通信産業およびデータビジネスに産業政策と事業開発の両面から深く関わるクロサカタツヤ氏が、「個人起点のデータビジネス」を各分野のキーパーソンと共に考察する本連載の第1回。コネクテッド(ネット接続が前提)な社会の本格的な到来は、もはや私たちの目の前まで迫ってきている……。

(c)optimarc/Shutterstock
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 個人起点のデータビジネスとは、一体何だろうか。

 個人情報や個人に関連したパーソナルデータを取り扱うデータビジネスなら、すでに世界中で花盛りである。そればかりか、もはや“狂い咲き”とさえ言えるかもしれない。

 パーソナルデータの取得と利用は、もはや一事業者のビジネスを超えて、世界規模のプラットフォーム事業者たちによる寡占が進んでいる。その影響は甚大で、日本をはじめ各国の産業政策や通商政策に関する主要課題とされているのは、すでに多くの人が知るところだろう。

 一方で、パーソナルデータを収集する企業の寡占によりビッグデータ化が進み、副作用も引き起こしている。例えば2016年の米国大統領選では、Facebook利用者の数千万人のデータを外部企業が分析、利用して、投票行動に重大な影響を及ぼした。以前からある個人情報の漏洩のような分かりやすい課題から、「巨大なデータの渦を人間社会がどう手なずけていくのか、あるいはむしろ人間がデータに手なずけられるのか」といった、より根源的かつ深刻な課題が顕在化しつつある。

コネクタブルからコネクテッドへ

 それでもなお、私たちはネットサービスの利用をやめようとはしない。たまに「ネット疲れ」や「デジタルデトックス」みたいなことが話題にはなるものの、それはむしろネットやデジタル技術、そしてそれが生み出す便益に依存していることの裏返しだろう。もはや私たちは、デジタルから隔絶した世界で生きることを、ほとんど選択できない。

 そうした追い風を受けて、今世界中で、デジタル技術によるさまざまな製品や機能のサービス化が進んでいる。そしてそれを支えるモバイルブロードバンドも、より高性能・高品質に発展し、コネクタブル(ネット接続も可能)ではなくコネクテッド(ネット接続が前提)な社会の本格的な到来は、もはや私たちの目の前まで迫ってきている。筆者はこれを「5G社会」と呼んでいるのだが、もはや数年後にやってくる「約束された未来」である。

なおざりな扱いに気づき始めた「個人」

 このように、デジタル技術とネット環境に包まれる社会で生きていくことが、これからの私たちにとっては「当然の日常」となっていく。そして私たち自身も、そうした新しい社会構造や産業構造の中に組み込まれて、ネットの海の中でデジタルと人間の身体は混ざり合っていく──はずだったが、そうは問屋が卸さない。

 デジタル化がもたらす便益と、それによるデジタル化の再拡大というサイクルにおいて、本来であれば最も利益が還元され、また最も影響を被る対象は、人間であり、さらに言えば「個人」であろう。しかし個人はこれまで、常になおざりにされてきた。そして自分たちのそんな扱われ方に、多くの個人たちが気づき始めた。

 だから今、「個人起点」への注目が集まっているのではないか。すなわち個人起点とは、単にパーソナルデータの利活用といった表面的なビジネスのことではなく、「個人が主体的にデジタル化に関与する力を取り戻す」という、いわば社会や産業に対する意思表示なのではないか。大げさかもしれないが、筆者はこのように考えている。

 先般、日本では情報銀行への関心が高まっている。現在開発が進む情報銀行のモデル自体は、およそ10年前に英国でスタートした「midata」にその源流を見いだすことができるが、少なくとも社会実装という観点で、midata自体はお世辞にも成功したとは言えない。もっとはっきり、失敗したとさえ言える。

情報銀行で「個人の力を取り戻す」

 にもかかわらず、改めて18年の日本で情報銀行が注目されるのは、おそらくそこに「個人の力を取り戻す」ためのヒントがあると考える人が少なくないからではないだろうか。特に、総務省が先に定めた情報銀行の認定基準は、パーソナルデータの管理や取り扱いに係る事業者への要求水準が、個人情報保護法の求める水準よりも高くみえる。

 総務省や関係者がどこまでそれを意図したかは分からないが、DMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)同士の連携によって、広告のターゲティングを確実に進めようとすることを目的とした現在のパーソナルデータビジネスとは、理念の次元が全く異なる。そのように評価できる限り、高いハードルを乗り越えて設立される情報銀行ならば、おそらく「個人がより正当に便益を享受する」ことに資するだろうし、逆に言えばそれは事業者にとってなかなかのチャレンジでもある。

 そのうえで筆者はこの連載を通じて、さらにその先の社会を構想してみたい。それはパーソナルデータだけでなく、「個人の周辺にあるさまざまなデータ」との有機的な連携である。

個人起点のさまざまなデータでコミュニティー全体を効率化

 個人起点のデータビジネスの実態や本質を探るには、パーソナルデータの取り扱いはもちろん重要だ。しかしそれだけを見ていては不十分ではないだろうか。なぜなら、私たちが利用するサービスの多くは、自分が提供するパーソナルデータだけでなく、他者のパーソナルデータや、あるいはパーソナルデータとは関係のない周辺環境のデータも含め、さまざまなデータが複合的・総合的に処理されることによって、便益が構成されているからだ。

 私たちは必ず、会社や家族と住む家といったコミュニティー(生活空間)に属して、その場所で生きている。そうしたコミュニティーの現状を把握するセンシングデータや、サービス提供者がよって立つ業界全体のデータ、また便益が提供される流通に係るデータなど、いわゆる産業データの充実も、個人が享受するサービスの品質向上には重要な要素となる。

 例えば、センシングデータによって荷物を受けられる在宅の時間が分かれば、宅配便の再配達はもっと抑制できる。配達担当者の労働環境、街の交通状況などコミュニティー全体の効率も向上するはずだ。あるいはその実現手段として、荷物によっては信頼できるご近所の誰かに代理人として預かってもらってもいいだろう。そんな、一昔前には当たり前に行われていたことも、デジタル技術で再構成する必要があるし、そのためには個人にとっての安全と安心を確保しながら、パーソナルデータ以外のさまざまなデータの取得と利用が必要となる。

パーソナルデータに加えて周辺のデータでコミュニティー全体を効率化する
パーソナルデータに加えて周辺のデータでコミュニティー全体を効率化する

 そうした多様な複雑に絡み合うデータを適正に管理するためのチャレンジが、例えば基盤技術としてはAI(人工知能)システムやブロックチェーンの利活用によって始まっている。また、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)のように、そうしたチャレンジの進展を前提とした、社会や産業のサービス化に向けた新たな取り組みも進み始めている。

 テクノロジーの高度化が「個人の力を高めること」を指向していることは、デジタルに限らず人類史や技術史を見ても明らかである。本連載は、「未来を予測する最善の方法は、自ら未来を創造すること」というアラン・ケイの有名な格言にのっとって、個人起点のデータビジネスを創造するチャレンジャーたちの話を伺いながら、来るべき社会を考えてみたい。