「価値」とは一体なんだろう。子供の頃に夢中になったガラクタも、バズワードになっている「NFT(非代替性トークン)」も、価値を共有する人がいるからこそ“価値”が生まれるのでは。“小5男子”の行動や落語「茶金」のエピソードから、価値の本質をひもといてみる。

(写真/Shutterstock)
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 小学5年生が遠足で小高い山を登っている。暑いだの、疲れただの言いながらも歩みを進めるうちに、男子児童の1人である佐藤が枝を拾う。いい感じの枝だ。長さは30センチメートルぐらい、ちょっと不自然なぐらいに真っすぐで、指揮棒のようだ。佐藤は、その枝で草をペシペシと叩きながら歩く。

 すぐに同級生の田中がその枝に気づいて「その枝、すごいかっこいいな!」と遠慮のない大声で言う。それに感化されてか、周りの男子もいい枝を探し始める。Yの字になっているものや、いくつにも枝分かれした複雑な形のものなど、それぞれが思い思いにかっこいい枝を探す。いい枝を持っていることこそがいい男の条件とでもいわんばかりの熱心さだ。

 いつも悪乗りをする山田が、子供の腕の太さぐらいの倒木を見つけ、引きずりながら歩く。さすがに先生に注意され、女子たちからは「男子って、本っ当にバカ」と冷ややかな目で見られる。その目を見ながら担任の木村は、「あの目は、妻が俺のガンプラコレクションを見るのと同じまなざしだな」と感じる。

 弁当とおやつを楽しむ昼休みが終わり、再び歩き始める。多くの男子の手にもう枝はない。やがて山本がかっこいい松ぼっくりを見つけ、田中が「その松ぼっくり、すごいかっこいいな!」と叫び、男子の序列は松ぼっくり本位制に移行する。佐藤だけは、松ぼっくりに見向きもせず、指揮棒のような枝で草をペシペシとたたき続けている……。

 歩きはじめから昼休みまでの数時間、男子の間では枝こそがすべてだった。自らの価値を高め、他者を圧倒し、羨望を集める。そのためにはいい枝を手に入れることだけが唯一の道だった。確かに枝には価値があった。時間と空間を共にする女子はその価値を認めなかったし、昼休みとともにその価値はなくなったけれど、午前中の男子の中では輝くような価値があったのである。

 価値ってなんだろう、ということを考えている。価値が生まれるのはどういうときなのか。価値はモノに宿るのではなく、人の心の中にある。人の心の研究といえば落語だ。お気に入りの落語から価値にまつわる話をもう1つ紹介したい。

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