なにかしらの活動をするときには、資源が必要になる。それは物的リソースかもしれないし、時間や自分の体力も資源と捉えることができる。例えば動画を見るとき、料理をするとき、私たちはそうした資源の残り具合を鑑みて、どのように行動するかを判断する。日常生活の中でも私たちは「与信枠」を無意識のうちに設定しているということだろう。

(写真/Shutterstock)
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 犬飼つな氏の『力尽きレシピ』がおもしろい(i)。さまざまな簡単レシピが紹介されているが、それらを整理する基準が「あなたの残り体力」なのだ。例えば、第1章は「残り体力5%:ズボラ飯を食べてさっさと寝よう」であり、第3章は「残り体力60%:ズボラ飯を作るためにスーパーで買い物だ」といった具合だ。

 むかし、レシピサイトの運営会社の方が「冷蔵庫に残っている食材で検索する人」の話を教えてくれた。「私に残された体力」という資源を重視するのが『力尽きレシピ』で、「冷蔵庫に残っている食材」という資源を重視するのがこのレシピサイトで検索した人の考え方と理解できる。

 料理をはじめ、なにかの活動をするとき、生活者はそのために多様な資源を投入する。資源にはどのような種類があるだろうか。少なくとも「減るもの」と「減らないもの」に分けられる。

 使えば減るものとして、金、物、時間、体力、精神力、摂取可能カロリーなどがある。精神力は「集中力」と言い換えてもよい。ストーリーを追っていると集中力は消耗する。よって、Netflixで海外ドラマを見るには、月額料金と快適なソファのほかに、時間と精神力を要する。「物」には食材や、文房具、日用品、衣類などがある。「ギガ」と呼ばれる「今月の通信容量」も減るものの一種だ。一方で、使っても減らないものとして、知識、技術、経験などがある。スマホやパソコン、鍋や電子レンジなどの機器設備も減らないものだ。

 例えば、YouTubeで48秒間の「寝ぼけた猫」の動画を見るには、ほとんど資源を要さない。金はかからないし、ストーリーを追う精神力も不要だ。ごろ寝で見ているから体力も消耗しない。猫に関する知識も必要ない。「減るもの」としては、少しの通信容量と「48秒」だけ。一方で、自宅にピザ窯を自作してホームパーティーを開くには、膨大な資源が必要となる。

 新しい活動に踏み出すときには、その効果が分からない。そのため、資源の投入に躊躇(ちゅうちょ)する。躊躇するということは、生活者にも無意識の「与信枠」があるのだろう。どこまで資源を投入してよいのかについての基準だ。多くの人にとって「寝ぼけた猫」は与信枠に入るけれど、「ピザ窯の自作」は超過する。

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