
有名なマーケティングの失敗例を題材にした米ネットフリックスの人気ドキュメンタリーは、企業のCMO(最高マーケティング責任者)や広告会社のクリエーティブディレクターにとって、ただ一気に視聴するだけではなく、じっくり参考にすべき番組だ。
今では信じがたいかもしれないが、人気においても広告の多さにおいても「ペプシ」が全米トップのマーケターと言えた時代があった。米USAトゥデー紙の広告ランキング「アドメーター」の「スーパーボウル広告ベスト10」では、ペプシが1990年代に通算8つの賞に見事輝いている。
90年代という時代は、そこで扱われた広告文化やマーケティング戦略になじみを覚える程度には最近だが(例えばセレブを起用したスーパーボウルCMが思い浮かぶのではないか?)、今ほど業界が細分化されておらず、テレビや映画、音楽、そして広告さえもが単一のポップカルチャーの一部と言ってよい時代だった。そうしたメディア環境だったという意味では、遠い昔の話だ。
このため、米ペプシコが95年に「ペプシポイント」キャンペーンを開始したとき、事実上、すべての人が広告を見たといえる。あれはペプシポイント700万点で3200万ドルのジェット機「ハリアー」がもらえると謳(うた)ったキャンペーンだった。だが、ジョン・レナードという名の20歳の若者が景品を受け取ろうとしたとき、ペプシコは「ただの冗談だ」と言い放ったのだ。ここで生じた論争が、動画配信大手ネットフリックスの新しいドキュメンタリー番組「ペプシよ、戦闘機はどこに?」シリーズの題材である。ガラス瓶に入ったコーラ並みにすいすい飲み込める90年代のノスタルジアのような番組だ。
主にレナード氏と、友人で良き助言者でもあるトッド・ホフマン氏の視点から語られている物語は、どこにでもいる若者が巨大グローバル企業を相手取って闘う、いわば「ダビデとゴリアテの物語」として描かれている。そして確かに、その通りだ。だが、これはブランドマーケターが信じがたいほど、ほとんどバカらしいほどの失態を犯した物語でもある。
(編集部注:当該番組をまだ見ていない人、またはビル・クリントン氏が米国大統領の1期目だった頃に起きた出来事の経緯を知らない人は、以降の記述のネタバレに要注意)
10年近い歳月と複数の訴訟、メディアの大騒ぎなどを経た後、ペプシが最終的に勝利し、レナード氏のために3200万ドルもする軍事装備品を買わずに済んだ。しかし、ペプシはここで本当の意味では勝ってはいない。マーケターは世間の人と同じように後ろめたい喜びを感じながら番組を見てもいいが、この物語の内側には広告、マーケティング、ブランディングに携わる人が今日、まだ念頭に置かなければならない重要な教訓が潜んでいる。
クリエーターを信用すべし
シリーズ第4話で、米大手広告会社BBDOのクリエーティブディレクター、マイケル・パッティ氏が、ハリアーのジェット機広告の舞台裏の経緯を分析している。スポットCMはもともと、ごく平凡な子供とますますカッコよくなるペプシの景品をセットにすることを狙っていたと同氏は語る。そう、93年の古典的な映画「サンドロット/僕らがいた夏」の主人公ハム・ポーターみたいな少年だ。
「大半の子供はあんな感じだ」とパティ氏は番組で語る。ところがペプシの経営幹部はもっとクールな子供のイメージを望み、結局、映画「トップガン」の主人公マーベリックのミニチュア版のような子供を広告に起用することになった。
クライアント(広告主)が広告会社のクリエーティブなアイデアを覆すことは日常茶飯事だ。だが、ここにはもう1つ、決定的なミスがあった。パティ氏の当初のプレゼンでは、絵コンテに「ハリアージェット700,000,000ペプシポイント」と書かれていた。本人によれば、極端に大きな数字とごく平凡な子供を組み合わせることで広告が面白くなるはずだった。ところが、ペプシは同意しなかった。
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