ソニー、ディズニー、AOL、アップル……国内外の名だたる企業で経営の最前線に立ってきた前刀禎明氏。「日本企業は製品を売るのが下手」と言いきる前刀氏が、自らの豊富な経験と独自の目線で、技術や製品とマーケティングの幸せな関係について語る本連載。初回は、今だから語れるiPod mini販売秘話。
僕がアップルにマーケティング担当バイスプレジデントとして入社したのは2004年のことでした。当時、アップル(当時は米アップルコンピュータ、現在の米アップル)の日本事業はかなり苦戦していて、パソコンのMacシリーズは日本市場撤退の噂があったし、2001年に登場したiPodも一部の音楽好きにしか売れていませんでした。iPhoneの大成功につながるiPodが売れていなかったなんて、今からだと考えられないかもしれませんね。
ジョブズに「日本をなんとかしてくれ」と言われる
僕のポジションは日本事業を立て直すために新設されたもの。アップルのCEOだったスティーブ・ジョブズからは「とにかく日本をなんとかしてくれ」と言われ、僕は毎月、彼を囲む米国本社でのミーティングに参加していました。その会議に本社以外から参加するのは僕だけで、逆に言えば、それほど日本事業は危ぶまれていたんです。ただ、そんな情勢だったので、通常はブランド管理に厳しいアップルが、日本のマーケティングに関してはかなり自由にさせてくれました。
どうしてiPodは売れていなかったのか。当時はMD全盛の時代だったんですよ。パソコンに接続して使うiPodは、多くの人にとってピンと来ない商品でした。あるとき、打ち合わせのテーブルにiPodが置いてあったので、僕が「お、iPodじゃないですか」と言ったら、持ち主の女性があわててiPodを隠した。当時のiPodはオタク向けガジェットというイメージが強かったので、持っていることが恥ずかしかったみたいです。
「iPodをファッションアイテムにする」
そこで僕が採った戦略は「iPodをファッションアイテムにする」こと。「便利なデジタルガジェット」ではなくてね。テレビCMにはiPod miniで音楽を楽しむ人のシルエットを映し、iPodで楽しむイメージと「Goodbye MD」のメッセージを前面に押し出しました。製品を映さない広告なんて、本来、メーカーはなかなか打てません。製品発表会にモデルを起用したのですが、それも当時はまだ珍しいことでしたね。
iPod miniの5色展開に合わせて、色ごとのイメージサイトも用意しました。米国本社がipod.comのドメインを取得していたので、使わせてもらって。どの色のiPod miniをどんなファッションと組み合わせて、どんなライフスタイルの中で使うのか、サイトを見た人が具体的に想像できるようにしました。
入社時の最終面接でスティーブに提案していた高級セレクトショップ「BARNEYS NEW YORK」とのコラボも実現し、実店舗のディスプレーでの訴求もしました。iPod miniを含めたファッションコーディネートを、よりリアルに想像してもらえたと思います。
iPod miniのプラスチックカードを作ったのも思い出深いですね。渋谷と銀座の駅構内にポスターを掲示して、そのポスターにiPod miniの実物大のプラスチックカードをずらっと貼り付けて、誰でも剥がして持っていけるようにしました。限られた場所、限られた時間にしかないというレア感のおかげか、これが大人気に。争奪戦が起きて、5色1セットでネットオークションに出品されたりもしました。ゲットできた人は、IDカードホルダーに入れてランチタイムに話題にしたり、裏面にイメージサイトのURLが印字されているので、それをきっかけにサイトを見たりしてくれました。
2004年7月24日の発売当日、銀座のApple Storeには開店前から1000人以上が並び、終日、行列が途切れませんでした。朝、昼、夕方とテレビのニュース番組でずっと報じてもらえたので、覚えている人もいるかもしれません。夕方には、列の横を通り過ぎる年配のご婦人も「これってiPod miniを買う人たちなんでしょ」と言うようになりました。iPodとは本来あまり縁がなさそうな人までがiPod miniの名前を知ったんです。iPod miniのヒットは、iPodの知名度も引き上げました。
技術で製品を説明するのは間違いだ
iPod miniを売り出すとき、僕が意識したのは、機能や性能の説明をするよりも感性に訴えること。当時、テレビCMやポスターでの宣伝とは別に、僕自身、5色のiPod miniを常に持ち歩いて、飲みに行ったときに女性に見せる“草の根運動”をしていました。「かわいい!」って言ってもらえたら、「これで音楽が聴けるんだよ」「え、これで音楽聴けるの?」「これに1000曲入るよ」「だったらMDとか要らないですね」なんて会話をして。
ここでいきなり「これは4GバイトのHDDを積んでいて」などと切り出してはいけない。日本の多くのメーカーが失敗しがちなのですが、大切なのはまず感動してもらうこと。製品を購入する人は技術に「すごい」と言うわけではありません。「こんなことができるんだ」と知り、自分が使っているシーンを想像して、その姿がいいなと思ったときに初めて欲しいなと思います。技術の説明は、「それをどうやって実現しているの」と興味を持った人に、その後、伝えればいい。
iPod miniの発売以降は、電車で日に日に増えていく白いイヤホンコードを数えるのが僕の楽しみになりました。白は汚れが目立つということで、当時は他のメーカーが採用していなかったので、白いイヤホンが増えるということはそのまま、iPodが多くの人の手に渡ったことを意味していたんです。
(構成/赤坂麻実、写真/渡辺慎一郎)
当記事は日経トレンディネットに連載していたものを再掲載しました。初出は2017年3月24日です。記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。