トヨタ自動車の「変革の現場」を追うノンフィクション連載第8回。地区担当員となった豊田章男・現社長は販売カイゼンの必要性に気づいた。おそらく気づいたのは彼だけではない。しかし、自ら立ち上がり、実行に移したのは彼だけだった。1994年、改革スタートの地は岐阜である。
トヨタ自動車・現社長の豊田章男がかつて地区担当員になって、最初に気づいた疑問があった。それは生産から販売部門に行ったからこそ気づいたことであって、彼が特別、優秀だったからではなかった。
「工場ではジャスト・イン・タイムで作っているのに、なんで販売店のヤードにはこんなにたくさん新車があふれているんだ。さっさとお客さんのところへ持っていかなきゃ、車は傷むし、代金も入ってこないじゃないか」
トヨタ生産方式を理解している社員であれば、誰もが気づかなくてはならないことだ。もっと言えば、トヨタの社員であれば疑問に思わなければおかしな事実だ。だが、実際は彼が問題提起するまで誰も声を上げなかった。
それは、販売店のヤードに車が置いてあっても、それが当たり前だと思っていたからだ。トヨタ生産方式を体系化した大野耐一以下は必死になって製造工程のリードタイムを縮めていたけれど、事務部門、販売部門にとってトヨタ生産方式はあくまで「生産工程だけの話」だったのである。
トヨタ生産方式は生産現場、協力企業では機能していた。しかし、生産現場に行かない事務部門、販売部門に属する大卒の人間にとっては「入社研修で習ったけれど、実はどういうことかはわからない」といった程度だったのである。
また、大野たちは決して会社の中枢にはいなかった。また、トヨタ自販に入社して幹部になった人間のなかには、「トヨタ生産方式は大野(耐一)の一派が勝手にやっていること」と公言する幹部も大勢、いたのである。
そんな中、工販合併後に入社し、しかも生産と販売の現場を深部まで経験した最初のトヨタマンが豊田だった。だから、彼が発見し、声を上げた。
冷ややかな空気のなかで
販売の改革が始まったのは1994年、販売店トヨタカローラ岐阜における新車物流のカイゼンからだった。大野の薫陶を受けた林南八が助けに行き、カローラ岐阜の経営者に理解があったことからなんとか結果を出すことができた。
豊田は販売のカイゼンをなんとか始めたのだが、周囲の冷ややかな空気は変わらなかった。林の言ったとおり、面従腹背は常態化していた。
ただ、わたしは思うのだけれど、これは豊田が仮に御曹司でなかったとしても、周りはなかなか改革を理解しなかっただろう。それは日本のビジネスマンはそれほど愛社精神を持っていないからだ。「会社のために」と口に出す人間は数いるけれど、心底から会社を愛している人間はデータを見る限り、諸外国よりも少ない。
2018年で18回目となる「エデルマン・トラストバロメーター」というグローバルな信頼度調査がある。調査会社のエデルマンがひとり当たり30分のオンラインインタビューを28カ国で実施したものだ。そこには興味深いデータが載っている。
たとえば自分が働く会社、雇用主に対する信頼度は日本は57パーセントだ。「なかなか高いじゃないか」と思ってしまうけれど、28カ国中、その数字は韓国と並んで最低である。アメリカは79パーセントで中国は82パーセント。ヨーロッパ諸国も7割以上の人は会社と雇用主を信頼している。日本人ビジネスマンの4割は会社のこと、社長のことを「信頼していない」と公言している。日本には「愛社精神」とか「社畜」とか会社のために尽くす言葉はたくさんあるけれど、口で言う割に、腹のなかでは自分が働いている会社を信頼しているわけではない。
当時の社員たちが豊田の改革を歓迎しなかったのは標準的な対応だったのである。
つまり、販売カイゼンの第一歩は彼でなくてはできなかったけれど、その価値を大きなものと考えていたのはごく少数だった。周囲の無理解のなか、彼の疑問は尽きなかった。
「入社してすぐ『1にお客様、2に販売店、3にメーカーという順番で大切にしなさい』と教わった。ところが、現場に来てみたら、ぜんぜん違うじゃないか。販売店は販売店の理屈で動く。メーカーはメーカーの理屈で動く。これはやっぱり変えなきゃいけない」
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