落語に登場する場所としておなじみの「吉原遊郭」は、今の東京都・日本橋人形町に誕生した。大火事をきっかけに、幕府の命令で浅草寺裏の日本堤に移転した。なぜ、日本堤を移転先としたのだろうか。目的は治水だったのではないかという仮説を提唱するのは初代国土交通省河川局長だった竹村公太郎氏だ。
吉原遊郭の移転先となった日本堤は、名前の通り堤防であり、隅田川から江戸を守るために作られた。江戸の男たちは船で隅田川を上り浅草に行き、日本堤を歩いて遊郭に通ったと言われる。
遊郭通いの男が堤防を歩けば…
幕府が吉原遊郭を日本堤に移転させた理由について、竹村氏の仮説は次の通りだ。「幕府はここに郭(くるわ)通いの男たちを歩かせることで、日本堤を踏み固めさせていたんだと思うんです。当時の堤防は土でできていて、放っておけばモグラやヘビの巣穴でもろくなる。地震でひびが入ることもあって、危なくて仕方ないから」(i)
大胆な仮説だが、類例は多い。人の流れを変えて堤防を踏み固めるアイデアの元祖は、実は武田信玄ではないかと竹村氏は言う。武田信玄は、山梨県甲斐市に「信玄堤」を作った際に、堤防の先に神社を建てて、祭りを奨励した。みこしを担いだ男たちが“ワッショイワッショイ”と神社に向かうので、結果として堤を踏み固めるように仕組んだという。
今で言えば、AR(拡張現実)を使ったゲーム「ドラゴンクエストウォーク」や「ポケモンGO」で行われている期間限定イベントのようなものだろう。レアポケモンなどを登場させると、それに釣られて一定の場所に人がわらわらと移動して集中する現象によく似ている。
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