「このままじゃ、日本の電子機器メーカーは海外企業の下請けになってしまうんじゃないか」――本連載の取材の中で、前刀禎明氏が度々口にする言葉だ。アップル、ディズニー、AOLと海外メーカーでキャリアを積んだ前刀氏だからこそ感じる日本企業の問題点を、2回に分けて語る。
数年来、僕が抱いている不安があります。それは、「このままでは、日本の電子機器メーカーは海外企業の“下請け”になってしまうのではないか」ということです。
下請けというと、最終製品メーカーに技術や部品を供給する企業と捉える人も多いでしょう。ですが、ことプラットフォーム技術に関しては、その関係は逆転しています。新しい価値をもたらす根幹の技術を生み出し、それが利用・転用されていくビジネスモデルを築く。それができる企業が主で、できない企業は従、つまり下請け的な存在になっているのです。
言葉は刺激的かもしれませんが、テレビやAIスピーカーなどをみると、この傾向は誰の目にも明らかなところでしょう。最近の日本の企業は、海外で開発された基幹技術をベースにして、細部だけを自社で作り替え、自社ブランドの製品として販売する事業が多くなっています。日本メーカーが華々しく発表するAIスピーカーや次世代テレビの音声操作機能は「Googleアシスタント」で実現されていますし、有機ELパネルは韓国LGディスプレー製です。
逆に、近年、日本企業が生み出して世界を驚かせた基盤技術・サービスに、何か思い当たる人はいるでしょうか。残念ながら、僕にはパッと思い浮かぶものがありません。このままでは、日本企業は米グーグルや米アマゾン、米アップルなどのエコシステムにすっかり組み込まれてしまいます。さらに今後は、スウェーデン・イケアや米テスラなど、新しいライフスタイルを描けるような企業が、魅力的な製品を開発して市場を席巻するようになるかもしれません。日本メーカーの製品は独自性を持てず、市場の片隅に追いやられてしまう未来も考えられます。
もちろん、他社のプラットフォームに乗っかって収益を上げる事業や、部品供給で成功する事業もあっていいのですが、それしかなくなってしまうと、日本の子どもたちはものづくりに夢を持ちにくくなるでしょうし、創造性ある人材の海外流出にもつながります。何より単純に、さみしい。日本に1社でも2社でも、世界から憧れの目で見られるメーカーがあってほしいものだと僕は思います。
個人で優秀、集団でさらに優秀なピクサー
いったいなぜ、日本企業の“下請け化”が進行しているのか。理由はいくつかありますが、今回はその1つ、組織の問題を取り上げることにします。
アニメーションスタジオの米ピクサーには、「Collective Creativity(集団の創造性)」を高めるための3つのルールがあります。1つ目は、誰もが誰とでも自由に話ができること。2つ目は誰でも自由に意見が言えること。3つ目は、最先端技術の情報を全力で収集すること。
1つ目の「誰もが誰とでも自由に話ができる」というのは、全ての社員が他部門の社員と上司の承認を得ることなく自由に話せます。日本の会社でそんなことをしようものなら「非常識だ」「“上”を通せ」と周りから封じ込められてしまうのがオチですよね。
2つ目の「誰でも自由に意見が言える」は、1つ目と似ているようですが、あるチームのプロジェクトに、チーム外の社員がアイデアを出してもいいということです。別の視点や角度から意見が舞い込めば、プロジェクトにプラスになることも多々ありそうです。
3つ目の「最先端技術の情報を全力で収集する」は、最先端技術に常に敏感でいて、今度はどんな映像表現ができそうなのかを考えて新作に生かすということ。長編アニメーションは企画から完成まで数年かかるので、先を見すえながら、最先端技術の取捨選択をするのも大事なことなんですよね。
3つともいたってシンプルなルールですが、日本の会社にはなかなかできないことだったりします。言うまでもなく、ピクサーの社員はそれぞれに優秀ですが、集まって組織になったときに、さらに優れたパフォーマンスを発揮します。この3つのルールが示すように、それが可能になるように、仕組みや場をつくっているからです。
“忖度”カルチャーに染まらず、考え続けよう
日本の会社の多くは、僕の目にはピクサーと逆のことを推し進めているように見えます。社長や重役には物申せないようなカルチャーが脈々と受け継がれ、業務は縦割り、タコツボ化。新製品の企画にしたって、そもそも“上”の人たちが首を縦に振りそうな企画しか会議には出てこないし、“上”の人たちが理解できるものしか通らない。これでは、本当に新しくて面白いものなんか生み出せるわけがないですよね。
日本のメーカーの社員だって、一人ひとりと話してみれば、優秀な人が多いんです。ところが、組織になった途端に無能化する。えらい人の顔色をうかがったり、周りの空気を読んだりすることが当たり前に求められる組織で、個人の能力が押さえ込まれていくからです。
何十年にもわたってそれが続くと、優秀だった人もものを考えなくなり、能力は低下していきます。若く優秀だった人が忖度文化になじみ、出世してリーダーになるころには、残念ですが“老害”と呼ばれるような存在になっていることもあります。そうしてまた、その人たちの理解力に合わせた企画だけが上がって決裁されて――負の連鎖には終わりがありません。
これを打開するにはどうすればいいのか。事はそう簡単ではありません。とても根深くて深刻な問題です。それでも、今真剣に考えないと本当にもう間に合わない。この連載では初回からくり返し、自分でものを考えるクセを付けてほしいと伝えてきました。日本の下請け化の一因は、考えることを放棄させてしまう組織にあります。組織は一朝一夕には変わりませんが、この記事を読んでくれる皆さんは、考えることをやめないでください。遠回りなようでも、それこそが負の連鎖を断ち切る有効な手立てだと思います。
次回も、下請け化の原因や打開の道を探ります。
(構成/赤坂麻実)
当記事は日経トレンディネットに連載していたものを再掲載しました。初出は2018年4月9日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています