商品やサービスの提供側が気を利かせたつもりの機能でも、場合によってはユーザーに「余計なお世話」と思われてしまうことがある。「気が利く」と「余計なお世話」のすれ違いはなぜ生じるのか。「家事」についての論考からそのヒントが見えてきそうだ。

よかれと思ってしたことでも、当の本人にとっては「余計なお世話」だということもある(写真/Shutterstock)
よかれと思ってしたことでも、当の本人にとっては「余計なお世話」だということもある(写真/Shutterstock)

 伊藤理佐先生の名作マンガ「おいピータン!!」(講談社)に学ぶことは多い。お気に入りのエピソードの1つは卵白を泡立てる話だ(i)。主人公は、生活がうまくいかずイライラするとケーキを作りたくなる。肝は卵白の泡立てだ。手作業での泡立ては大変だけれど、大変なことをこなすと、自分がきちんとした人間であるように感じることができるからだ。そんななか、イライラの原因だったパートナーが電動泡立て器を買ってきてしまい、ガックリと肩を落とし心のなかでつぶやく。「この人はやさしいけれど、やさしくない……」

 要するに、電動泡立て器を買ってきたパートナーは「気を利かせた」つもりだったかもしれないが、実際には「余計なお世話」だったという話だ。この話はコネクテッド施策、すなわち製品がネットワークに接続されることで提供可能になる新しい価値を考える際に注意すべきことを教えてくれている。

 コネクテッド施策には“領空侵犯”の要素がある。これまで顧客が独占的に行っていた「利用」の領分に商品やサービスの提供者が入り込み、その一部を代替する、という要素だ。利用状況の見える化、設定のパーソナライズ、実行の自動化など、さまざまなパターンがあるが、いずれにせよ領空侵犯である。もちろん、提供者側に悪意はなく、「気を利かせよう」と思って顧客の領分に踏み込むのだが、場合によっては「余計なお世話」だと思われてしまう。

 趣味財の場合などは、その利用を試行錯誤しながら習熟するプロセス自体が楽しみな場合もある。その場合、そのプロセスを自動化することは上の泡立ての話と同様、「余計なお世話」だ。ならば、コネクテッド下でやれることはないのか。例えば「習熟していることを褒めたたえる」といったことが想定される。

 「気が利く」と「余計なお世話」のすれ違いがなぜ生じるのか。それは中核となる効用を見誤るからなのだろう。冒頭の泡立ての話で言えば、イライラさせたパートナーは「効率的な泡立て」が効用だと思っていたけれど、実際には「泡立てによる達成感」が主人公が期待していた効用だった。そこにずれがあると「余計なお世話」になる。なお、泡立てエピソードのタイトルは「達成感」である。伊藤先生の観察眼には頭が下がる。

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