立ち上げからわずか7年で国内53店舗・海外15店舗を出店し、売り上げは50億円を超えるなど、急成長する「焼きたてチーズタルト専門店PABLO」。ロッテの「チョコパイ」とのコラボ商品を展開したり、「ガリガリ君」でおなじみの赤城乳業からアイスシリーズを発売したりなど大手企業とのコラボ商品も多く、「食べたことはないが、名前は聞いたことがある」という人も多いだろう。
PABLOが成功した要因は何と言っても、それまでさほどなじみのなかったチーズタルトをいち早く専門店化してブレークさせ、多店舗展開したことだ。しかし、その成功の裏には、会社のキャパシティーを超えて拡大を図ったため、人気絶頂でありながら閉店に追い込まれた超人気スイーツ店の失敗があった。そして、この手痛い失敗に至った「決断の裏側」には、多くの企業にとって役立つ「気づき」がある。

瞬く間に行列スイーツ店となった「パティスリーブラザーズ」
PABLOを運営するドロキア・オラシイタの嵜本(さきもと)将光社長がスイーツ専門店を手掛けたのは、2008年に創業した「パティスリーブラザーズ」が最初だ。パティスリーブラザーズは兵庫県西宮市に1号店をオープンした直後からメディアで話題となり、瞬く間に行列のできるスイーツ店として知られるようになった。
同店のコンセプトは「おどろ菓子」。シュークリームなのに四角い「キューブシュークリーム」や「とろけるバウムクーヘン」、15色展開の「カラーくずきり」など、従来のイメージを覆す驚きのある菓子であることがポイントだ。

同時に重視していたのがメディア戦略だ。「メディアは商品や作り手のキャラクターが立っているものを求めている。であれば、両方やってみようと考えた」(嵜本社長)。そこで、小じゃれたフランス語のブランド名にしようとしていたところを土壇場でやめ、3兄弟で運営していることから“パティスリーブラザーズ”とし、ロゴを“3”に。さらに、3兄弟だけだと弱く、「オーナーが美人姉妹」「イケメンシェフ」といったパワーフレーズが欲しいだろうと思い、あえて自分たちで「イケメン3兄弟の洋菓子店」と打ち出したという。

パティスリーブラザーズは1年もたたないうちに阪神梅田本店に出店し、1日でロールケーキを1000本以上販売。同店のデパ地下での催事売り上げ記録を更新した。「思った以上にうまくいっていた」(同)。しかし、このあたりから歯車が狂い始めていたという。

2年で6店舗まで拡大したうえ、阪神百貨店での実績が百貨店業界全体に広まり、全国の百貨店から出店依頼が殺到。「チャンスはすべてものにしたい」と、生産体制が整わないまま、それらを受けられるだけ受けたという。その結果、商品管理が追いつかなくなったのだ。
人気絶頂だったパティスリーブラザーズを突如閉店
「世の中にないものを作ろうというコンセプトだったため、製造の難しさもあって、商品一つひとつの製造効率が悪かった。さらに看板商品が15種類もあったため、在庫スペースの確保や品質管理も大変になった」(嵜本社長)。
自社店舗の製造キャパシティーだけでは対応しきれず、外部にも委託したが、それが利益を圧迫。物流コストや廃棄ロスもかさみ、売り上げが増えても利益が全く残らない状態に。商品を作って売ることに必死で、コストや利益の計算がしっかりできなくなっていた。
「社長もブランドも大好きだけど、もうこれ以上がんばれません」
朝から晩まで製造と販売に追われ、辞めるスタッフが続出。1年で8割程度が入れ替わるまでになった。こういった状況のなかで、嵜本社長はパティスリーブラザーズの閉店を決断する。「スタッフが楽しんでスイーツを作れない状態になり、商品の質も落ちるという負のスパイラルに陥った。そこで、すべてを一からやり直そうと決めた」(嵜本社長)。
このパティスリーブラザーズでの失敗を教訓に立ち上げたのが、PABLOというわけだ。次回はPABLOを立ち上げるに当たっての“大きな決断”と、そこから現在の業態をどのように作り上げていったかを探っていく。

(写真/今 紀之)