「レシピ」は一皿の料理の作り方であり、「献立」は複数の料理の組み合わせによって成立する一回の食事のこと。つまり、レシピが「部分」で、献立が「全体」だ。部分や全体の話は料理だけでなく、商品やサービス、事業にまで広げて考えることができる。重要なのは、何をもって全体とするか。さまざまな課題に対する解決のヒントがそこに隠されていそうだ。

一皿のレシピを「部分」とすれば、献立は「全体」とみなせる(写真/Shutterstock)
一皿のレシピを「部分」とすれば、献立は「全体」とみなせる(写真/Shutterstock)
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 もう10年前くらいの話になるが、レシピサイト運営会社の人が言っていたことを最近よく思い出す。「レシピと献立は違う」という話だ。

 当時、その会社はユーザー投稿型のレシピサイトとして破竹の勢いにあったのだけれども、その人は「いくらレシピがあっても、魅力的な献立でユーザーを誘引されたらかなわない」と語っていた。「レシピ」は一皿の料理の作り方であり、「献立」は複数の料理の組み合わせによって成立する一回の食事のことだ。

 「一汁三菜」という言葉があるように、献立は主菜や副菜などの複数要素を必要とするし、そこにはバランスが求められる。「主菜がカツ丼、副菜は天丼」というわけにはいかない。レシピサイトの人が抱えていた問題意識は、複数のレシピを包含した献立全体を提案する魅力的なサービスが出てきたら厳しい戦いになるだろう、というものだった。

 レシピサイトの人が言う「献立」は、軍事作戦における「制空権」のようなものかもしれない。米軍は制空権を「軍隊に絶大なアドバンテージを与え、米軍が戦争を遂行するために必須なもの」と定義しているという(i)。戦域の上空を自軍の航空部隊によって支配できれば、地上部隊が仕事をしやすくなるからだ。逆に上空を敵軍に支配されてしまうと、地上部隊の仕事は困難を極める。献立を支配されてしまったら、個別レシピでの提案はできない。

 献立と制空権に共通するのは、「何を全体と考えるのか?」という問いだろう。レシピに対する献立のように、ある機能を包含するより上位の「全体」が出てきてしまうと、これまでのレシピが「部分」になってしまう。そうすると全体最適にはかなわなくなる。地上部隊しかなかったときにはそこでの最適化を考えればよかったかもしれないが、航空部隊が生まれるとそこも含めて最適化をしなければならなくなる。