経済産業省・特許庁は2018年5月23日、デザインによる企業の競争力強化に向けた課題の整理と対応策を検討してきた内容をまとめ、「『デザイン経営』宣言」と題する報告書として発表した。今後、デザイナーやクリエイターの役割がどう変わるのか。企業経営者にとってどんな影響があるのか。
一つの方向性として支持が相次ぐ「デザイン経営」
18年6月13日、東京・六本木にある東京ミッドタウンで「『デザイン経営』宣言カンファレンス」が開催された。約100人のデザイナーやクリエイターが来場するなど、「『デザイン経営』宣言」に対する関心の高さがうかがえた。
「『デザイン経営』宣言」とは、経済産業省と特許庁が18年5月23日に発表した報告書だ。17年7月からデザイナーや企業のデザイン担当役員、経営コンサルタントなどが委員を務める「産業競争力とデザインを考える研究会」による提言をまとめたもので、03年の「戦略的デザイン活用研究会報告書の『競争力強化に向けた40の提言』」以来、15年ぶりの提言ということで大きく注目された。
提言の内容は画期的だった。デザインの役割についても言及し、プロダクトやグラフィックといったデザインの考え方を超え、企業経営に大きく関わる存在としてデザインを再定義していたからだ。具体的にはブランディングやイノベーションに向けたデザインを重視。まさしく「デザイン経営」をキーワードとして打ち出した。
デザインの現場では、プロダクトやグラフィックはもちろん、ブランディングの面でもデザインの力を取り入れているケースは少なくない。デザイン思考のブームもあり、色や形といった狭義のデザインだけでなく、イノベーションに向けた広義のデザインを理解しようとする経営者も増えている。「デザイン経営」は既に多くの企業が実践している。
それでも、デザインを主題とした政策提言のインパクトは強く、7月13日に開催された2回目のカンファレンスにも大勢が詰めかけた。来場者の多くは、若手のデザイナーやクリエイターで、ベテランの姿や企業経営者の参加は少なかったようだ。若手の方が新しい動きに期待しているのだろう。
「『デザイン経営』宣言」が打ち出された背景には、企業を取り巻く急激な環境変化がある。「AI(人工知能)やIoTなどを活用する新たな時代を迎え、世界の有力企業が戦略の中心に据えているのがデザインである。一方で、日本では経営者がデザインを有効な経営手段と認識しておらず、グローバル競争環境での弱みとなっている」と報告書では指摘しているからだ。さらに別紙として、意匠制度の課題や今後の検討の必要性を記した「産業競争力の強化に資する今後の意匠制度の在り方」を添付。画像のデザインやブランディングにおける意匠権の考え方も述べるなど、「デザイン経営」の時代に向けた新しい意匠制度の改革も視野に入れている。
デザインの定義とは何か
当初の研究会は、意匠制度の在り方について議論するものだったという。しかし大変革の時代を迎え、デザインの役割が大きく変わっているときに、「意匠制度だけを議論するだけでいいのか」といった意見が相次ぎ、デザインの再定義にまで踏み切った。
研究会の座長を務めた、鷲田祐一一橋大学大学院教授によると、委員同士でもさまざまな議論があったという。
「研究会の委員には、デザイナーはもちろん、経営コンサルタントなどさまざまな人がいる。デザイナーの考え方も違う。デザインとは“美”を追求するものであり、デザインの意味を大きく解釈するのはいかがなものか、といった意見もあった」(鷲田氏)。
デザイン思考などにより、企業経営者もデザインに対する意識を変えてきた今こそ、大きく踏み出すべきではないかという声の一方で、デザインの意味が曖昧になると懸念する委員もいたという。研究会では多くの時間をデザインの定義について議論した。美しいデザインを否定しているわけではないが、そこにとどまっていては、経営者にデザインの力を示すことは難しい、という結論になったようだ。
実際、「『デザイン経営』宣言」に対し、沈黙するデザイナーやクリエイターもいる。先のカンファレンスでも意見を述べたのは若手ばかり。「もっとベテランが来場して、デザインとは何かについて意見を戦わせるのではと期待した」という参加者もいた。
「デザイン経営」をどう捉えるかは、デザイナーやクリエイターそれぞれの判断だろう。デザイナーやクリエイターにも得意分野や不得意分野がある。誰もがすぐに「デザイン経営」を担えるわけではない。ビジネスやテクノロジーのスキルは、簡単には身に付かない。ただ、デザイナーやクリエイターへの期待が、大いに高まっていることは確か。これにどう応えるかが問われるところだ。
経営者にも分かりにくい
企業経営者にとっても「デザイン経営」は、まだ荷が重そうだ。「『デザイン経営』宣言」によると、「デザイン経営」とは、デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活用する経営であるという。「デザイン経営」の条件として、(1)経営チームにデザイン責任者がいること、(2)事業戦略構築の最上流からデザインが関与すること、の2点を挙げている。(1)でのデザイン責任者とは「製品やサービス、事業を顧客起点で考えられているかどうか、ブランド形成に資するものであるかどうかを判断し、必要な業務プロセスの変更を具体的に構想するスキルを持った人」を示すという。欧米企業には、CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)のような役割を設置する例もあるが、日本企業はまだこれからだ。
たとえ(1)(2)のような条件があっても、具体的に何をすべきかが書かれていないためか、「デザイン経営」といっても分かりにくいという企業経営者の意見も聞いた。「デザインという言葉がいろいろな意味に解釈できるので、“デザイン経営”となるとさらに理解できなくなる」と言う。
「デザイン経営」とは何かをもっと明確にしたり、さらには実現に向けた方法論やツールなども紹介したりしないと、なかなか動き出さない企業経営者は多いだろう。また「デザイン経営」を社内の誰がどのように推進するのか、そうした人材をどうやって育成するのか、外部の優秀なデザイナーやクリエイターをどう見極めたらいいのか、費用対効果はどうなるのかなど、企業経営者にとっては心配の種は尽きない。
定性的な効果を集めるべき
特に費用対効果については、報告書でも海外の調査結果を挙げている。例えば英British Design Councilは「デザインに投資すると、4倍の利益を得られる」と発表している。米Design Management Instituteも「デザインを重視する企業は、S&P500全体と比較して過去10年間で2.1倍も成長した」という。
費用対効果は、デザインに関心の薄い企業経営者にデザインの重要性を訴求するためのポイントだろう。しかし数字だけが独り歩きしては、本質を見失う恐れもある。日本でも独自の「デザイン経営」の費用対効果を定量的に出すべきかもしれないが、そこに時間をかけるよりも、多くの「デザイン経営」の事例を分析し、企業経営者の意見を聞くなど定性的な費用対効果を示すのが先だろう。
既に「デザイン経営」を実施している企業は、「『デザイン経営』宣言」がなくても、必要に迫られて実行している。費用対効果を心配するより、各社それぞれの考え方や進め方で、成果を上げている。このままでは、「デザイン経営」を理解している企業経営者と、ためらう企業経営者の溝はどんどん開くばかりだろう。今後は大企業や中小企業、スタートアップなどの国内事例を分析し、傾向などを探りながら、新たな指標を打ち出すべきだろう。
「高度デザイン人材」に期待
この他、研究会では「デザイン経営」を推進するために、政府が実施すべき施策・取り組みについての具体的な政策を提言している。これらは「情報分析・啓発」「知財」「人材」「財務」「行政の実践」といった5つの視点で構成。「政府には民間企業のデザインに対する意識を高め、「デザイン経営」推進のきっかけを作るとともに、意欲ある企業の取り組みを制度面から後押しする役割を期待する」としている。
例えば「意匠法の改正」では、保護の拡大、意匠権取得の手続きの改善を提案。デザインの役割が、①ブランド構築のためのデザインとして、企業の持つ哲学・美意識を表現するものになった、②イノベーションのためのデザインとして、顧客に内在する潜在的ニーズ、事業の本質的課題を発見、技術と併走して課題解決を行うものになった、③製品・サービスのコンセプト、外観、機能性、ユーザーインターフェースを含む顧客体験の品質を向上させるものとなった、という。これらを踏まえ、新技術の特性を生かした新たな製品やサービスのためのデザインや、一貫したコンセプトに基づいた製品群のデザインなど、その保護対象を広げるとともに、手続きの簡素化なども含め、意匠法の大幅な改正を目指すという。
「人材」では、「高度デザイン人材」の育成を推進していく。「高度デザイン人材」とは、事業課題を創造的に解決できる人材のこと。ビジネス系やテクノロジー系の人材がデザイン思考を学んだり、デザイン系の人材がビジネス系やテクノロジーの基礎を身に付けられるようにしていく。専門領域の異なる人材同士がプロジェクトやワークショップなどを通じて、創造的に課題を解決するための研修を実施していくという。このための産学連携プロジェクトもありそうだ。
「デザイン経営」は、まだ多くの課題を残しているが、今後の方向性の一つになることは間違いない。企業レベルはもちろん、政府関連などあらゆる場面で動きが出てくるだろう。
2:「デザイン経営」をどう捉えるかは、デザイナーやクリエイターの判断。誰もがすぐに担えるわけではない。ただデザインへの期待が高まっていることは確か。これにどう応えるかが問われる
3:日本独自の「デザイン経営」の費用対効果を定量的に出すべきかもしれないが、そこに時間をかけるより、「デザイン経営」の事例を分析し、定性的な費用対効果を示すのが先だろう