようになったのも95年ごろからです。ただ、情報の出口としてはCD-ROMが一般的で、書店経由で流通する状態でしたからね。

 それが2000年にADSL(非対称デジタル加入者線)と呼ぶ通信技術が出てきて常時接続が可能になり、通信コストも下がって、情報の流通もインターネットに移っていきました。その頃、インタラクティブの動画制作の世界で「フラッシュ」の技術が登場するわけです。しかしフラッシュのピークは06年ごろまで。代わって出てきたのがYouTubeです。映像パッケージそのものをインターネットに載せるのですが、インタラクティブ性は少し置き去りにされました。

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