ハード+ソフト+サービスの三位一体モデルに乗り損ねた日本

 日本では「ものづくり」という言葉を、実によく見聞きします。政府の企業支援や表彰の制度にも、新聞報道にも、企業のトップメッセージにも頻繁に登場する言葉です。実際、日本人は精緻にものを作ることが得意で、特に製造業ではその特性を生かして世界をリードできていました。ですが、今や高性能のハードウエアを精度よく作るだけでは、勝てない分野が増えてきました。そもそも、いまや高性能であることが特に必要とされない分野もあります。それは、プロダクトがハードだけでは成立しない時代になっているからです。

 例えば、2001年に登場した米アップルの音楽プレーヤー「iPod」シリーズ。あれはiPodというハードに「iTunes」という楽曲管理・再生ソフト、「iTunes Music Store」という音楽配信サービスが組み合わさって価値を生むビジネスモデルです。その後、iPodはiPhoneに役目を譲り、ハード、ソフト、サービスが“三位一体”で価値を生む時代は加速していきます。

音楽に関していえば、今やスマートフォン、音楽再生アプリ、音楽配信サービスの3つの要素が三位一体となって価値を生んでいる cs05 / PIXTA(ピクスタ)
音楽に関していえば、今やスマートフォン、音楽再生アプリ、音楽配信サービスの3つの要素が三位一体となって価値を生んでいる cs05 / PIXTA(ピクスタ)

 この時代の新しい波に日本は乗り遅れた感があります。なまじハードを作る技術に長けていたせいで、良いハードさえ作れば勝てるはずという考えにとらわれていたからではないでしょうか。

 僕が印象的なのが、2011年にソニーの「ウォークマン」が音楽プレーヤーの日本市場シェアで“首位奪還”と報じられたこと。iPhoneをはじめ、音楽再生機能を持つスマートフォンが既に普及していたころです。ハードとしての音楽プレーヤー(の販売台数)に限定すれば、ウォークマンが首位かもしれないけれど、それはスマートフォンで音楽を聴いている人が多数いる実態とはかけ離れたランキングで違和感がありました。やはりプロダクトをハードからしかとらえられない人や企業が多いのかなと思ったものです。

形のないものに価値をみとめにくい国民性

 日本人の多くが“ものづくり神話”ともいうべき意識からこうも抜け出せない理由は何か。一つは、よく言われるように過去の成功体験に固執する気持ちでしょう。そしてもう一つ、僕が思うのは、日本人はどうも形のないものに価値を見出すのが下手なんじゃないかということです。

 ストレスチェック事業を手がけている、あるベンチャーの話です。その会社は、かつて家電メーカーとウエアラブルセンサーの共同開発を検討していました。そのとき、メーカーの担当者は、センシングの精度ばかりを気にして、話が前に進まなかったそうです。精度が重要な製品ならその反応は当然ですが、このソリューションは、大まかにでも傾向をつかんで対策することが重要なタイプの製品・サービスです。なのに、そのソリューションでどんなことができるか、どう使うと効果的かという発展的な話にならない。本質的な価値を生むことが何かということに考えが及ばず、ハードにしか目がいかない。これも目に見えないものを評価できない価値観の表れです 。

 こうした傾向が今に始まったことではないのは、VHS時代のビデオデッキとコンテンツの関係を振り返ってみても明らかです。ビデオデッキが登場したとき、日本では主に(無料の)テレビ番組を録画して再生するための装置として買い求められました。一方、米国では、VHSテープに収められた有料ソフトを再生するための装置として普及が進みました。

 実際、米ディズニーの大ヒット映画『アラジン』(92年公開)は、日本でVHSが220万本売れて、当時史上最大のヒットとなりましたが、米国の売り上げは2400万本です。ちなみに人口は米国が日本の2.5倍ほど。日本ではコンテンツは無料という感覚が強く、セルビデオの市場が(一人当たりに換算しても)米国より小さいんです。映画の年間興行収入も米国は日本の6倍ほどの規模で、人口差では説明がつかないだけの差があります。日米ではコンテンツに対する考え方が違うんです。こんなところにも、形のないものに価値を見出すのが下手な日本人の特性が出ているように思います。