1918年創業の老舗旅館の元湯陣屋は、倒産寸前の経営危機から見事なまでのV字回復を果たした。ITを駆使した経営改革により、客単価は4倍、売上高は2倍に増加。一方で、従業員の離職率も大幅に低下している。同社が実現したIT活用による“おもてなしイノベーション”の極意を学ぶ。

一時は負債が10億円にまで膨らみ、経営危機に陥った元湯陣屋
一時は負債が10億円にまで膨らみ、経営危機に陥った元湯陣屋

 人手不足がとまらない。有効求人倍率はじわりと上がり続けており、厚生労働省の発表によれば2018年9月には1.64倍にまで上昇した。17年6月に1.50倍を超えて以来、バブル景気以来の高い水準が1年以上続いている。

 これからの急速な生産年齢人口の減少を考えれば、サービス業は特に人材不足の影響を強く受ける可能性が高い。生産性を高める経営改革、つまり働き方改革の推進は待ったなしの状況だ。筆者は20社超のサービス業の取り組みを分析、働き方改革モデルをレポートにまとめた。本連載では特にIT活用に着目し、改革に取り組んでいる具体的な事例を紹介する。キーワードはおもてなしイノベーションだ。

 おもてなしにイノベーションを起こすためには、「効率化」と「高付加価値」の両輪の実現がカギとなる。その具体的な事例として、第1回では元湯陣屋(以下「陣屋」)を紹介する。

 陣屋は1918年創業の神奈川県秦野市の鶴巻温泉にある老舗旅館だ。その敷地は1万坪におよぶ。明治天皇の宿泊用に建設された貴賓室を現在の場所に移築した「松風の間」をはじめとする客室数は18室。ほかに、6つのレストラン・宴会場などを備えている。

 陣屋はかつて経営危機に陥った。負債は10億円にまで膨らみ、倒産寸前の状態に追い込まれた。経営再建に乗り出したのが、09年に旅館の経営を引き継いだ、4代目オーナー宮﨑富夫氏と女将の宮﨑知子氏の夫妻だ。ITを活用して生産性を高め、見事に再建を果たした。彼らの経営改革こそ、おもてなしイノベーションの好例と言えよう。

独自のクラウドシステム構築

 陣屋の経営改革の要となるのが、「陣屋コネクト」と呼ぶ、独自のクラウドシステムだ。当初、既存システムを導入しようと考えていたが、旅館のビジネスに適したシステムが見当たらなかった。そのため、カスタマイズが可能なセールスフォース・ドットコムのサービスをベースに独自のクラウド型業務システムの開発を決め、システムエンジニアを採用した。また、オーナーである宮﨑富夫氏は本田技術研究所出身の元エンジニアだ。採用したエンジニアと共同で開発に当たった。

 陣屋コネクトの特徴は、旅館にあるすべての情報を一元管理できる点にある。予約や顧客情報から、財務情報、従業員の勤怠情報に至るまで、あらゆる情報が蓄積され、全従業員に公開されている。従業員にはタブレット端末が配布され、一人ひとりがあらゆる情報を簡単に更新したり、他の人が更新した情報を確認したりできる。最新版では、情報の音声入力も可能になり、手入力しづらい状況でも顧客に関する情報を瞬時にシステム上に残せるようになった。

元湯陣屋が開発した「陣屋コネクト」は予約、売り上げ、勤怠管理など経営に関するあらゆる情報を一元管理できる
元湯陣屋が開発した「陣屋コネクト」は予約、売り上げ、勤怠管理など経営に関するあらゆる情報を一元管理できる

 陣屋コネクトの導入と同時に陣屋で行われた経営改革の最初のステップは、非効率なタスクの見直しであった。以前は、食事の際、広い敷地に点在する客室に料理を運ぶだけで、多くの時間がかかってしまっていた。そこで食事はすべて食事処にて一括して提供することにした。さらに、陣屋コネクトでデータを一元管理することで、1人で複数の顧客を担当できるようになった。

 また、当初は「料理を運ぶ担当」「炭を運ぶ担当」などと細かく従業員の役割が分かれていたため、手待ち時間が多くなっていた。そこで従業員一人ひとりが複数の役割を担うマルチタスク化を進めたことで、手待ち時間も減少さられた。陣屋コネクトを利用することで、情報連携が容易にできるようになり、誰もが様々な役割を担うことができるマルチタスク化が可能になったのだ。

 一方で、陣屋が「高付加価値化」すべきタスクとして着目したのが、料理だった。09年当時、客単価は9800円にまで低下していた。料理こそが旅館として付加価値を提供できるポイントであると考えた宮﨑夫妻は、料理メニューを大幅に見直し、原価が高い原材料も利用することで、料理の価格を上げた。また、料理の提供方法にもひと工夫を加えた。宿泊客の目の前で調理したり、配膳時にひと手間の演出を加えたりするなど、提供方法にこだわって付加価値を高めた。

顧客の期待を超える接客。客単価4倍に

 従業員が手元の端末で顧客に関する情報をリアルタイムに更新・確認できるようになった点も、料理の高付加価値化につながっている。例えば、チェックイン時の顧客とのちょっとした会話の際に、料理の好みが分かれば、受付はその情報をすかさずシステムに登録する。登録された情報は即時に調理場に伝わり、当日の食事にも反映できる。それが顧客の期待を超えた感動を呼ぶ。

従業員はタブレット端末で顧客情報をリアルタイムに把握して、接客に生かすことができる
従業員はタブレット端末で顧客情報をリアルタイムに把握して、接客に生かすことができる

 顧客との会話を通じて明らかになった顧客の好みや来訪目的などを、瞬時に共有化できるようになったことで、料理の提供や接客に顧客情報を生かせるようになり、サービスの質のさらなる向上につながった。まさしく、おもてなしのイノベーションと言えるだろう。質の高い料理とサービスを提供し、それに見合った代金を頂くという改革は顧客の満足度を高めるだけではなく、調理人や接客スタッフの「働きがい」を高める効果ももたらした。その結果、低迷していた客単価は17年に4倍にまで上昇した。

 さらに、収益が回復してきた14年には、365日営業が当たり前という旅館の“常識”を覆し、稼働率が低い火曜、水曜の定休日化に踏み切った。陣屋コネクトでデータが蓄積されてきたために、施設の稼働状況が明らかになった。その結果、非効率の解消に着手でき、働きやすい環境が次々に整備されていった。

従業員の年収が100万円近く増加

 これらの改革により、陣屋の業績は見事なV字回復を果たした。17年の客室稼働率は76%にまで高まり、同年の売上高は5億6000万円と改革前の2倍近くまで増加した。

 現在、週2日は宿泊客を受け入れないため、従業員には週2日の休みがある。また、09年当時は社員20人、パート・アルバイト100人の約120人だった従業員数は、17年には社員を30人に増やす一方で、パート・アルバイトは15人ほどとなり、約45人で運営できるようになった。生産性が向上したことで、従業員の平均年収は398万円と、100万円近く引き上げられた。09年に30%だった離職率も17年には3%にまで激減した。

 陣屋では、ITを活用しながら働き方を見直し、効率化や高付加価値化を進めることで、従業員にとっての働きやすさと働きがいの両面を改善し、持続的な生産性向上を導くことができたのだ。現在、陣屋では旅館同士の連携を深めるようなさらなるシステムの活用も模索している。

「タスクマネジメント」が肝に

 成功事例を研究するなかで、筆者が導きだした働き方改革モデルを下図にまとめた。各社の共通点として浮かび上がったのが「タスクマネジメント」だ。タスクマネジメントとは、一つひとつの職務内容や特性を明らかにし、適切な人材に職務を任せられるように、タスクそのものを変えていくことである。

「タスクマネジメント」により、「高付加価値化」と「効率化」を実現することで、従業員満足度を向上させ、結果的に顧客満足度の向上につながる
「タスクマネジメント」により、「高付加価値化」と「効率化」を実現することで、従業員満足度を向上させ、結果的に顧客満足度の向上につながる

 タスクの性質は、大きく2つに分かれる。価値創造につながるタスクと、それ以外のタスクである。価値創造につながるタスクを見極め、さらなる高付加価値化につながるようにタスクの進め方やゴールを変えることで、サービス業では従業員の働きがいが高まっていく傾向にある。

 それ以外のタスクに分類されるものは、効率化を進めることで、従業員の働きやすさが向上する。このようにタスクのあり方を変えていくことが、タスクマネジメントなのである。

 タスクマネジメントによって働きがいと働きやすさの両方が高まることで、従業員満足(ES)の向上が実現する。高いESを維持することで、顧客満足(CS)の向上と従業員定着率の向上の2つの効果をもたらすことになる。

 自分の職場や仕事に満足している、つまりESの高い従業員は、必然的に接客の質が高まる。質の高いサービスを提供することで、高い顧客満足度につながる。顧客の満足度を高めることはリピート率の向上や、口コミ拡散による新規顧客獲得といった効果をもたらすことで、売り上げ拡大が期待できるようになる。

 従業員の定着率向上にも寄与する。そもそも人材の入れ替わりが激しいサービス業で、定着率が高まり人が辞めなくなれば、採用費など人材確保にかかわるコストや教育コストが激減する。経営的にも大きなインパクトが生まれてくるのだ。

 宿泊業以外のサービス業でも、同じようにITを活用したタスクマネジメントを起点に、働き方改革を成功に導くことはできるのか。2回⽬以降は、飲⾷業などでの事例を紹介しながら、サービス業での働き⽅改⾰の取り組みを紹介する。

(写真提供/元湯陣屋)