大手4社が圧倒的なシェアを占めるビール業界にありながら、それらとは一線を画したクラフトビールで13年連続増収増益を続けるヤッホーブルーイングを率いるのが、井手直行社長。看板商品「よなよなエール」を軸にクラフトビールメーカートップを走る同社には、業績不振による廃業の危機とそれを打開して独自の進化を遂げたブレークスルーの瞬間があった。

ヤッホーブルーイングの井手直行社長
ヤッホーブルーイングの井手直行社長

 「井手さんこそが私の正当な継承者だと感じ、ヤッホーブルーイングの社長就任をお願いしました。日本のビール文化の革命に突き進んでください」

 ヤッホーブルーイング(以下、ヤッホー)を創業した星野佳路(よしはる)氏が現社長の井手直行氏に宛てた手紙の一節である。星野氏といえば、リゾートホテルや温泉旅館の再生を次々に手掛ける「星野リゾート」の代表であり、カリスマ経営者として知られるその人だ。

 ヤッホーは星野氏が米国留学時代に、当時日本ではあまり流通していなかったエールビールの味に感銘を受け、1996年に設立された(ビールの製造開始は97年)。井手氏はその創業メンバーの一人として入社した。

 創業社長の星野氏はヤッホーが成長を遂げて現在のポジションに至った要因について、「創業時の理念をマーケットの動向に左右されずに貫いたことにある」という。

 同社のコンセプトは、ラガービール全盛の日本市場で「日本にない個性的な味で新たなビール文化を作る」こと。他の地ビール会社がいろんな味を出す中、ブランドに対して味を一つに絞ることが重要だと考えていた同社は喉ごし重視のラガービールではなく、味わいを楽しむエールビール一本に絞った。しかも250円前後と手ごろな価格にし、容器には当時主流だった瓶より扱いやすくてコストも安い缶を採用。よなよなエールがいまだに売り上げの大半を占める看板商品であり、かつ価格も缶のデザインもほぼ変わっていないことを考えると、星野氏の指摘は正しいだろう。

 ただ、ヤッホーが現在に至るまでの道のりは決して平坦とはいえなかった。

看板商品「よなよなエール」は発売当時から缶入りで250円前後
看板商品「よなよなエール」は発売当時から缶入りで250円前後

創業当初は“地ビール”として飛ぶように売れた

 看板商品のよなよなエールは創業当初から飛ぶように売れたという。商品の生産が追いつかず、取引先へのおわびに忙殺されるほどだったそうだ。ただ、それは必ずしも商品が支持されたから、というわけではなかった。

 94年の規制緩和によって日本全国に小規模のビールメーカーが誕生。90年代後半には観光地などその場所でしか飲めない付加価値や非日常感を売りにしたそれらのビールが「地ビール」として大ブームになっていた。

 そんななか、「味わいのあるエールビールを夜な夜な飲んでもらおう」というコンセプトで作られたよなよなエールも、非日常の地ビールとして扱われてしまったのだ。

やはり地ビールは流通しちゃいかんな

 そして、2000年ごろに地ビールブームが終焉。同社の売り上げは頭打ちとなり、それまでひっきりなしだった取引先からの電話がピタリと鳴り止んだ。さらに、取引先からは「やはり地ビールは流通しちゃいかんな」と言われる始末だったという。

 そこで販促を強化しようと、テレビCMを流したりキャッシュバックキャンペーンを実施したりしたものの、焼け石に水だったという。「大手とは違うことをやるというコンセプトだったが、今思うと創業当初の営業や販促は大手をなぞっていた」(井手氏)。さらにこの頃、星野リゾートの拡大が本格化し、星野氏がヤッホーに割ける時間がどんどん減っていった。

創業当初はテレビCMも放映していた
創業当初はテレビCMも放映していた

 そんなとき、井手氏にとって最大の挫折体験とも言える事件が起こる。よなよなエールが関東地区の大手コンビニで販売されることになり、コンビニとの取引では欠品が許されないため、売れたらすぐに発送できるように醸造所をフル稼働して在庫を積み上げた。しかし、追加注文どころか、初回納入分も売れなかったのだ。倉庫がいっぱいになり、一部のビールは屋外に野ざらしになるほど。さらに酒税の支払いを減らすため、1缶ずつ手で穴を開け、ビールを廃棄した。この作業が1年以上続いたという。「悔し涙も出なかった」(井手氏)。

 さらに、社内の雰囲気も悪くなっていった。売れているときはみんなでスノボーに行ったり飲み会をやったりと仲が良かった社員たちも、赤字が数年続くと「商品が悪い」「営業が悪い」といがみ合うようになり、あげくの果てには「こんなビール、日本人に受け入れられるはずがない」と陰口を叩く人も出てきた。

本当にやりつくしたのかな

 社員がどんどん辞めていくなか、井手氏はついに「社長。この会社、もうだめじゃないですか」と星野氏に泣きついた。しかし、そのときの星野氏の一言が井手氏を変えたという。

 「本当にやりつくしたのかな。とことんやろうよ。それで駄目だったら、会社をたたんで井手さんの好きな釣りでもしながらのんびり過ごそう」

 井手氏は頭が真っ白になり、体が震え、受話器を持って泣いていた。「こんなに赤字が続いているのに、この人はまだ諦めてないんだと。しかも星野さんは釣りをやらないので、僕を思いやってこんなことを言ってくれた。あの瞬間、それまでマイナスなことばかり考えて下を向いていたのが、上を向いてとことんやってみようと考え方が180度転換した」(井手氏)。

 さらに、星野氏にとってヤッホーはサブビジネスかと思いきや、初期投資10億円という当時の星野リゾートの年商の半分程度を投じた一世一代の事業だった。一方、ヤッホーに入社するまで、電気機器メーカー、環境アセスメント会社、観光客向けタウン誌の営業と職を転々としていた井手氏は、心のどこかで「駄目だったらまた辞めればいいや」と思っていたという。そんな自分に対し、腹をくくって最後までやろうという経営者の覚悟を感じ、この人が言うんだったらとことんやってみようと、どこか他人事だった意識が「自分事」に変わった瞬間だった。

 次回はヤッホー成長の原動力となったネット通販参入に至る運命的な瞬間や、そこからどのようにして熱狂的なファンを生み出すようになったかを探っていく。

ヤッホーブルーイングの創業メンバー。中央が井手氏、右端が創業者である星野リゾート社長の星野佳路氏
ヤッホーブルーイングの創業メンバー。中央が井手氏、右端が創業者である星野リゾート社長の星野佳路氏

(写真/鈴木愛子)