VR(仮想現実)の世界なら、自分の姿を変えることはもちろん、相手への視線や振る舞いまでも簡単に変えることができる。それによりコミュニケーションは円滑になるが、一線を越えてしまうとネガティブな印象を与えかねない。人と人とのコミュニケーションにおける「気が利く」と「気持ち悪い」の境界線はどこにあるのか。

(写真/Shutterstock)
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 『王様の仕立て屋』は、紳士服を主題とした名作漫画だ。料理人が主人公の漫画では、料理によってさまざまないざこざを解決する。ブラックジャックならば外科手術で解決だ。本作は紳士服の仕立屋が主人公であるため、服を仕立てることでさまざまな問題を解決する。主人公の仕立屋も、ブラックジャックのように高額の料金を請求する。

 20年近く続く連載の中で繰り返し示されるテーマの1つが「相手への敬意」だ。自己表現のために好きな服を着るのも結構だけど、相手への敬意を示すために装いを整えるというのもいいものですぜ、というエピソードに事欠かない。第44話「田舎の鼠」では、茶席に招待された客のために、千利休が愛した利休鼠と呼ばれる色のスーツを仕立てている。それにより、両者に話題が生まれて、話が円滑に進んだ(i)

 服だけでなく、振る舞いや話し方も「相手への敬意」を示すために重要な役割を果たす。医師のためのコミュニケーション技法を解説した本では、患者との物理的な位置関係の重要性を説く(ii)。具体的には、ベッドで横になる患者さんを見下ろさないように、目線の高さをそろえること。話者の目線と足の向きは一致させないと「興味がない」というメッセージを送ることになるから、会話が終わるまでは靴の先を患者さんに向けること、などが示されている。

 「相手への敬意」は、コミュニケーションの潤滑油となる。勝手に身につくものではなく、知識と経験により習得する必要があった。ところが、バーチャルリアリティー(VR)を介したコミュニケーションが広がったらどうだろうか。アバターの容姿を調整するように、上で示したようなコミュニケーション技法を容易に実装できるようになるかもしれない。また、物理空間では実現できないような技法を展開することもできるようになる。

 昨今のメタバース騒動のはるか以前より、VR研究者はテクノロジーによるコミュニケーション支援の可能性を模索してきた。VRの研究に長年取り組む、米スタンフォード大学心理学教授のジェレミー・ベイレンソンは、VRを用いることによって、学校における教師と生徒のコミュニケーションが劇的に変わるという(iii)。どういうことか。