新たなテクノロジーやビジネスモデルの登場によって、大幅に進化しつつある食分野。本特集は、食品にとどまらず、家電、小売り、AI・IoTといったテクノロジー分野などを幅広く巻き込んだ近未来の食の革命、「イノベー食(ショク)」の衝撃を先進事例から読み解く。第5回は、米シリコンバレーを中心に食のイノベーションに取り組むテクノロジストたちを追う。
穀物、樽の木、水、土地、気候、職人の技――。
ウィスキーやワインはさまざまな要素が複雑に絡み合って化学的に変化し、年月を経て最高のものができあがる。
こうした伝統的な蒸留や醸造の製法をテクノロジーで変革しようとしているスタートアップが米エンドレス・ウエストだ。シリコンバレーに隣接するサンフランシスコ市に本社を構えている。
ビンテージものが高価で手の届かないものに
共同創業者でCTO(最高技術責任者)のマルドン・チュア氏は2015年にカリフォルニア州のワイン産地であるナパバレーを訪れた。しかし、ビンテージ物のワインがあまりにも高価なことに驚き、残念に思った。栓を開けることができなかったからだ。
これを契機に熱狂的なワイン愛好家であるチュア氏は、何がワインの味や品質を左右するのかと考えるようになった。そして科学者である彼は、伝統的な方法でなくても、テクノロジーを活用すれば、有名な高級ワインに負けないものを作れるのではないのかと自問し続けた。
バイオ分子の専門家であるチュア氏は、価値の高い酒がどのような分子構造であるのかを解明し、それを再現することで安価かつ短期にビンテージ物と同様なものが作れるのではと思いついた。
こうして16年に、仲間の科学者らと3人でエンドレス・ウエストを起業し、本格的な実験に乗り出した。取り組んだのが、樽の中に入れなくても、何年もの年月が経過したようなウィスキーの再現だ。発酵・蒸留など従来の工程とも異なる。北極にある氷と冷蔵庫の氷は製法は異なるが、同じ分子構造を持つ。彼らは自分たちの手法をこう例えている。ウイスキーを選んだ理由は規制の問題だ。アレック・リーCEO(最高経営責任者)は、「我々の製法はワインをぶどうなどから作らないので、現時点では米国の規制の面からハードルがある」と説明する。
同じ味を出す分子を特定する
チュア氏らは、分子を同定する試験を繰り返すうちに、ビンテージものを再現するために重要な分子が何であるのかを特定できたという。ウィスキーに香る、スモーク、シェリー、スパイス、バニラなどの風味を、これらの香りを直接出すような材料を加えることなく分子レベルで実現したのだ。すべて植物や酵母に由来したものから実現しているという。
開発に成功したウィスキー「グリフ」は、一部のリカーショップやバーなどが取り扱いを始めている。リー氏は「このアイデアと製品に対して、顧客や飲食店からポジティブな反応をもらっており、うれしく思っている。多くのバーやレストランは、まったく新しいものであることを認めてくれており、それにわくわくしてくれている」と言う。
40ドルでいい香りを味わえる
筆者はグリフを売っているシリコンバレーのリカーショップを訪れた。最後の1本を42ドル54セントで購入した。他のウイスキーよりも売れ行きがいいようだ。店員に聞くと、「いいウイスキーだ。ものすごい売れているというわけではないが、いろんな客が買っていくよ」と教えてくれた。
「85H」というレシピで作ったグリフは、裏面のラベルに表示されたフレーバー表によると、バニラとシェリーの成分が強いようだ。実際にストレートで飲んでみると、バニラのいい香りですっきりとした味わいだ。普通のウィスキーに比べると、アルコール分が弱いようにも感じる。
エンドレス・ウエストのリーCEOは課題について「飲料の分子プロフィルを完璧にスキャンすること。現時点では極めて正確かつ短時間でスキャンするのが難しい」と説明する。この克服に成功すれば、熟成が必要な数百ドルもするような多種多様な高価なワインやウイスキーが数十ドルと安価に入手できるようになるかもしれない。もちろん富裕層は本物のビンテージものを好み、購入し続けるだろう。リーCEOは次にチャレンジするジャンルについて「現時点では決めていないが、他の一般的な酒類になるだろう」と言う。
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