音楽や動画を楽しむのはもちろん、iPhoneのバックアップやアップデートにも長く使われてきたメディア再生・管理ソフト「iTunes」がついに終了する。背景には、アップルのどんな方針があるのか。米アップル本社で副社長も務めた前刀禎明氏が考察する。
2019年6月3~7日、カリフォルニア州サンノゼで今年も米アップルの開発者会議「WWDC(Worldwide Developers Conference)」が開催されました。そこで最も話題になったのが、メディア再生・管理ソフト「iTunes」の“終了”です。
報道記事では「終了」という表現が多かったので、あえてその言葉を使いましたが、実態は少し違います。あくまで、19年秋リリース予定の新しいmacOSからiTunesの提供をやめ、その機能を「Apple Music」「Apple Podcasts」「Apple TV」に分割して引き継ぐということです。iTunesという名前がなくなるだけで、サービスや機能が消えるわけではありません。
ですが、iTunesがなくなることで、ダウンロード型の音楽配信サービスが終了すると誤解した人も多かったようです。サブスクリプション型のサービスが一般化しする一方で、ダウンロード型のサービスが終了するとすれば、時代を象徴する出来事に思えますね。こうした解釈が誤解につながったのではないでしょうか。
もう1つ、iTunesがなくなる不安もあったことでしょう。iTunesは、音楽管理だけでなく、iOSデバイス間のメディア(音楽、動画、写真など)同期機能やCDの取り込みなど、ワンストップでいろいろなことができるソフトです。それだけに、3つのアプリに機能を分散承継させたとき、漏れはないのかという疑念が浮かび、あれこれ取り沙汰されたのだと思われます。
そんな誤解や不満、臆測も含め、話題を集めたiTunesの終了ですが、1つのニュースからその背景を推測したり、大きな流れを読み解こうとしたりするのは、意味のある試みだと僕は思います。今回は、iTunesの解体と再構成が何を意味しているのか、考えてみることにしましょう。
狙いは多機能化しすぎたソフトの整理
WWDC冒頭のプレゼンテーションで、ティム(・クックCEO)は、ハード、ソフト、サービスの三位一体での事業推進を強調していました。これはある意味、原点回帰宣言です。かつてアップルは「iPod」というハード、iTunesというソフト、iTunes Music Storeというサービスを一体的に提供して大成功を収めました。ハード(iPhone)依存を脱却したいアップルは、最近では頻繁に、この三位一体を同社の強みとしてアピールしています。
ただ、その後のWWDCのプレゼンでは、ハードに始まって、ソフト、サービスと別々に説明がなされていきました。しかも、ハードに割く時間がかなり長かった。終わってみると、目玉は高性能ディスプレーと、あろうことか純正ディスプレースタンドに見えました。最初に三位一体の話をしていたのに、食い違って終わったような印象です。
近年のアップルにはどうもこの手のチグハグ感がつきまとう。それはアップルファンの僕も否めないところです。アップルの優秀な経営陣も当然そのことには気づいていて、今はさまざまなチグハグを解消しようとする過渡期にあるのだと僕は思います。
iTunesを解体するのもその一環でしょう。iTunesは2000年代半ばからポッドキャストや動画コンテンツにも対応し多機能化に走りました。その結果、音楽プレーヤーとして見たときには、ユーザーインターフェースを含め、使い勝手があまり良くなくなってしまった。そこで遅まきながら機能を整理して切り分け、それぞれ別個のシンプルで使いやすいアプリとして提供することにしたというのが、今回のiTunes終了、新アプリへの機能継承の理由でしょう。
要は、プロダクトが複雑化し、コンセプトを一言で説明しきれないものが増えてきたので、是正しようとしている段階。アップルが自分たちを変えよう、良くなろうとしていることの表れではあるのですが、ユーザーの体験価値を劇的に高めるような施策ではありません。はたから見て「何がしたいの?」と思ってしまうのも仕方のないことでしょう。
消えた「Apple」文字ロゴにみるアップルの針路変更
あるいは、単純にプロダクト名から「i」を除こうとしている側面もあるのではないかと思います。「i」はもともと、スティーブ(・ジョブズ元CEO)が「internet」「individual」「instruct」「inform」「inspire」といった意味を込め、1998年にパソコンの製品名に冠したのが始まり。これが「iMac」シリーズです。以降は音楽プレーヤーからスマートフォンまで、さまざまな製品に「i」がつくようになりました。
しかし、2014年に発売されたスマートウォッチは「AppleWatch」であり「iWatch」ではなかった。インターネットに常時接続するデバイスが当たり前の時代、「i」は役割を終えたのでしょう。現在の主力商品である「iPhone」は今後、名称がどうなっていくのか、気になるところです。
名称に関して興味深いことがもう1つ。アップルの公式サイトや製品パッケージなどにおいて「Apple」というブランド名のスペルアウト(アルファベットで略さず表記すること)が姿を消しつつあります。古くは「Apple Garamond」というフォントで記された「Apple」の文字がリンゴのマークと共にサイトやパッケージに使われていましたが、それがゴシック体に変わり、今は文字自体が省かれてリンゴのマーク1つで代替させるようになっています。
リンゴのアップルマークが十分浸透したから、シンプルにマーク一つで表現するようになった。スターバックスのロゴから「STARBUCKS COFFEE」の文字がなくなったのと同様の流れではあります。しかし、アップルの場合には、もう1つ意味が隠されているような気もします。
GAFAの一角、アップルはどこへ行く?
市場を席巻する巨大企業をまとめてGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などと呼びますが、4社のなかで、アップルは他の3社と少し性格が違います。他の3社のプロダクトが、圧倒的な便利さでユーザーの生活に浸透してきたのに対し、アップルの成功にはブランドやプロダクトに対するユーザーの思い入れが介在しています。
それはスティーブがまさに目指したところでもありました。愛されて使われるプロダクト。ユーザーに所有する喜びを感じてもらうこと。万人に受け入れられるよりも誰かにとって特別な存在になることを、スティーブは目指していました。その頃のアップルには格調高いGaramond体の「Apple」がふさわしかったことでしょう。
しかし、iPhoneというコンシューマー向け製品が大ヒットし、スマートフォンというITインフラを担うようになり、事業規模がこうも膨れ上がっては(2005年の売上高が139億ドル、2015年は2337億ドル)、その方針のままではいられない。グーグルやアマゾンのように、多くの人の生活にさりげなく溶け込む路線に舵(かじ)を切るのも1つの道です。アップル好きとしては寂しい気持ちもありますが、これが大きくなったアップルの宿命といえるかもしれません。消えた文字ロゴは、アップルの針路転換と無関係ではないように思えます。
と、ここまで想像を広げるかどうかはともかく、「iTunesがなくなってしまう」とただ不安になるよりは、これを起点にアップルがどこへ向かおうとしているのか、考えてみるほうが面白いし有意義です。GAFAの動向に敏感な人は多いでしょうが、個々のニュースをバラバラの情報のまま受け取っていても身になりません。ニュースに接したら、各社の狙いや大きな流れを想像するクセをつけること。それが、戦略的な思考力や想像力の向上につながるのです。
(構成/赤坂麻実)