トヨタ自動車の「変革の現場」を追うノンフィクション連載。第23回は「トヨタコネクティッド」について。トヨタ社長の豊田章男氏が若き日に、周囲の反対に屈せず立ち上げた会社は今、トヨタが注力する「つながる車」関連事業の中核を担う存在となった。豊田氏を"起業"に駆り立てた焦燥をたどる。
トヨタコネクティッドという会社は、通信システムを搭載したコネクティッドカー、いわゆる「つながる車」に情報やサービスを提供するテレマティクス事業を行っている。創業社長は豊田章男(現トヨタ自動車社長)、2代目が友山茂樹(現トヨタ自動車副社長)だ。
社員はトヨタから出向している人間もいるけれど、大半はトヨタコネクティッドで直接採用した人間である。同社はトヨタとマイクロソフト、セールスフォース・ドットコムとの合弁で、製造業ではなく、IT(情報技術)を駆使したサービス業である。そのせいか社員もごつい感じではなく、やたらと腰が低い。
「車だけを作っていたら、やがてはじり貧になる」
トヨタで販売カイゼンを行った豊田、友山のチームは当時、ITを使った画像情報システムを開発した。その頃はまだ「コネクティッド」という確固たる情報サービスが始まると思っていたわけではない。ただし、豊田、友山たちは「トヨタは車を売って、そこで終わりでは食っていけない」と気づいていた。すでに新車の売れ行きが鈍くなっていたから、「車だけを作っていたら、やがてはじり貧になる」。車を買ったユーザーとずっと関係を持ち続けていくことができなければ立ち行かないという危機感があり、その頃まだ若手だった豊田たちにしてみれば将来を左右する切実な問題だったのである。
従来通り「輸出、現地生産で生きていけばいい」と思っていたのは年配の社員だけだ。トヨタの若手はEV(電気自動車)、自動運転、シェアリングが話題になる20年前から、すでにサービス業へ向かわなくては死ぬとさえ思っていた。ただし、同社のなかでも、世間でも、そんな考えを持っていたのはごく少数にすぎない。
当時、強烈な危機感を持って若手のカイゼンチームを率いていた豊田はのちにトヨタ全体を率いることになるが、彼が社長になることは既定路線ではなかった。豊田家は創業家ではあるけれど、株を握っているわけではない。周囲に能力が認められなければ、いくら創業家でもトップにはなれない。
事実、当時、彼の下にいた人間たちは「章男さんが社長にならなければ、みんなでやめよう」とまで思い詰めていた。販売カイゼンをやった者たちは豊田が不遇の扱いを受ければ自分たちも一蓮托生だとわかりきっていたのである。だから、彼らは販売カイゼン、そして、その延長線上にあるコネクティッドの仕事にまい進した。大きな意欲を持ってそうした仕事を始めたのだが、その後は迷走した時期もあった。
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