糸井重里(いといしげさと)氏率いるほぼ日のロングセラー商品「ほぼ日手帳」。これまでの手帳の常識とは一線を画す商品として、18年間も売れ続けている、この連続的なイノベーションの裏側には、利用者の喜びを徹底的に追求するという独自の哲学があった。

「2019年版」の「ほぼ日手帳」は、サイズやカバーなどの違いで95アイテムになっている
「2019年版」の「ほぼ日手帳」は、サイズやカバーなどの違いで95アイテムになっている

 「それは室町時代の人も喜ぶことなのか!」――。

 ほぼ日手帳の開発を担当する大和倫子氏は、ほぼ日の社長である糸井重里(いといしげさと)氏から、入社以来、そう何度も言われ続けている。ほぼ日手帳を購入し、実際に使う人に「本当に喜んでもらえる」商品にするためには、どうしたらいいか。それをクリエイターである糸井氏は、冒頭のような言葉で問いかけるという。大和氏は、「人間にとって本質的な、本当の喜びとは何か。それを探るために、世間で一般的な常識さえも疑うようになった。そうした考え方を、糸井から徹底的に叩き込まれた」と振り返る。

 ほぼ日の看板商品である、ほぼ日手帳が誕生したのは2001年10月。当初はわずか1種類、売れたのは1万2000冊だった。それが17年9月発売の「2018年版」では85アイテムまで増え、年間で78万冊を売り上げる大ヒット、ロングセラー商品になっている。最新の「2019年版」も全部で95アイテムと、異例なほど種類が豊富だ。

 18年も続くロングセラー商品であるが、多額の広告宣伝費をかけて販売プロモーションを展開してきたわけではない。ビッグデータを活用して、デジタルマーケティングを展開して、といった今では当たり前の手法も、ほぼ日には無縁だ。それでも、ユニークな“イノベーション”を繰り返し、販売数を伸ばし続けている。その理由を探ると、1つのキーワードが浮かび上がってくる。「共感」である。

 ほぼ日手帳の開発には、糸井氏の強い思いがこもっている。そのため単なる手帳でなく、「クリエイターが手掛けた作品」というべきものではあるが、その一見すると異色な共感を軸とした商品開発に対する姿勢は、一般的な企業がイノベーションを実現する上でも参考になる、多くの示唆に富んでいることが分かった。

「2019年版」の新製品として、A5サイズの「ほぼ日5年手帳」を発売。5年分の同じ月日の状況が分かり、新たな楽しみが加わった
「2019年版」の新製品として、A5サイズの「ほぼ日5年手帳」を発売。5年分の同じ月日の状況が分かり、新たな楽しみが加わった

なぜ一般企業は「共感」に乏しいのか

 共感を端的に言えば、相手の感情を共有することだが、実際には簡単ではない。パソコン画面に並ぶ数字だけを見ているようなマーケターには、消費者、利用者がどのような気持ちで商品を購入したのか、利用しているのかは、分からない。ほぼ日も、利用者の気持ちを探ろうと、利用者に集まってもらい、どんな使い方をしているか、どんな課題があるのかをヒアリングしている。社員とほぼ日手帳について意見交換する機会も多い。しかし、集めた声をそのまま受け入れるのではなく、なぜそうした意見が出てくるのか、本来はどうあるべきかという本質を常に考えるのだという。

 改良してほしいポイントを聞いた時、利用者から「手帳の重さが気になる」といった声が寄せられたことがあった。だからといって、手帳の軽量化を考えたりすれば、薄型や小型の手帳になり、今度は書くスペースが少なくなる。利用者にとって本当の喜びとは何か。それは思う存分、書けることではないか。書く喜びを犠牲にしてまで、薄型や小型を推進すべきか。むしろ書く喜びをもっと味わえるようにすれば、重さは気にならないのではないか。そう考えた。

 ほぼ日は「2018年版」で、辞書のような装丁の「ほぼ日5年手帳」を発売している。見開きに5年分の同じ月日の記録をつけることができるため、1年分の手帳よりは重たくなる。しかし過去の状況が分かるという大きな楽しみが新たに加わったことが評価され、これまでのA6サイズに加えて、「2019年版」ではさらに大きいA5サイズのほぼ日5年手帳も発売している。重さは増えるが、書くスペースは大きくなり、喜びも増える、こうした新製品が登場した背景には、常に本質を重視した姿勢がある。

手帳からライフログへと意味を変える

 そうした姿勢ゆえ、ほぼ日手帳は、一般的な手帳の常識とは一線を画している。スケジュールや仕事の管理のために使うビジネス手帳ではなく、毎日の暮らしを記録する「ライフログ」と位置づけている。手帳というより、日記に近い存在かもしれない。そのため1日分を1ページにして方眼ベースでデザインしたり、180度開くようにしたりして、毎日の出来事やメモなど文字をたくさん書きたい人がストレスなく使える仕様にしている。実際、多くのユーザーが手帳の常識を超えた使い方をしている。自分の人生を書き綴り、振り返ることにこそ喜びを感じる利用者が多い。そうした様子が「ほぼ日手帳 公式ガイドブック」で紹介されており、老若男女の幅広い層に利用されていることが分かる。

 ほぼ日手帳が支持されてきたのは、最初の段階から本質をがっちりとつかんで基本的な仕様を固める一方、時代に合わせて細かい点を毎年改良するなど、常に進化し続けているからだろう。「2019年版」では、「ほぼ日手帳weeks MEGA」シリーズの一環で「スニーカー」と呼ぶスリムなタイプも発売した。ポケットからさっと取り出して書けるようにした製品だが、これもメモページを従来の3倍に増やし、たっぷり書けるようにしている。常に本質は忘れていない。この他、中国向けに簡体字を使ったものも販売。中国市場も攻めている。

 一般企業の場合、市場調査や意識調査といったマーケティングを重視し、数字から分析しようとする。ユーザーにヒアリングするなど定性的な分析ももちろん重視している。しかし、利用者の本当の姿や本質をつかめているのだろうか。単に利用者とのコミュニケーションの時間や機会を単に増やしたり、意見をそのまま聞くけばいいのではない。利用者に共感することで本質をつかみ、判断基準とすることが大事なのだ。もちろん各社の業種業態によって、本質は異なるはず。それをつかみ、ぶれない姿勢を保つことが持続的なイノベージョンを実現するカギなのだ。

写真は中国語版の「ほぼ日手帳」。1日分を1ページにして方眼ベースでデザインするなど「ほぼ日手帳」の本質は変わらない
写真は中国語版の「ほぼ日手帳」。1日分を1ページにして方眼ベースでデザインするなど「ほぼ日手帳」の本質は変わらない
「2019年版」の新製品には、「ほぼ日手帳weeks MEGA」シリーズとして「スニーカー」と呼ぶスリムなタイプも登場
「2019年版」の新製品には、「ほぼ日手帳weeks MEGA」シリーズとして「スニーカー」と呼ぶスリムなタイプも登場

(写真/丸毛 透)

※次回は、イノベーションを持続する組織のつくり方に迫ります(11月20日に公開予定)

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