地球上で最も暗い色として芸術家やデザイナーを魅了してきた「ベンタブラック」。ついに、その水門が開こうとしている。世界はまもなく、この黒い塗料でコーティングされた商品でいっぱいになるだろう。

2019年9月にドイツ・フランクフルトで開催された国際モーターショーに出品された、ベンタブラックを使用した独BMWの特別モデル(写真:Julia Lav /Shutterstock.com)
2019年9月にドイツ・フランクフルトで開催された国際モーターショーに出品された、ベンタブラックを使用した独BMWの特別モデル(写真:Julia Lav /Shutterstock.com)

 高級腕時計ブランドは、ダイヤモンドや金、チタンなど、希少な美しい素材で時計を囲うことで知られている。だが、スイスの腕時計メーカー、H.Moser & Cie(H.モーザー)の新商品は、格段に新しい材料を使っている。米航空宇宙局(NASA)の科学者たちが初めて公開してから10年もたたない新素材だ。

別世界の奇妙な材料としてデザイナーを魅了

 これは可視光を99.96%吸収する塗料で、それ故地球上で最も暗い色の素材となる。人間は厳密にはその色を見ることさえできず、ただ光の欠如を観察しているだけのため、市場に投入されて以来、まるで別世界の奇妙な材料として芸術家やデザイナーを魅了してきた。

 今では7万5000ドル(約825万円)で、「Vantablack(ベンタブラック)」として知られるこの黒い塗料で文字盤がコーティングされたH.モーザーの腕時計を買うことができる。個々の文字盤が英国企業サリー・ナノシステムズに送られ、同社でベンタブラックが塗布された後、時計に仕上げるためにH.モーザーへ送り返される。

 ベンタブラックのおかげで、文字盤はトゥールビヨン(小さなダイヤルのような時計の機構)とそれを留める2本の針だけが付いた底なしの暗い穴のように見える。「Endeavor Tourbillon Concept Vantablack」と名付けられた商品は、50点だけ生産された。他にもベンタブラックを使った腕時計が2種類用意された。限定版ではない比較的シンプルな商品は2万7600ドル(約303万6000円)、313個のダイヤモンドをあしらった商品は5万4000ドル(約594万円)だ。

 希少でミステリアスで高価な素材としてベンタブラックを世に披露した腕時計は、将来、この材料の用途が多々考えられることを示す兆候だ。今のところデザイナーたちは、ドイツ・BMWの特別モデルと、韓国・現代自動車が後援したオリンピックパビリオンとで、ベンタブラックを実験的に使った。また、芸術家のスチュアート・センプル氏は、ベンタブラックの機能をまね、事実上どんなものにも塗れるアクリル系塗料を作った。

宇宙旅行のために開発された究極の黒

 では、なぜこの色味の黒はこれほど魅惑的なのだろうか。まず、ベンタブラックは宇宙旅行のために開発された。NASA、英国立物理学研究所(NPL)、サリー・ナノシステムズの研究者たちは何十年も前から、宇宙研究のためにこの素材の開発に取り組んできた。衛星や宇宙船が宇宙空間に入ると、太陽や星の光を反射して、光学センサーや視界と干渉することがあるからだ。

 科学者らは、「ナノチューブ」として知られる微細な炭素のチューブからできた材料を作ることで、ベンタブラックを開発した(ベンタブラックのナノチューブは、人間の髪の毛の直径の3500分の1程度しかない)。光がベンタブラックの塗料に当たると、個々のチューブの間に閉じ込められる仕組みだ。

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